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最終章 箱と哀愁のベルスーズ
箱と哀愁のベルスーズ ⑱ ~ メイド ~
しおりを挟む「私の名前で検査にだせば、奥様が調べたなんて、誰にも気づかれません」
そう言って、真摯に向き合おうとする戸狩に、自然と涙が溢れ出した。
そんな面倒事を、わざわざ引き受けようとしてくれる。でも私は、洋介の子じゃないから、結月を虐げてるわけじゃなかった。
義兄とは何もなかった。
だって、あの人が、助けてくれたから。
そして、自分から望んだんだ。
あの男に、子供を授けて欲しいと自分からせがんだ。
だから、どちらの子供かなんて関係なくて、結月が、大切なことにも変わりはなかった。
だから、仮に洋介の子だと判明しても、私が結月を苦しめることに変わりはない。
だってそれが、あの子を自由にするために選んだ、私の愛情だから──
「必要ないわ……っ」
「奥様!」
「いいって言ってるの!! それで、もし洋介の子じゃないって、ハッキリわかったら、どうするのよ!! 怖いの……知りたくないの……だから、調べなくていい! もう二度と、そのことは、口にしないで!」
有無を言わさず命令すれば、戸狩は、苦虫を噛み潰したような表情をうかべ、黙り込んだ。
きっと、結月が、洋介の子だとハッキリすれば、私が結月を虐げる理由はなくなると思ったのかもしれない。
戸狩は、私のことも結月のことも、助けようとしてくれたのかもしれない。
でも、私の意思は、この先も変わらない。
変えられない。
例え、洋介の子だったとしても──
「奥様……っ」
でも、私が必死に拒絶すると、戸狩は、震える私の手を握りしめながら
「申し訳ありません……あの時、私が、奥様を一人でいかせたりしなければ」
「……っ」
戸狩は、深く頭を下げながら泣きだして、私は言葉に詰まらせた。
「なんで……あなたが謝るのよ……っ」
その後は、二人一緒に、しばらく泣いていた。
謝る戸狩の声に、すすり泣く私の声が重なる。
でも、こうして、私のために泣いてくれたのが、不思議と嬉しかった。
一人で抱えてきた思いを、受け止めて寄り添って、泣いてくれた。
でも、そんな戸狩も、それから数ヶ月後、事故で亡くなってしまう。
たった一人の娘だけを残して──
✣
✣
✣
「奥様。今日は、わざわざお越しくださり、ありがとうございました」
戸狩は、春の風が吹き始めた頃、突然亡くなった。
夫が運転する車で、阿須加家の屋敷に向かっている最中でのことだったらしい。
夫婦ともに乗っていた車に、トラックがつっこんできて、戸狩夫婦は、非業《ひごう》の死を遂げた。
使用人の死は、初めてのことだった。
普段なら、当主の妻が、直接赴くことはないが、戸狩の葬儀には、自然と足が向いた。
これは戸狩が私に、誠心誠意、尽くしてくれていたからかもしれない。
葬儀に顔を出せば、そこは、とても質素な民家で、私が来るには、あまりにも場違いな場所だったけど、その輪の中に顔を出せば、私が阿須加家の人間だと、ひと目で気づいたらしい。戸狩の親類たちが、深々と頭を下げてきた。
「こんな所まで、わざわざ起こしくださるなんて、ありがとうございます」
「いいえ。夏子さんには、とても良くして頂きました。この度は、ご愁傷さまでございます」
和室の中で、お互いに頭を下げれば、親類たちは、入れ替わり立ち代り、私に挨拶にきた。だが、その傍らでは、別の親族たちが話している声が、微かに聞こえてきた。
「ねぇ、真波ちゃん、どうするの?」
「両親ともに亡くなったんだぞ。誰かが引き取るしかないだろう」
「でも、誰かって」
その内容は、戸狩の娘の話をしているらしかった。
そして、その部屋の奥に目を向ければ、両親の遺影を目しながら、呆然と座り込む娘の姿があった。
長い黒髪をした、中学生くらいの女の子。
生真面目そうな顔つきをした彼女は、戸狩とは違うスレンダーな体格をしていて、ぽっちゃりとして陽気な母親とは、まるで正反対だった。
(確かに……戸狩とは、あまり似てないわね)
昔、戸狩と話した、何気ない会話を思い出す。
戸狩は、とても愛しそうに娘の話をしていた。
「ねぇ、あなた」
すると、私は娘の元に行き、声をかけた。
娘は、ゆっくりと私を見上げると
「……どちら様ですか?」
「阿須加家の者です」
「あぁ……阿須加家、母が、お世話になっておりました」
そう言って、三つ指をついて頭を下げてきた娘は、どこか虚ろな表情をしていた。
無理もない。両親を同時になくしたのだから。
「名前は、なんていうの?」
「……真波てす」
「行く宛はあるの?」
「わかりません。多分、親戚の家を、たらい回しにされるかと」
「そう……」
うら若い娘が、親族の家をたらい回しにされる。
そんなこと、戸狩は望んでいなかっただろう。
まだ、人のいい親族に引き取られればいいが、先程の話を聞く限り、皆が押し付け合うような感じだった。
仮に、引き取り手があったとしても、下手をすれば、無一文でこき使われる日々がはじまる。
(なんで、亡くなったのよ、戸狩……っ)
戸狩が、いなくなったことに、虚しさを覚えた。
まるで、ぽっかりと穴でも空いたように。
私は昔、戸狩に『娘をちょうだい』をいったことがあった。でも、戸狩は言ったのだ。
子どもだけは、何があっても手放せないと。
それなのに、なんで戸狩は、娘を1人残し、こんなにも早く逝ってしまったのだろう?
