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最終章 箱と哀愁のベルスーズ
箱と哀愁のベルスーズ ㉗ ~ 無力 ~
しおりを挟む「どうしたんだ美結、浮かない顔をして」
「…………」
餅津木家のパーティーに向かうその日、私は、酷く不機嫌だった。
美しく着飾ったモスグリーンのドレスは、とても落ち着いた色合いをしているのに、心までは落ち着かせてくれない。
そして、会場にむかう車の中。私は、洋介が声をかけかれ、いつも通り、娘を嫌う母として振舞った。
「別に。ただ、これから結月の顔を見るのかと思うと……」
「お前は相変わらず、結月が嫌いだな」
軽く失笑して、洋介がそう言えば、私は、車窓から外を見つめた。
「結月、着てくるかしら……あのドレス」
「着てくるさ。とても喜んでいたと言っていたじゃないか」
「えぇ……わざわざ電話でお礼まで言われたわ。馬鹿な子ね。なんの疑いも持たず素直に喜んで……大体結月は、もっと清楚なドレスの方が似合うのよ。あんな派手なドレス」
「まぁ、そう言うな。相手の好みに合わせるのは当然のことだろう」
相手の好み――そう言われて、更に心中が荒れ狂う。
私が、イラついている原因は、まさにこれだった。
今夜、餅津木家のパーティーで、結月に冬弥君を紹介した後は、洋介たちは、上階にあるスイートルームで、結月と冬弥君を、二人きりにするつもりらしい。
でも、そんなことになったら、結月に逃げ場はない。
なにより、こちらが『籍を入れるのは、子供を授かってから』というふざけた条件をだしている以上、餅津木家だって、そのつもりで動いてくる。
なら、結月は今宵、どうなってしまうのか?
結月が、スイートルームに入った後のことを考えれば、淀みない不安が濁流のように押し寄せる。
もしかしたら、結月は今日、花を散らされてしまうかもしれない。
だって、餅津木家も、そのつもりでいるだろう。
わざわざ相手好みにドレスを仕立て、親みずからが、食ってくださいと差し出しているのだから──…
「まるで貢ぎ物ね。まさか、あんな条件だすなんて思わなかったわ」
私は、その決断を下した洋介に、苛立ちをぶつけるように噛み付いた。すると洋介は
「あんな条件?」
「物事には、順序ってものがあるでしょ」
「あぁ、あの話か。今更、何を言うんだ。お前だって忘れたわけじゃないだろう。私たちがどれほど苦労したか、これも結月のためだ。それに、また8年前のようになっても困る」
「…………」
確かに苦労した。子供ができなかった10年間は、地獄を這いずり回るようだった。
だから、結月にまで、同じ苦しみを味あわせたくない。それは、洋介だって同じだったのかもしれない。
でも、私は結月を手放す道を選んだけど、洋介は違った。だって彼には、阿須加家の血を受け継がせる責務があったから――
「結月が記憶喪失になってよかったわね。餅津木とのことなんて、もうすっかり忘れてるんだから」
「そうだな。おかげで、今度こそ正式に、餅津木家と婚約させることができる」
私とは対照的に、洋介は、ほっとしたように答えた。
何もかも、終わってしまうような気がした。
私は何のために、これまで頑張ってきたの?
心を押し殺し、可愛い我が子を虐げ続けてきた。
でも、それはあの子を、守るためだった。
冷酷な親を演じ続けてきたのも、結月が、心置きなく、親や一族を捨てられるように。
それなのに、結局守れず、この腐りきった一族の中に、結月を落としてしまう。
(せっかく、ここまで……っ)
頑張っても、思いは報われなかった。
執事だって思い通りにならなかったし、婚約の話だって止められなかった。
娘一人守れない私は、きっと母親失格だ。
いや、母親だなんて、もう思わせれてすらいない。
そして、自分の無力さを痛感すれば痛感するほど、憤懣は募るばかりだった。
✣✣✣
「結月、お前もいきなり婚約者と言われてもピンと来ないだろう。まずは、お互いをよく知ることからはじめなさい。──冬弥くん、頼んだよ」
「はい。じゃぁ、行こうか。結月さん」
「え、ぁ……っ」
そして、話は淡々と進み、突然、婚約者を紹介された結月は、あっさり冬弥君に連れて行かれた。
戸惑う結月の姿を見て、酷く胸が痛んだ。
明日の結月は、どうなっているだろう。
今日会ったばかりの男に組み敷かれて、明日の朝には、身も心もボロボロになってるかもしれない。
そう思うと、無性に胸が苦しくなって、吐き気すらしてきて、一刻も、この場から立ち去りたいと思った。
「五十嵐! 屋敷に戻るわ。車をだしてちょうだい」
「え?」
そして私は、五十嵐に、別邸まで送るよう命令した。
すると、五十嵐は
「あの、旦那様は?」
「洋介は、あとから黒沢と帰宅するわ。私だけ先に帰るのよ」
「ですが、奥様だけ途中で退席というのは」
「うるさいわね! いいから、あなたは、つべこべ言わず私の言うことを聞いていればいいの!」
やたらと機嫌の悪い私を見て、五十嵐は、更に首を傾げる。
「何をそんなに、苛立っておられるのですか?」
「これ以上、あの人達と、同じ空気を吸っていたくないのよ! 性根の腐った奴ばかりで、吐き気がするわ!」
いや、性根が腐っているのは、私も同じだろう。
娘の危機に何もできず、それどころか置き去りにして逃げようとしている。
だけど、今の結月が、義兄に襲われた時の自分と重なって、立っているのすら辛かった。
「結月は、冬弥君が送り届けてくれるそうだから、あなたも私を送り届けたら、屋敷に戻っていいわ」
すると私は、五十嵐にも屋敷に戻るよう促した。
だけど、五十嵐は、深く眉をひそめながら
「冬弥様が? なぜ、わざわざ」
「…………」
そう聞かれて、私は口をとざす。
なぜって、今日は、もう戻ってこないから。
だけど、それを伝える前に、五十嵐は言葉を続けた。
「お言葉を返すようですが、いくら奥様のご命令でも、お嬢様を置いて帰るわけには参りません」
私の命令より、結月を優先しようとする五十嵐は、まさに執事の鏡だった。
ねぇ、五十嵐なら、何とかできる?
結月を守ってくれる?
でも、執事ごときに、何ができるだろう。
主人の婚約者相手に、逆らえるはずなんてない。
「そう、なら私を送り届けたら、また戻ってくればいいでしょ! それとも私に逆らう気!?」
そして、募る苛立ちを放出されるように、私は更に荒んだ声を出し、五十嵐は諦めたように、送り届けることを了承した。
だけど、その時だった。
「あれ、モチヅキくん?」
五十嵐を見つめて、若い女性が声をかけてきた。
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