261 / 289
最終章 箱と哀愁のベルスーズ
箱と哀愁のベルスーズ ⑲ ~ 悪しき風習 ~
しおりを挟む「え? 私が行くの?」
「はい。旦那様は、先方との取引の件で、現在、出張中でございます。ですから、代わりに奥様に行って窘めてきて欲しいと、旦那様より連絡がありました」
「…………」
洋介からの突然の指示に、私は黙り込んだ。
なんでも二週間程前に、うちのホテルの従業員が、川に落ちて事故死したらしい。
だが、それが事故ではなく、自殺ではないかと、従業員たちは騒いでいるようで、これ以上、妙な噂が広まらないよう、早めに対処して来てくれとのことだった。
だが、私は義兄に呼び出されたあの時以来、そのホテルにはいっていなかった。
もう、10年は足を踏み入れていない場所だ。
それに、なによりも気がかりなのは
(あの男、まだ、あのホテルで働いているのかしら?)
あの時、一度だけ関係を持った男。
お互いに名前すら知らず、後腐れのない関係ではあったが、やはり、鉢合わせしたとすれば、気まづくはなってしまう。
「どうしても、私が行かなきゃいけないの?」
「はい。奥様以外に、適任者はいないかと」
「………はぁ」
戸狩の言葉に、私は深くため息をつく。
日頃、経営には携われないのに、こんな時ばかり、社長の妻として借り出される。
だが、社員たちから、あらぬ噂が広まれば、それこそ厄介で、私は渋々ホテルまで向かうことにした。
✣✣✣
「──というわけで、これ以上、この件について口外しないように」
その後、ホテルに到着した私は、従業員達に釘を刺した。これ以上、余計な噂を広めないよう厳しく念押しすれば、社員たちは、皆、黙り込んでいた。
だが、幸いだったのが、あの男の姿がなかったこと。
もう、辞めてしまったのか?
たまたま、休みだったのか?
10年も前にあった男が、今どうなっているかなんて、調べようもないが、会わずにすんだことには酷くホッとして、同時に、どっと疲れが襲ってきたからか、帰りのロビーでは、同行した戸狩が、優しく労いの言葉をかけてきた。
「大変な役回りでしたね。お察しいたします」
「そうね。もう二度としたくないわ。それより、亡くなった従業員の家に、香典は届けたの?」
「はい。従業員一同としたため、主任が通夜に参列したそうです」
「そう……じゃぁ、この件は、もう終わりね」
従業員たちの話を聞けば、亡くなった従業員の名は『望月 玲二』と言うらしい。
このホテルで、コンシェルジュとして働いていた彼は、とても優秀な人で、まさに即戦力とも言えるほど仕事ができる人物だったそうだ。
しかし、その有能さが仇になったのか、コンシェルジュの他に、クラークや受付の仕事も兼任していたらしく、かなりの重労働を強いられていたらしい。
オマケに、先代から続く悪しき風習の餌食にもなっていたらしく、その話を聞いた時は、正直、頭を抱えた。
なぜなら、ホテル内で『自殺かもしれない』と噂されている原因は、まさに、それだったから。
阿須加家は、明治から続く老舗旅館の一族だった。
時代の流れとともに、今はホテル業に姿を変えたが、旅館業を営んでいた古い時代には、お偉い方を相手に、お座敷遊びをする場としても、よく利用されていた。
お座敷遊びとは、芸妓や舞妓などを招き、酒や歌、寸劇などを振る舞い接待をすること。
大旦那様が経営していた頃には、ごくごく、あたり前の接待だが、今考えると、かなり過剰な接待と言わざるを得ない。
だが、旅館業からホテル業へ形を変えたあとも、その風習だけは、なくならなかった。
その接待に味をしめていた上役たちが、それだけは無くせないと猛反対してきたからだ。
だが、当時のような旅館ならともかく、普通のホテルで、芸妓や舞妓を招くのは人目につきすぎる。
そこで、目をつけたのが、ホテルの従業員たちだった。
当時から、阿須加家のホテルには、比較的、見た目のいい者たちが雇われていた。
若くて美しい容姿をした彼らを、ホストやホステスのように扱い、過剰なサービスをさせていたらしい。
だが、その席は、従業員たちにとって、完全に悪い場とも言いがたかった。
なぜなら、招かれるお客様は、常にトップクラスのセレブばかり。出世欲の高い者にとっては、またとないチャンスの場でもあったから。
例えば、接待により、お客様に気に入られれば、そのまま大企業に引き抜かれたり、見初められ名家に嫁ぐ者もいたり。
だからこそ、どんな手を使ってものし上がりたいという者には、ありがたり場でもあり、従業員たちが、等しく反対運動に繰り出さないのも、そんな事情があった。
だが、そのような場が苦手な者にとっては、ただただ苦痛を伴う場でしかなく、きっと、望月という男は、後者だったのだろう。
彼を知る従業員たちは、お酒が苦手なのに無理をして飲んでいたといっていた。
顔立ちがよく、女性にはかなり人気だったらしいが、連日接待に連れ出されれば、仕事にも支障をきたす。
ココ最近は、酷く辛そうで、それでも、お客様の前では、決して、そのような素振りを見せず、明るく接していたらしい。
そして、これが本当に自殺なのだとしたら、とんでもない話だった。
いい加減、この体制を変えなくてはいけない。
だが、先代から続いてきた、あの悪しき風習を、どうやって一掃することができるのか?
いくら、当主になり会社を継いだとはいえ、大旦那様はまだ健在で、私たちは、ただの操り人形でしかなかった。
大旦那様のご友人たちは、役員として上部に立っているし、口答えすらできないし、何より、意思の弱い洋介には、このホテルの体制を変えなんて、できるはずもなかった。
結局、力ある者に、人は屈してしまう生き物で、それは、阿須加家の当主である、私たちも同じだった。
だからこそ、今できることは、上役たちの逆鱗に触れぬよう、従業員たちに釘を刺すことくらい。
その風習のせいで自殺したなんて噂が広まれば、今度は、それを広めた者たちが罰せられてしまうから。
だから、私はしっかり口止めをした。
すると、従業員たちは、当然のごとく口を噤み、事態を察してくれたようだった。こういう時、大人たちは聞き分けがいいから助かる。
だが、子供は、そうではないらしい。
「お前たちが、殺したんだろ!!」
それは、私がホテルのフロントまで来るなり『人殺しだ』と罵ってきた子供がいた。
それは、今まさに噂されていた『望月 玲二』の息子だった。
1
お気に入りに追加
58
あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。


セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる