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最終章 箱と哀愁のベルスーズ
箱と哀愁のベルスーズ ⑦ ~ 息子 ~
しおりを挟む「お客様、大丈夫ですか?」
それからしばらくし、泣きはらした私は、ベッドの上に腰かけていた。
私の必死の頼みもあってか、男は、警察にとどけることはせず、その後も、私に付き添ってくれた。
だけど、涙は止まっても、身体の震えは一向に止まらず、そして、そんな私の姿を、男は心配そうに見つめていた。
「何か温かい飲み物でも、お持ちいたしましょうか?」
「いら、ない……だから、もう少し……ここにいて……っ」
私が首を振り、離れることを拒めば、男は素直に受け入れた。
それに、どうやら彼は、私が阿須加家の人間だとは、気づいていないようだった。
でも、知らないのは当然かもしれない。
女である私は、会社経営には全く関わらせては貰えなかったし、洋介がいるホテルに行くことはあっても、こちらのホテルに来ることは、全くなかった。
それに、長次郎のことですら、彼は阿須加家の人間だと気づいていないのだろう。部屋に駆け込んできた時、彼は義兄のことも『お客様』と言っていたから。
だけど、知らないなら、その方が良かった。
阿須加家で不祥事が起きたと思われるよりは、お客様同士のトラブルとして有耶無耶になった方が、ずっといい。
だから、決して名乗ることなく、あちらの名を聞くことすらせず、やり過ごしていた。
でも、仕事中に、いつまでも拘束してしまうことに関しては、多少なりと罪悪感を抱いた。
「ごめんなさい……いつまでも、付き合わせて……仕事は大丈夫なの?」
「はい。そこは、ご心配なさらずに……夜勤明けで、もう業務を終えたあとのことでしたので、貴女が、落ち着くまで、側にいますよ」
そう言って、優しく微笑んだ姿に、縮こまっていた心が、かすかに和らぐのを感じた。
なにより、今の時刻は、午前10時過ぎ。
こんなに時間に呼び出されて、あんなことがおこるなんて、夢にも思っていなかったけど、夜勤明けということは、夜中働いたあとに、今こうして付き合ってくれているということ。
きっと、疲れているだろうし、早く家に帰りたいだろうに、嫌な顔一つせず、寄り添ってくれる。
この世には、義兄のように酷いことをする男もいれば、彼のように、守ってくれる人もいる。
だからか、この時の私が、必要以上に男性に恐怖心を抱かずにすんだのも、きっと、彼のおかげだと思う。
「ありがとう……こんなに良くしてくれて。やっぱり、私が、あなたの奥さんに似てるから?」
落ち着くまでいてくれると聞いて、ほっとした私は、更に問いかけた。する男は、少し驚いた顔をして
「泣いている女性を置き去りにして帰る男は、そうはいないとは思いますが」
「そう、かしら?」
「そうですよ。でも、妻に似ているからと言われたら、それもあるかもしれませんね。あなたが泣いていると、どうにも落ち着きません」
少し困った顔をして、それでいて、どこか愛おしそうに見つめる姿に、私に、妻を重ねているのだとわかった。
そして、それと同時に、彼の妻を、羨ましく思った。
彼は、洋介や長次郎よりも遥かに若く、まだ20代なのは、話せばすぐにわかった。
肌もハリもあって、細いながらも逞しい体躯をしていて、その上、俳優のように整った顔立ちと、サラサラの黒髪。
その姿は、こんな辺鄙な場所のホテルマンにしておくには勿体ないほどの美青年で、こんなにも優しく眉目秀麗の男に愛された女は、きっと幸せだと思った。
なにより彼の妻は、この男の子供まで授かっている。
しかも、男の子を──…
「息子は……可愛い?」
「え?」
そして、なんの脈絡もなく言葉を発すれば、男が、間の抜けた声を発した。いきなり子供の話題をだされれば、困惑もするだろう。
だけど、私が話をふれば、その後、ま私の心を和らげようとでもするように、男は軽い口調で話し始める。
「可愛いですよ。妻が命をかけて、産んでくれた子ですから。家に帰れば、よちよち歩きながら抱きついてきて、本当に、目に入れても痛くないほど可愛くて……ずっと、守っていきたいと思う大切な宝物です」
そう言って、優しい目をした彼は、まさに父親だった。息子のことを、とても可愛がっているのが、よく伝わってきて、ますます、素敵な人だと思う。
「そう。その子は、奥さんに似てるの?」
「いいえ。それが、残念なことに、俺にそっくりで。でも、耳の形だけは、妻によく似てますね」
「耳?」
「はい。そこだけは、本当に妻にそっくりで──」
そう言って微笑んだ彼は、また、妻のことを思い出したのだろう。少し寂しそうだった。
いや、少しではない。
その愁いのある表情が、たまらなく寂しいと訴えているのように見えて、無性に胸が切なくなった。
我が子が生まれたことを喜ぶと同時に、愛しい人を亡くしたのだ。辛くないはずがない。
「それより、これから、どうしますか?」
すると、男が、静かに語りかけてきて、私は隣に座る、彼を見つめた。
「ご家族は? どなたか、迎えには来れますか?」
「…………」
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