お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

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最終章 箱と哀愁のベルスーズ

箱と哀愁のベルスーズ ⑥ ~ 妻 ~

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「今のは、れっきとした犯罪ですよ」

 清廉せいれんな男の声が響けば、辺りはシンと静まり返った。

 引き離され、床に座り込む長次郎は、邪魔をされたのが気に食わないのか、酷く不機嫌そうにしていて、私は、その姿を震えながら見つめていた。

 見ず知らずの男の背に隠れ、義兄の様子を必死にうかがう。すると『犯罪』と言われ、流石におくしたのか、長次郎は、軽く舌打ちした後、その場から逃げ出した。

「待て!」

 そして、逃げた長次郎を、男が追いかけようとする。だけど、そんな男の背広を掴むと

「ま、まって……いか、ないで……っ」

 震える手で、私は必死にすがりついた。

 一人になるのが怖かった。
 誰かにいてほしかった。

 すると、そんな私を見て、ほっとくわけにはいかないと思ったのか、男は義兄を追いかけるのを諦め、私の前に静かに膝をついた。

「お怪我は、ありませんか?」

「な……ないわ……でも、どうして……っ」

「どうして、気づいたのかと仰りたいのですか? 先ほど、部屋の前で、揉めていらしたのを見たもので」

「で……でも、それだけで?」

 たった、それだけで、わざわざ部屋に押し入ってきてくれたのだろうか?

 私が不思議そうにしていると、男は苦笑しながら

「そうですね。それだけ──と、言いたいところですが、正直に言うと、あなたが、私のに、よく似ていたからです」

「……妻?」

「はい。一年前、息子を産んだ次の日に亡くなくなりました。でも、先ほで廊下ですれ違った時、貴女の背格好が、あまりにも妻に似ていたので、思わず、生き返ったのかと思ってしまって……」

 そう言って、悲しそうに目を伏せた男は、先程、義兄を威嚇いかくしていた男とは別人のようだった。

 妻を亡くし、その傷が、まだ癒えてないのか、その表情は、酷く寂しそうで、そして、それと同時に、生き返ったのだと錯覚してしまうほど、彼はその妻のことを愛していたのだと、初対面の私でも、よく分かるほどだった。

(じゃぁ、そのひとに似ていたから、私は助かったのね……っ)

 理由はどうであれ、助けてくれたことに感謝した。知り合いに似ているなどしなくては、きっと、気にかけてはくれなかっただろう。

「ありが、とう……っ」

 そして、改めてお礼をいうが、それと同時に、先程の恐怖がまた舞い戻ってきて、私は震える身体を強く抱きしめた。

 何もかもが、絶望的だった。

 乱暴に組み敷かれて、抵抗すらできず、あのまま犯されていたら、今頃どうなっていただろう?
 
「ぅ……っ」
「大丈夫ですか?」

 すると、再び怯えだした私を見て、男が、また話しかけてきた。

「先ほどの男は、知り合いですか?」

「し……知り合い」

「そうですか……では、今から警察を呼びますので、あの男のことを詳しく話してください。そうすれば、すぐに捕まりますよ」

「え?」

 すぐに捕まる──それは、私を安心させようとして言ってくれだのだと思った。

 あんなことをされたのだ。
 警察に届けた方がいいに決まってる。

 だけど私は──

「やめて……警察には言わないで!!」

 そう言って、男の服を掴み、必死に訴えた。

「お願い、警察はやめて……!」

「何故ですか、貴女は、先程」

「そうだけど、それでもダメなの! お願い……警察沙汰には……しないで……っ」

 一族から、犯罪者を出すわけにはいかなかった。

 なぜなら、阿須加一族の誰かが不祥事を起こせば、それは、同時に会社のイメージも悪くする。

 なにより、長次郎は、洋介の兄だ。

 社長の兄が、自分たちの経営するホテルで、女性に乱暴したなんて噂が広まったら、ホテルの信用も阿須加家の名も、一気に地に落ちる。

 そして、それは、同時に洋介の首を絞めることに繋がる。

 ただでさえ、洋介が跡を継いでから、ホテルの業績は右肩下がりで、一族にもよく思われてなかった。

 それなのに、これ以上、洋介の立場が悪くしたら?

 それに、例え訴えたところで、嫁としてよく思われていない私の言葉なんて、簡単にねじふせられる。

 相手は、あの阿須加一族だ。

 敵に回せば、私だけじゃなく、私の親兄弟も、そして、助けてくれたこの人も、きっとタダでは済まない。

 それどころか、下手をすれば、子供欲しさに、私から義兄に迫ったなどと言われて、もっと傷つくだけだと思った。

 なら、このまま誰にも知られずに、終わらせた方がいい。

 洋介にも、誰にも──

「お願い……こんなこと、誰にも知られたくないの……それに、私がいけないの……私が、いつまでたっても、子供を授からないから……っ」

 全部、私のせいだと思った。

 私が、順調に跡取りを産めていたら、義兄も、ここまでしようとは考えなかったかもしれない。

 この10年で、一族の対立は、更に増した。

 そして、それも全て、私たちに子供ができないせいだった。

 当主でありながら、跡取りがいない。

 だからこそ、一族のほとんどの人間が、長次郎の方が当主に相応しいと、今でも言っていて、月日がたてばたつほど、洋介の立場は、悪くなるばかり。

 その癖、当主しての重圧ばかりが重くのしかかり、順調とは言えない会社の経営と、子供を早く作れとはやしたてる周りの声に、心身をすり減らしていた。

 私が、子供を産めていたら、洋介に、あそこまでの苦労を背負わせることもなかったかもしれない。

「わたしの……せいで……っ」

 そう思うと、また涙が溢れてきた。

 なんで、来てくれないの?
 こんなにも、待ち望んでるのに?

 どうして、私と洋介の元には、いつまで経っても、子供が来てくれないの?

「ふ、……ぅう……っ」

 まるで、もう限界だとでも言うように、大粒の涙が、頬を伝い流れ落ちる。

 乱れた服を、ろくに整えることすらできず、ただ呆然と産めない自分を呪い、謝り続ける。

 すると、そんな私を見兼ねたのか、男は一度立ち上がると、シーツを手にして、また戻ってきた。

 そして、そのシーツで、私の身体を優しく包みこむと

「どのような事情があるのかは存じませんが、子供を授からないのは、ですよ」

「……っ」

 それは、思っても無い言葉だった。
 そして、その瞬間、また涙が溢れた。

「わたしの……せいじゃ……ない……?」

 そんなこと、誰も言ってくれなかった。

 子供を産めないのは、全部、嫁のせいで。
 跡取りを産めない私は、ただの役立たずで。

 10年間、否定され続けて来た心は、今にも砕けそうで。

 だけど、その優しい言葉は、その砕けそうな心を全て包み込んでくれて、私は、その場に泣き崩れた。

「うぅ……あ、あぁぁああぁぁ……っ」

 まるで、壊れた玩具のように、ひたすら声を上げて、泣きじゃくる。

 そして、そんな私の傍を、男は片時も離れることなく、静かに見守っていた。
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