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最終章 箱と哀愁のベルスーズ
箱と哀愁のベルスーズ ㉒ ~ 記憶喪失 ~
しおりを挟む結月が目覚めたあと、私と洋介は、結月が記憶喪失になっていると医者から説明を受けた。
頭を打った後遺症なのか、約半年分の記憶が、すっぽりぬけおちているらしく、結月は、先日の餅津木家とのイザコザも、全て忘れていた。
そして、それは、洋介や餅津木家にとっては、とてもありがたい話だった。
目撃者である白木は解雇した。
なら、この事実を知るのは、私と洋介と餅津木家の人間だけ。
だから、何もなかったことにするのは簡単だった。
とはいえ、時間とともに記憶が戻る可能性もあるため、婚約の話は一旦、白紙に戻し、結月の記憶が戻らないと確信するまで、餅津木家の名前は、一切出さないことにした。
だけど、記憶喪失になった結月はは、それから、しばらく情緒が安定しなかった。
「どうして! どうして、白木さんを辞めさせたの!?」
屋敷に戻ったあと、結月は泣きじゃくりながら、私たちに反発してきた。
それは、母親のように慕っていた白木を、勝手に解雇されたからで、ショックを受けた結月は、何度も何度も『白木さんを、辞めさせないで!』と懇願してきた。
だけど、私たちは
「結月、お前は一週間も目を覚まさなかったんだ! 阿須加家の大事な娘に怪我を負わせた。あんなメイド、もう必要ない!」
「そうよ、結月。メイドの変わりなんていくらでもいるじゃない。また、新しいメイドを雇ってあげるわ」
そう言って、冷たくあしらえば、結月は酷く絶望したような顔をしていた。
分かっていた。
結月にとっては、白木の代わりなんていないことくらい。
だって、私が結月を殺そうとしたあの日から、ずっと、結月の傍にいてくれた人だから。
(やっぱり、私より、白木の方が大切なんでしょうね?)
白木を求める結月を見て、無性に哀しくなった。
そのせいか、その後の洋介と結月の会話は、あまり耳に入って来なかった。
でも、結月にとっての母親は、私ではなく、白木なのだろう。だから、こんなにも、白木を求めて泣いている。
でも、頭では理解してしても、その事実を目の当たりにしたせいか、不意に心が砕けそうになった。
自分で決めたことなのに、母親と思われていないのが、辛くて仕方なかった。
いや、辛いのはそれだけじゃない。
抱きしめたいのに、抱きしめられない。
入院しても、お見舞いすらいけない。
会えば、いつも、きつい言葉をかけて、娘を嫌うフリをしなきゃいけない。
娘を守るために、嘘で塗り固めてきた10年間。
その積もり積もった苦しみが、今回の件をきっかけに、一気にあふれだす。
(っ……一体、いつ終わるの?)
なんで私は、記憶をなくし不安でいっぱいの娘に、こんなにも、ひどい仕打ちをしているのだろう?
だけど、いくら限界がこようが、終わりがくるのは、まだ先の話しで、私はその後、まるで心の拠り所を求めるように、動物に癒しを求めるようになった。
✣✣✣
「え? 猫ですか?」
初めて、私が『猫を飼おうかしら?』と言ったら、メイドの戸狩はひどく驚いていた。
「なによ。戸狩は、猫が嫌いなの?」
「いぇ、そのようなことは。ですが、奥様は動物アレルギーがあると?」
「ないわよ」
「え? では、お嬢様に言った言葉は、嘘だったのですか?」
「そうよ。あの子に、猫なんて飼わせるものつもりはないわ」
あれは、真冬の寒い季節だったか、結月が猫を飼いたいと言い出した。
だけど、私は、アレルギーがあると嘘をついて、結月の要望を却下した。
でも、それにも、ちゃんと理由があった。
猫なんて飼って、その猫に情が移ったら、結月は、あの屋敷を捨てられなくなる。
だから、ダメだと教えこんだ。
大切なものが、増えれば増えるほど、人はその場から動けなくなる。
私が、そうであるように──
だから、結月には、背負うものが少なくなるように、成長するにつれて、使用人の数も、少しずつ少なくしていた。
「奥様は、どのような猫が、お好きなのですか?」
「え?」
すると、私の思考を遮り、戸狩が猫の好みを聞いてきた。
そういえば、結月は、どんなの猫を飼いたかったのだろう?
記憶をなくしたせいで『猫を飼いたい』と言っていた時の記憶も、結月はなくしてしまったらしい。
そして、それと同時に『好きな人』のことについても、全て忘れてしまったようだった。
(結月の好きな人って、一体、どんな子だったのかしら?)
猫の話そっちのけで、私は結月のことばかり考えていた。
結月の好きな人は、学校で、出会った子なのかしら?
相手がどんな子か、それを知る術はもうないけど、結月の心に『恋をする』という感情が育っていたことには、少し驚いた。
いつかは、婚約者が出来る。
それは、きっと結月だって分かっていたはず。
でも、それでも、結月は恋をしたのだ。
あんなにも必死に結婚を嫌がるほど、本気の恋をした。
なら、きっと素敵な子なのだろう。
それに、普通の女の子のように、結月が恋をしてくれたのが、とても嬉しかった。
(いつか見てみたいわね。あの子が、好きになった人を……)
そして、また見ぬ、娘の恋人を想像する。
婚約者ではなく、結月が、自分から選んだ相手を、いつか見てみたい。
そして、できるなら、その相手と幸せになって欲しい。
「奥様?」
「あ……」
だが、妄想に明け暮れていたせいか、戸狩がまた話しかけてきて、私は我に返った。
「特にご所望がないのなら、ご見学をなさいますか?」
「そ、そうね。そうしてちょうだい」
「かしこまりました。では、後ほど、ブリーダーに問い合せて見ます」
その後、戸狩の話に、二つ返事で答えると、それからトントン拍子に話がすすみ、別邸に、真っ白な毛並みをした子猫がやってきた。
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