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最終章 箱と哀愁のベルスーズ
箱と哀愁のベルスーズ ③ ~ 子供 ~
しおりを挟む当主の妻となってからは、阿須加家の名に恥じぬよう、常に淑女として振る舞った。
立ち姿や身嗜み、言葉使いだって、まるで見本のように貴婦人へ。そして、その姿は、美しい白ゆりのようだとも言われた。
腰まで伸びた艶やかな髪に、色白できめ細かな肌。
若くて美しい人妻は、阿須加家の嫁としても、申し分ないはずだった。
だが、それだけの気品をたずさえていても、子供を産めない女は、役立たずとして蔑まれる。
なにより、あの頃は、子供を授からないのは、全て女のせいだとされている時代だった。
不妊の原因は、全て嫁に問題があるとされ『嫁して三年、子なきは去る』なんて皮肉めいた言葉すらあったほど。
だから、私自身、いつ洋介から、離婚を言い渡されてもおかしくはなく、洋介が阿須加家の当主になり、三年が経過してからは、ある程度、覚悟もしていた。
だけど、それでも洋介は、私と離婚しようとは言わなかった。それどころか、妾《めかけ》一人作ることはなく、そしてそれは、洋介が純粋に、私を愛してくれていたから。
だけど、愛されているのが、伝われば伝わるほど、子を産めない自分が、益々、嫌になった。
「ごめんなさい。今回も……ダメだったわ」
子供を授かることを夢みて──10年。
二人きりの寝室で、何度、洋介に謝っただろう。
月の物が来る度に、私は、ひどく落ち込み涙を流した。
医者にも診せたが、不妊の原因は見当たらないと言われた。それでも一向に妊娠はせず、そして、その度に、まるで世界から拒絶されたような気持ちになった。
皆が、当たり前にできることが、私には出来ない。
こんなにも子供が欲しいのに、神様は授けてくれない。
情けなくて、苦しくて、精神的にもボロボロで、跡取りを切望される重圧で、今にも押しつぶされそうだった。
だけど、そうして泣きじゃくる私を、洋介は、いつも慰めてくれた。
「大丈夫だよ。次は、きっと来てくれる」
次はきっと──それは、とても優しい言葉。
だけど、同時に呪いの言葉でもあった。
次もまた、できなかったら?
なにより、10年も授からない日々が続けば、次第に『もう無理なんじゃないか』と思うようにもなった。
✣✣✣
「初めまして、奥様。戸狩 夏子と申します」
そして、そんな時、阿須加家に、新しくメイドがやってきた。
新緑が美しい初夏の頃だ。その頃の私たちは、まだ本館で暮らしていて、あの西洋風の屋敷には、たくさんの使用人がいた。
数にすればザッと30名ほど。だが、当主を支え、あの広大な屋敷を美しく維持するためには、それだけの人間が必要だった。
そして、戸狩 夏子と名乗ったそのメイドも、その中の一人として、私の身の回りの世話を任された。
年齢は、私と同い年の31歳。見た目は、メイドというよりは、家政婦と言った方がいいようなふくよか体格で、スリムな私とは、正反対だった。
「お噂どうり。奥様は、とても美しいですね」
ドレッサーの前で、私の長い髪を整えながら、戸狩が話しかける。どうやら話好きな人らしく、戸狩は、初対面の時から、憚ることなく、私に話しかけてきた。
「本当に私と同い年なのですか? とても30代とは思えない。髪だって艶があって綺麗ですし、枝毛一つ、見当たりませんよ」
「……そう、ありがとう。でも、これは、メイドたちが手を尽くしてくれてるおかげよ」
「メ、メイド達がですか?」
「そうよ。あなたたちは、私の美しさを維持するために、仕えているようなものよ。だから、あなたも頑張ってね」
「は、はい、もちろんでございます! この先、奥様のメイドとして、誠心誠意お仕えさせていただきますので、どんなことでも、ご遠慮なくお申し付けください」
戸狩のやる気に満ちた表情は、新人ならではだった。
みんな、この頃は、阿須加家の使用人になれたことを誇らしく思うのだ。この仕事が、どれほど過酷かも知らずに……
だからか『どんなことでも』と言われ、ふと意地悪をしたくなった。
「あなた、子供はいるの?」
「はい。7歳になる娘が」
「そう、あなたに似てる?」
「いいえ。娘は、私みたいにポッチャリではありませんよ。夫にそっくりで、そこそこ美人なんですよ。それに、私と違って賢くて」
「そう。じゃぁ、その子を、私にちょうだい」
「え?」
唐突に出た言葉に、戸狩の手が止まる。
私も普通に妊娠できていたら、彼女と同じくらいの子供がいたのだろうか?