「行く宛てがないなら、うちに来なさい」
「え?」
「雇ってあげるわ。母親の代わりに」
「…………」
私が、そう言えば、娘は少し驚いた顔をしていた。
でも、選択肢は、一つでも多い方がいいと思った。
「うちなら、給料もでるし、住み込みでも働けるわ。決して楽な仕事ではないけれど、阿須加家の使用人になれるのは、誇らしい事よ。それに、親戚の家をたらい回しにされるよりはいいでしょ。あなたにその気があるなら、私専属のメイドとして、雇ってあげるわ」
葬儀の席で、こんな話をして、戸狩は怒るだろうか?
でも、放っておけなかった。
戸狩が大切にしていた子を、このまま、見捨てたくなかった。
すると娘は、私に向かって、改めて頭を下げると
「よろしくお願いします、奥様」
そう言って、あっさりメイドになることを選んだ。
✣
そして、それから、一ヶ月も立たぬうちに、戸狩の娘は、阿須加家にやってきた。
元々、両親と暮らしていた家は借家だったらしく、実家を手放したのと同時に、娘は、ごく最小限の荷物だけ手にし、私の元にやってきた。
名前は、戸狩 真波。
まだ、15歳だったが、高校には行かず、そのまま母親の代わりとして、私専属のメイドになった。
なにより、戸狩は、とても優秀な娘だった。
仕事を覚えるのも早かったし、機転も利く。
ただ、母親と違って、とても無口な娘だった。
黙々と仕事をこなし、母親のように、私や洋介に反論することなど、一切ない。
だが、これに関しては、口答えをしたら追い出されるとでも思っていたのかもしれない。
身寄りがなく、阿須加家に住み込みで働いていた戸狩にとって、この場所は、唯一の場所でもあったから。
でも、母親と違い、口煩くない彼女の傍は、少し物足りないながらも、案外居心地がよく、その優秀さと相まって、戸狩は、いつしか、私のお気に入りになった。
だが、それから二年ほどがたち、結月が10歳になった頃
「婚約者?」
ついに、結月に婚約者を宛てがうという話が舞い込んできた。
2月の寒い季節だ。洋介は、餅津木家との縁談の話を、意気揚々と報告してきた。
「あぁ、僕の友人である幸蔵くんの息子だ。名前は、冬弥くん。結月の二歳年上で、年齢的にもちょうどいいだろう」
「でも、餅津木家は、さして名家というわけではないでしょう? それに、結月はまだ10歳よ。いくらなんでも早すぎるわ」
「でも、餅津木家は、これから更に大きくなる優秀な企業だ! なにより、お父様が、餅津木家の将来性を買って、結月の夫にしても言ってくださったんだ! それに、今から、正式に婚約をさせておけば、結月が18になる頃には、お互いの仲も深まっているだろう」
婚約の話は、私にとっては、全く良い話しではなかった。オマケに、この頃は、たて続けに、厄介な話が舞い込んで、頭がパンクしそうだった。
洋介は、婚約者の話を持ち出してくるし、結月は、猫を飼いたいだなんていいだすし。
でも、その中でも一番厄介だったのは、ホテルの従業員が事故死したという話だ。
「自殺ではないか」と騒ぐ従業員達を宥めるために、私は久しぶりに、例のホテルまで行くことになった。
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