250 / 289
最終章 箱と哀愁のベルスーズ
箱と哀愁のベルスーズ ⑧ ~ 限界 ~
しおりを挟む「ご家族は? どなたか、迎えには来れますか?」
「…………」
男に、そう言われ、私は、この後のことを考えた。
ロビーには、戸狩を待たせていた。
だから、呼び出すのは簡単だった。
でも、服や髪は乱れたままで、こんな粗末な姿を見られるのは嫌だった。なにより、義兄と何かあったと勘ぐられたら、どうすればいいのだろう?
(これから、どうしよう……?)
戸狩に、話すべきかを考える。
味方がいた方が、心強い。
だけど、戸狩は、まだ屋敷に来たばかりの新しいメイドで、そんな重要なことを相談できるほどの信頼は、まだなかった。
(上手く誤魔化して、誰にも知られないようにしなきゃ……っ)
全て、一人で抱えこむしかなかった。
誰にも知られることなく、たった一人で。
だけど、義兄に襲われたのは、間違いない事実で、そして、今回のことに関しては、まだ何も解決していなかった。
警察沙汰には、できない。
だけど、ここで泣き寝入りをすれば、義兄が、また襲ってくる可能性があった。
私が、"大ごとする気がない"のだと分かれば、義兄にとっては都合がいい。
むしろ、大ごとに出来るわけがないと踏んでいたからこそ、あんなことを強行してきたのかもしれない。
「ぁ、いや……ッ」
すると、この恐怖は、まだ終わりではないのだと気づいて、私はの身体は、ガタガタと震えだした。
なにより、また襲われたら、次は逃げられるだろうか?
今回は、運良く助けてもらえた。
だけど、次も助かるとは限らない。
そして、助からなかったら、私は──
「っ、いやああぁぁぁ!」
その瞬間、先ほどのことがフラッシュバックして、私は、頭を抱えて、泣き崩れた。
怖くて、仕方なかった。
身体には、義兄に触れられた時の感触が、ハッキリと残っていて、頭がおかしくなりそうだった。
「嫌! いやッ、もう……いやぁぁ」
「落ち着いてッ」
すると、床に崩れ落ちそうになった私を、男が、とっさに抱き支えた。
怪我をしないように、暴れる体を必死に抱き抱えた彼は、私を落ち着かせようと、優しく声をかけてくる。
「大丈夫ですよ。ここには、俺たちしかいません。だから、落ち着いて……今は、ゆっくりと、息をしてください」
「ふ、……はっ…ぁ……っ」
泣きながら抱きついて、男の腕の中で、呼吸を整える。
男の服は、ダークグレイのシックな制服だった。
ホテルマンらしいその身なりは、洋介とは全く違う。
だけど、今日会ったばかりの、名前すら知らない男に、どうして、こんなにも安心しているのだろう?
彼の声や香りは、震える身体は、少しずつ落ち着かせ、呼吸を整えていく。
だけど、それとは相反して、不安は全く消えなかった。
だって、何も変わらない。
それどころか、更に辛い現実がやってくる。
10年も子供に恵まれず苦しんだのに、これからは、義兄にも、脅えながら生きていかなきゃいけない。
「もぅ、いや……っ」
もう、嫌だった。何もかもが──
どうして、こんな目にあわなきゃいけないの?
子供が出来ないのは、そんなにいけないこと?
私だって、努力した。
子供を授かれるよう、体を冷やさないようにしたり、食べ物にも気を使って、試せることは、何だって試したし、やれることは、全てやった。
それこそ、やり尽くしたくらいに──
それなのに
どんなに待っても
どんなに願っても
私たちの元に、子供は来てくれない。
「ぅう、あ"ぁぁぁぁぁ……ッ」
さまざまなものが限界を迎え、私は、また涙を流し、泣きわめいた。
終わりのみえない恐怖が、淀みなく押し寄せる。
変わらない現実。
終わらない苦痛。
だけど、どうすることも出来なかった。
嫌なのに、なにも変えられない。
この苦しみと恐怖は
いつまでたっても、終わることがない。
そう、私が
子供を産まない限りは──
「ぅ、……ぅう……ひく……っ」
それから暫く、私は、男の腕の中で泣き続けていた。
ホテルの外からは、明るい光が差し込んでいて、まるで、この重苦しい空気を浄化するかのようだった。
最上階にあるスイートルーム。
きっと、この部屋の眺めは、最高だったと思う。
だけど、澄み渡る空も、美しく着飾られた室内も、私の目にはかすりすらせず、私は、ただひたすら泣き続けた。
ベッドに腰かけ、男に抱きしめられたまま。
そして、どのくらいの時間が経ったのだろう?
暴れる声は、いつしか、すすり泣きく声に変わり、幾分か落ち着いた私を見て、男が静かに、謝罪の言葉を投げかけてきた。
「申し訳ありません。余計なことを言いました」
穏やかな小波のような声が、私の耳に入りこむ。
きっと『これから、どうするか?』そう聞いたことを、謝っているのかもしれない。
確かに、男がそう言ったあと、私は、またパニックになった。
でも、彼は悪くない。
私が、勝手に思い出しただけだから。
だけど、優しい彼は、それを酷く反省してるようで、再度、私に謝ってきた。
「本当に、申し訳ありません……貴女の気持ちもよく理解せずに……落ち着くまで、傍にいますので、焦らず、ゆっくりしてください。それに、何かしてほしいことや頼みたいことがあれば、遠慮なく仰ってください」
「…………」
男は、本当に優しい人だった。
そして、私は、そんな彼の優しさに、漬け込んだ。
「けつえき……がた」
「え?」
「血液型は……何型?」
「……血液型? 俺のですか?」
「うん、教えて……あなたは……A型?」
ぽつり、ぽつりと呟いた声は、酷く虚ろだった。
もしかしたら、気が狂ったと思われたかもしれない。だけど男は、多少戸惑いつつも、素直に答えてくれた。
「……A型ですが」
その返答を聞いて、私は、無意識に唇を噛み締めた。
別に、狂った訳じゃない。
だけど、もう、これしかないと思った。
この苦しみから、逃れるためには──
「頼みごと……聞いてくれるのよね……?」
「はい」
決して、逃がさないように、私は、彼の制服をきつく握りしめる。
そして、泣きながら、彼を見つめた。
もう、限界だった。
これ以上、苦しみたくない。
何もかも、終わりにしたい。
だから──
「私に、あなたの子供をちょうだい?」
0
お気に入りに追加
58
あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。


セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる