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最終章 箱と哀愁のベルスーズ
箱と哀愁のベルスーズ ㉓ ~ 猫 ~
しおりを挟む「まぁ、可愛いですね、奥様!」
ブリーダーから買い取った子猫は、真っ白な毛並みをしたペルシャ猫だった。
阿須加家にふさわしい血統書つきの猫。
その愛らしい姿には、私だけでなく、メイドたちも頬も緩め、日頃、落ちついた別邸の中は、普段より明るい空気に満ちていた。
「小さいわね~。ミルクはちゃんと飲めるかしら?」
「そういえば、奥様。子猫の名前は、もう決められたのですか?」
すると、メイドの一人がそう尋ねてきて、私は、少しだけ間を置いたあと、ハッキリと答える。
「名前は、付けないわ」
「え? つけない?」
「そうよ」
「ですが、名前をつけないのは」
「いいでしょ、別に。私が、そうしたいんだから」
奥様らしく、わがままをいえば、メイドたちは、皆、困惑していた。
無理もない。飼い猫に名前をつけないなんて、いくらなんでも酷すぎる。
だけど、これは、つけたくなかったわけじゃなく、つけた名前を知られたくないからだった。
✣✣✣
「ユヅキ。酷いことばかり言って、ごめんね」
深夜、メイドたちがいなくなれば、私は、必ずと言っていいほど、娘と同じ名前をつけた子猫に語りかけていた。
まるで、娘の身代わりにでもするように、何度も何度も謝り、時折、子守唄を歌う。
「──♩」
そして、その子守唄は、結月が、赤子の時に好きだった唄だった。
実の娘を抱きしめられない代わりに、私は同じ名をつけた子猫を抱きしめることで、心の均整をとっていた。
でも、こんなことをしてるなんて、誰にも知られたくなかった。
だから、猫に名前はつけないと偽り、ひっそり『ユヅキ』と名付けた。
メイドたちは、きって、変わった母親だと呆れたもしれない。いや、変わってるのではなく、おかしくなっていたのかもしれない。
だって、あの頃の生活は、ギリギリの綱渡りをしているようだった。
子供を授からず、苦しんでいたあの10年間よりも、結月を虐げ続けた10年間の方が、ずっとずっと苦しかった。
だから、癒しが欲しかったのかもしれない。
子猫を可愛がりながら、私は、なれなかった母親を疑似体験していた。
だけど、そんな私は、どれほど滑稽だっただろう。
一体、何をやってるのか?
猫はペットで、娘ではない。
例え、娘の名前を付けても『お母様』と笑いかけてはくれない。
でも、どんなに辛くても、結月が、あの屋敷から出ていくまでは、耐えようと思った。
しかし、そんな私の願いとは裏腹に、結月は、全く出ていこうとしなかった。
これは、まだ幼いからではなく、白木を解雇されて以来、結月は、より一層、いい子を貫くようになった。
屋敷からも、ほとんど出ず、まるで人形のように、私たちの言いなり。
それは、まるで、人生を諦めたかのような。
ただ、無気力に、親の決めた道を歩もうとしていた。
✣✣✣
「え? 新しく執事を雇う?」
そして、結月が14歳になった時、見かねた私は、ある計画を立てた。
深夜、いつも通り寝室に入り、私は、ソファーに腰掛け、洋介と話をしていた。
「そうよ。本館の執事も、もう高齢でしょ。新しく執事を雇って、引き継ぎをさせるべきだと思うの」
「別に、本館の人事は、美結に任せているから、執事を雇うのは構わないが……目星しい人材はいるのか?」
「えぇ、何人か見繕ってきたわ」
私は事前に募集していた執事たちの経歴書を、洋介に手渡した。すると洋介は、その書類を目にするなり、深く眉根を寄せる。
「まだ新米の若い子ばかりじゃないか! もう少し、ベテランの執事の方が、阿須加家にはふさわしいたろう」
「そうかもしれないけど、年寄りを雇っても、またすぐに新しい執事を探さなきゃならないじゃない」
「うーん……だが、結月はもう中学生だ。これか年頃の娘になっていくのに、そんな結月の傍に、執事とはいえ、若い男をおくのは」
私が選んだ執事は、皆30歳以下の若手ばかりで、洋介は、結月の傍に若い男を置くことを渋っていた。
それはそうだろう。
結月は可愛いし、とても魅力的だ。
だから、若い執事との間に、万が一のことがあったら?──と、洋介は不安視しているのかもしれない。
でも、そんな洋介に私は
「例え若くても、彼らはプロよ。執事が主人に、恋愛感情をもつわけないじゃない。それに、別邸の使用人は、この先数をへらすつもりでいるの。なら、今まで以上に、執事の業務も増えるわ。だから、若い方が体力的にも適任なのよ」
さも、当然というように話せば、洋介は
「確かに、そうだな」
──と渋々と言った様子で、了承した。
そして、その後、正式に執事として雇われたのが、羽田 俊彦という20歳の青年だった。
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