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最終章 箱と哀愁のベルスーズ
箱と哀愁のベルスーズ ㉑ ~ 解雇 ~
しおりを挟むそれから、半年ほどが経つと、餅津木家との婚約の話が正式に持ち上がった。
婚約者の名前は、餅津木 冬弥。
結月の二歳年上で、まだ12歳の男の子だった。
こんな小さなうちから婚約を結ぼうとしたのは、はっきり言えば、餅津木家が、強く望んだからだ。
しかも、口の上手い幸蔵(冬弥の父)に、まんまと乗せられた洋介は、二つ返事でOKしてしまった。
そして、熱い8月の末日。
洋介は、餅津木夫婦と冬弥君を、阿須加の屋敷に招いた。
これは、結月と冬弥君の顔合わせも兼ねてのことだが、直接、結月に婚約者を紹介することで、結月に有無を言わさず認めさせるためでもあった。
結月は、賢い子だから、場の空気は、しっかり読み取れるだろう。
だから、婚約者を前に、嫌だなんて言うはずがないと高を括っていて、洋介は、結月に婚約のことを何一つ話すことなく、いきなり冬弥君を、婚約者として紹介した。
「嫌です! 私、結婚なんてしたくありません!」
だけど、そんな私たちの想像を、結月は裏切った。
これまで、一切わがままを言わず、従順だった結月が、初めて私たちに反抗したのだ。
しかも『好きな人がいるから、結婚できない』と言っていて、その言葉には私も驚き、同時に親友の前で恥をかかされた洋介は、結月の頬を引っぱたいた。
正直、手をあげたのは頂けなかった。
もし、これをきっかけに、身体的な虐待に発展したら、何があっても止めないといけない。
でも、結月は負けじと洋介を睨み付け、その手を振り払い、部屋から飛び出した。そして、それを冬弥君が追いかけて行ったのが見えた。
頬をはたかれただけで済み、私はほっとしていると、洋介は幸蔵に謝り、結月の非礼を詫びた。
だが、婚約の話が上手くいかなくなるのは、私としてはありがたいことだった。
だけど、その矢先、悲劇は起こってしまう。
「お嬢様!!」
白木の声を聴いて駆けつけると、階段の下では、結月が頭から血を流して倒れていた。
一気に血の気が引いた。
娘の痛々しい姿に、目の前が真っ白になった。
白木の話では、冬弥君が突き飛ばしたらしく、結月が病院に運ばれたあとは、大変な事態となった。
もちろん、餅津木家との縁談は、このまま破談になるのだと思っていた。だが、洋介は友人の顔をたてたのか、破談にはしないと言ってきた。
「何言ってるのよ! 冬弥は、結月に怪我をさせたのよ! そんな子と結婚させるつもり!?」
「そう目くじらを立てるな! 冬弥君だって、わざとやったわけじゃないんだ! それに、ここで餅津木家に貸しを作っておけば、この先、優位に立てる!」
「優位にって……っ」
年齢を重ねるにつれて、打算的になってきたのは、洋介が、阿須加家に毒されだした証拠なのかもしれない。
一族のために、洋介は、餅津木家の不祥事を利用しようと考えていた。確かに位的には、明らかに阿須加家の方が上だし、餅津木家は、見捨てられないよう、こちらの言うことには、何でも従うだろう。
だが、洋介が破談にしないせいで、犠牲となってしまった者がいた。
それが、結月のナースメイドである白木 真希だった。
なぜなら、白木は、冬弥くんが結月を突き飛ばした瞬間を目撃した、唯一の人間だったから。
「なぜ、私が解雇なのですか!? 本当に、冬弥様が、お嬢様を突き飛ばして……!」
「うるさい! 冬弥くんは、突き飛ばしてないと言ってるんだ! それに、あの結月が、僕らに反抗してきたのは、全て、お前の教育のせいだろう!」
「そんな……ッ」
「分かったら、すぐに荷物をまとめて出ていけ!」
「お、お待ちください! せめて、お嬢様が目を覚ますまで、ここに居させてください! お願いします!」
必死に頭を下げ、泣きじゃくる白木は、正直、見ていられなかった。
でも、洋介がこうなってしまったのも、きっと私のせいで、この先、何があっても、洋介の味方でいようと心に決めていた。
私には、あの日、洋介を裏切ってしまった負い目があるから──
「白木、いい加減にしなさい。これは、あなたのためでもあるのよ」
「私のため?」
「そうよ。もし、このまま結月が目を覚まさず、万が一のことがあったら、あなた責任とれるの?」
「……せ、責任?」
「そうよ。結月は、阿須加家の大事な跡取り娘なの。そんな子を、死なせたとなれば、メイド失格どころか、一族総出で償わなければならなくなるわよ。なら、今のうちに出て行ったほうが懸命だと思うけど。あなたにも、親や兄妹がいるでしょう?」
「……ッ」
家族をたてに脅迫すれば、白木は白魔のように荒れ狂い、その後、泣き崩れた。
結月を守れなかった自責の念と、家族を犠牲にはできないという、やるせなさ。そんな負の感情が濁流のように押し寄せ、苦しんでるようにも見えた。
でも、白木は、最後の最後まで、結月を守ろうとしていた。まるで娘を守る母親みたいに──
「どうして……そこまで酷いことができるのですか? 私は嘘などついておりません! 本当に冬弥様が突き飛ばして……それに、本当にこのまま冬弥様をお嬢様の夫にするおつもりなのですか!? 自分を突き飛ばした相手と結婚させられるなんて、あんまりではありませんか!? どうして、もっとお嬢様を、大切にして下さらないのですか……お嬢様が、どれだけお二人に、愛されたいと願っているか……っ」
ずっと傍で見てきたからこそ、白木には、結月の気持ちが、よく理解できたのかもしれない。
泣きながら話す白木の言葉は、とても切実で、そして、その問いかけは、私の心にも、深く突き刺さった。
「お願いです……出て行けと言うなら従います……でも、どうか、お嬢様に優しくしてあげてください……お願いします……お願いします……こんなことを続けていたら、いつか嫌われてしまいますよ……っ」
白木は、私たちに何度も懇願した。
結月のために、土下座までして。
でも、そんなの分かってた。
いつか嫌われてしまうことくらい、よく分かってた。
むしろ、それを望んでいるのだ。
だから、好きなだけ嫌えばいい。
恨んで、恨んで、恨みまくって、いつか捨ててしまえばいい。
こんな最低な親なんて──
「別にいいわ。どんなに嫌われようが、結月が、阿須加一族に、逆らうことはできないんだから」
その後、ハッキリ吐き捨てれば、白木は、結月の未来を思い、再び泣き崩れた。
今の私は、まるで悪魔のようだろう。
娘の幸せなんて、何一つ考えてない、冷酷で残酷な悪魔。
でも、それでいい。
優しさや愛は、すべて箱の中に閉じ込めておけばいい。
見えないように、隠してしまえばいい。
そうしないと、結月は、私たちを捨てられないから。
✣✣✣
その後、白木は、阿須加家を解雇された。
結月に挨拶一つできず、屋敷を追い出された彼女は、最後まで結月飲みを案じていた。
そして、それから一週間がたち、やっと結月が目を覚ました。
だが、目覚めた時、結月は、約半年分の記憶を全て失っていた。
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