そう思ったら、少しだけ意地悪をしたくなった。
「どんなことでもって、言ったでしょ」
「……そうですが」
振り向き、目を合われば、戸狩は酷くとまどっていた。
無理もない。子供を寄越せというのだ。
しかも、阿須加家の人間に楯突くなんて許されない。
だけど、彼女は──
「申し訳ございません。子供だけは、何があろうと差し出すことはできません。それに、奥様が欲しいのは、私の子ではなく、ご自分の子でしょう?」
「……っ」
その言葉に、私はキツく唇を噛み締める。
「そうよ。でも、手に入らないのよ……っ」
そして、それと同時に、ひどく胸が苦しくなった。
「私、なんでも持ってるの……お金も地位も美貌も、愛ですら、何もかも持ってる。それなのに、一番欲しいものが、どうしても手に入らない……っ」
母親になりたかった。
愛する我が子を、抱きしめてみたかった。
だけど、10年という歳月は、その希望を、あっさり闇の中に引きずり込んでいった。
まるで、先の見えない暗闇をさまよってるみたいに、目の前が真っ暗で
「ねぇ……子供って、どうやったらできるの?」
なにをしても、ダメだった。
毎月、できやすいタイミングで、義務のように交わって、それは、もう愛を確かめる行為ではなく、ただ、子供を作るだけの行為で、昔のように満たされることもなくなった。
抱かれている最中に考えることは、跡継ぎのことばかり。だからか、今ではその行為ですら、苦痛で仕方ない。
「もう、いや……あと、何回……繰り返せばいいの?」
どれだけ頑張っても妊娠できない。そのせいか、瞳からは涙が溢れてきた。
終わりの見えない不安。
女としての劣等感。
どんなに当主の妻として相応しい人間になっても、跡継ぎを産めなければ、嫁としての役目を果たせない。
だからか、阿須加の一族からは、顔を合わせる度に『跡継ぎは、まだか』と急かされ、嫌味や罵倒をきかされた。オマケに、実家の両親ですら『このままでは、阿須加家に申し訳ない』と、子を急かすようになってきた。
それは、30歳という年齢を越えてしまったせいもあるのかもしれないけど、着々と迫るタイムリミッに、私自身、焦っていた。
早く子供を産まなくては。
なんとしても、阿須加家の跡継ぎを残さなくては──
「奥様」
「……!」
だけど、そんな私の手を、戸狩が優しく握りしめた。
その手は、まるでモナリザのようにふくよかで、不思議と母の温もりのようなものを感じさせる。
そして戸狩は、泣いている私を見つめると
「跡継ぎのことに関しては、メイド長からも聞いております。奥様が妊娠しやすいよう、サポートするよう仰せつかりました。でも、今は少しだけ、お休みされてみてはいかがでしょうか? ストレスを溜めるのは、妊娠以前に、奥様のお身体に一番よくないことです」
「っ……休憩って、そんなこと出来るわけ」
「いいのですよ。だって、10年も頑張ってきたのですから、少しくらい休憩してもバチはあたりません。なにより、お辛い時は、無理をしてはいけません。だから、少しだけ肩の力を抜いてください」
「……っ」
力をぬけ──そう言われて、また涙が溢れた。
休むなんて、誰が許してくれるだろう。
だけど、跡取りではなく、私自身の体のことを気にかけてくれた。それが、すごく嬉しかった。
でも、その時──
コンコンコン!
部屋の扉が鳴った。慌てて涙を拭き、声をかければ『失礼致します』と一礼し、メイドが一人入ってきた。
「奥様、お手紙が届いております」
「手紙?」
そして、そのメイドは『阿須加 美結 様』と書かれた封筒を差し出てきた。だが、その封筒の裏に差出人の名前はなく、私は手紙の封を切り、その中を確認すると、手紙の最後には、しっかりと差出人の名前があった。
そして、その手紙を送り付けてきたのは、洋介の兄である──阿須加 長次郎だった。
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