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最終章 箱と哀愁のベルスーズ
箱と哀愁のベルスーズ ⑮ ~ 箱 ~
しおりを挟む大切なものは『箱』の中に隠しておこう。
誰にも見られないように
誰にも壊されないように
大切に大切に、しまっておこう。
だって、その屋敷の中は、きっと、どこよりも"優しい場所"だから――
✣✣✣
「奥様。お嬢様は、とても聡明にお育ちにございます」
それから、数年がたち、結月が7歳になった頃、当時、執事をしていた宮野という老紳士が、別邸にくるなり、そう告げた。
宮野は、もう50を過ぎた執事で、私たちが、本館にいたことから仕えている執事だった。
先代から、阿須加家の当主に仕えてきた古株の執事。
だが、その彼も歳をとり、数年後には、引退するのだろう。だが、年老いても執事としての仕事は抜かりなく、彼は、定期的に別邸に足を運んでは、こうして結月のことを、私に報告してくれた。
まぁ、これに関しては『どんな小さなことでもいいから、報告しろ』と、私が命令していたのもあるけど……
「先日は、ご入学後、初めてご学友ができたそうで、嬉しそうに報告してくださいました」
「そう、どこの子なの?」
「和菓子メーカー・京楽屋のご息女でごさいます」
「京楽屋……なら問題なさそうね。学校への送り迎えは、斎藤がやってるの?」
「はい。車内では、毎日、学校での様子を語っておられるそうです」
「そう。楽しくやってるみたいね」
本館の使用人たちは、皆、私の命令をしっかりと守ってくれた。だから、離れて暮らしていても、結月の様子は、ある程度、把握できた。
でも、結月が小学校に入学して、三ヶ月。
桜咲く入学式の日、名門校の制服に身を包んだ結月は、とても可愛いかった。
しかし、あの入学式以来、私は結月とは会っておらず、あの愛らしい姿を、毎日のように目にできる白木や斉藤たちが、羨ましいと思った。
私たちが、普通の家族だったら、毎朝、手を振って送り出すこともできたのかもしれない。
でも、一度決めたことを、今更、覆すつもりはなく、あの場所に、私が加わることはないと、何度と言い聞かせた。
あの屋敷は、結月にとって、優しい場所じゃなきゃいけない。
だから、結月の傍に仕える使用人たちは、皆、心根の優しい者たちを取り揃えた。
穏やかで、情に厚そうな者たちを選び、結月が、あの箱の中では、落ち着いて健やかに暮らせるようにしよう。
だから、私は、できる限り、あの屋敷には近づかず、洋介にも行かせなかった。
あの屋敷には、おとぎ話に出てくるような、イジワルな継母もいなければ、命を狙う悪者もいない。
だって、悪者は、みんな屋敷の外にいるのだ。
だから、あの屋敷の中にいれば、安心だ。
あの子を傷つける人間は、私たちだけで十分だ。
でも、どんなに守りたくても、時折、あの箱の中から出さなければならないことがあった。
それは、毎年恒例ともいえる新年の集まりの時──
✣✣✣
「明けましておめでとうございます、お爺様」
一月一日──元旦を迎えた、その日は、必ずと言っていいほど、大旦那様の元に、一族が集まることになっていた。
そして、その席に、当主である一家が欠席するわけにはいかず、私たちは、結月と数人のメイドや執事と共に、大旦那様の元にやってきた。
できるなら、結月を阿須加家の人間にあわせたくなかった。でも、一族の習わしをねじ曲げるなんてできるはずもなく、今日だけはと、毎年、腹をくくって連れ出した。
「結月、この一年で、また大きくなったなぁ」
「はい。お爺様も、お元気そうで、何よりでございます」
桜柄の晴れ着をまとった結月は、幼いながらに、もう立派な淑女だった。
着物を着た時の作法や振る舞い方、それも全て、屋敷の執事やメイドたちから教わったのだろう。
大旦那様の前で、三つ指を揃え、美しく頭を下げる姿は、この先、当主の妻になるに相応しい奥ゆしさがあった。
いずれ、阿須加家の当主になる男を、婿として引き込むためには、結月が、それ相応の女にならなくてはならない。
きっとこの瞬間、一族中が、結月に注視していた。
結月の振る舞いに、ひとつでもおかしな点があれば、すぐに誰かが指摘してくる。
でも、結月は、その視線にしっかりと答え、模範のような挨拶をして見せた。
それには、大旦那様も機嫌よく笑いだし、張り詰めた空気は、たちどころに和らぎ、室内を高揚させる。
「この年で、このような振る舞いができるとは、しっかり躾ているようだな、洋介」
「ありがとうございます、お父様」
大旦那様の言葉に、洋介が、誇らしげに返事をした。
私はその隣で、少しばかり呆れていた。
躾たのは、一体誰なのか?
どう考えても、私たちではない。
私たちは、屋敷の外から結月を眺め、厳しく注意していただけ。
結月は、厳しい両親に、祝いの席で怒られないよう、常日頃から、礼儀作法に気を配っていたにすぎず、結月がこのように聡明で賢く育ったのは、全て結月の頑張りによるものだ。
でも、この場で、否定なんてするのもおかしな話で、それこそマナー違反。
なにより、結月が褒められば、私も嬉しかった。
親らしいことなんて、なにもしてないのに、娘の成長には、喜びと誇らしさを感じた。
だけど、問題は、その後だった。
一族との宴が佳境を迎えた頃、私たちと共に居たはずの結月が──忽然と姿を消したのだ。
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