お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

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最終章 箱と哀愁のベルスーズ

箱と哀愁のベルスーズ ⑧ ~ 限界 ~

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「ご家族は? どなたか、迎えには来れますか?」
「…………」

 男に、そう言われ、私は、この後のことを考えた。

 ロビーには、戸狩とがりを待たせていた。
 だから、呼び出すのは簡単だった。

 でも、服や髪は乱れたままで、こんな粗末な姿を見られるのは嫌だった。なにより、義兄と何かあったと勘ぐられたら、どうすればいいのだろう?

(これから、どうしよう……?)

 戸狩に、話すべきかを考える。

 味方がいた方が、心強い。
 だけど、戸狩は、まだ屋敷に来たばかりの新しいメイドで、そんな重要なことを相談できるほどの信頼は、まだなかった。
 
(上手く誤魔化して、誰にも知られないようにしなきゃ……っ)

 全て、一人で抱えこむしかなかった。

 誰にも知られることなく、たった一人で。

 だけど、義兄に襲われたのは、間違いない事実で、そして、今回のことに関しては、まだ何も解決していなかった。

 警察沙汰には、できない。

 だけど、ここで泣き寝入りをすれば、義兄が、また襲ってくる可能性があった。

 私が、"大ごとする気がない"のだと分かれば、義兄にとっては都合がいい。

 むしろ、大ごとに出来るわけがないと踏んでいたからこそ、あんなことを強行してきたのかもしれない。

「ぁ、いや……ッ」

 すると、この恐怖は、まだ終わりではないのだと気づいて、私はの身体は、ガタガタと震えだした。

 なにより、また襲われたら、次は逃げられるだろうか?

 今回は、運良く助けてもらえた。
 だけど、次も助かるとは限らない。

 そして、助からなかったら、私は──

「っ、いやああぁぁぁ!」

 その瞬間、先ほどのことがフラッシュバックして、私は、頭を抱えて、泣き崩れた。

 怖くて、仕方なかった。

 身体には、義兄に触れられた時の感触が、ハッキリと残っていて、頭がおかしくなりそうだった。

「嫌! いやッ、もう……いやぁぁ」

「落ち着いてッ」

 すると、床に崩れ落ちそうになった私を、男が、とっさに抱き支えた。

 怪我をしないように、暴れる体を必死に抱き抱えた彼は、私を落ち着かせようと、優しく声をかけてくる。

「大丈夫ですよ。ここには、俺たちしかいません。だから、落ち着いて……今は、ゆっくりと、息をしてください」

「ふ、……はっ…ぁ……っ」

 泣きながら抱きついて、男の腕の中で、呼吸を整える。

 男の服は、ダークグレイのシックな制服だった。
 ホテルマンらしいその身なりは、洋介とは全く違う。

 だけど、今日会ったばかりの、名前すら知らない男に、どうして、こんなにも安心しているのだろう?

 彼の声や香りは、震える身体は、少しずつ落ち着かせ、呼吸を整えていく。

 だけど、それとは相反して、不安は全く消えなかった。

 だって、何も変わらない。

 それどころか、更に辛い現実がやってくる。

 10年も子供に恵まれず苦しんだのに、これからは、義兄にも、脅えながら生きていかなきゃいけない。

「もぅ、いや……っ」

 もう、嫌だった。何もかもが──

 どうして、こんな目にあわなきゃいけないの?

 子供が出来ないのは、そんなにいけないこと?

 私だって、努力した。

 子供を授かれるよう、体を冷やさないようにしたり、食べ物にも気を使って、試せることは、何だって試したし、やれることは、全てやった。

 それこそ、やり尽くしたくらいに──

 
 それなのに

 どんなに待っても

 どんなに願っても


 私たちの元に、子供は来てくれない。



「ぅう、あ"ぁぁぁぁぁ……ッ」

 
 さまざまなものが限界を迎え、私は、また涙を流し、泣きわめいた。

 終わりのみえない恐怖が、淀みなく押し寄せる。

 変わらない現実。
 終わらない苦痛。

 だけど、どうすることも出来なかった。

 嫌なのに、なにも変えられない。


 この苦しみと恐怖は

 いつまでたっても、終わることがない。



 そう、私が



 子供を産まない限りは──






「ぅ、……ぅう……ひく……っ」

 それから暫く、私は、男の腕の中で泣き続けていた。

 ホテルの外からは、明るい光が差し込んでいて、まるで、この重苦しい空気を浄化するかのようだった。

 最上階にあるスイートルーム。
 きっと、この部屋の眺めは、最高だったと思う。

 だけど、澄み渡る空も、美しく着飾られた室内も、私の目にはかすりすらせず、私は、ただひたすら泣き続けた。

 ベッドに腰かけ、男に抱きしめられたまま。

 そして、どのくらいの時間が経ったのだろう?

 暴れる声は、いつしか、すすり泣きく声に変わり、幾分か落ち着いた私を見て、男が静かに、謝罪の言葉を投げかけてきた。

「申し訳ありません。余計なことを言いました」

 穏やかな小波さざなみのような声が、私の耳に入りこむ。

 きっと『これから、どうするか?』そう聞いたことを、謝っているのかもしれない。

 確かに、男がそう言ったあと、私は、またパニックになった。

 でも、彼は悪くない。
 私が、勝手に思い出しただけだから。

 だけど、優しい彼は、それを酷く反省してるようで、再度、私に謝ってきた。

「本当に、申し訳ありません……貴女の気持ちもよく理解せずに……落ち着くまで、傍にいますので、焦らず、ゆっくりしてください。それに、何かしてほしいことや頼みたいことがあれば、遠慮なく仰ってください」

「…………」

 男は、本当に優しい人だった。
 そして、私は、そんな彼の優しさに、漬け込んだ。

「けつえき……がた」

「え?」

「血液型は……何型?」

「……血液型? 俺のですか?」

「うん、教えて……あなたは……A型?」

 ぽつり、ぽつりと呟いた声は、酷く虚ろだった。

 もしかしたら、気が狂ったと思われたかもしれない。だけど男は、多少戸惑いつつも、素直に答えてくれた。

「……A型ですが」

 その返答を聞いて、私は、無意識に唇を噛み締めた。

 別に、狂った訳じゃない。

 だけど、もう、これしかないと思った。

 この苦しみから、逃れるためには──


「頼みごと……聞いてくれるのよね……?」

「はい」

 決して、逃がさないように、私は、彼の制服をきつく握りしめる。

 そして、泣きながら、彼を見つめた。


 もう、限界だった。

 これ以上、苦しみたくない。

 何もかも、終わりにしたい。


 だから──





「私に、あなたのをちょうだい?」






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