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最終章 箱と哀愁のベルスーズ
継承
しおりを挟む「す、捨てた……っ」
美結の言葉に、洋介が、わなわなと肩を震わせる。
結月は、常に従順だった。幼い頃、そう、八年前に記憶をなくしたあの時以来、結月が、自分たちに反抗したことは一度もなかった。
それなのに――
「そんな、わけない……だって結月は、冬弥君ともうまくいってたじゃないか! クリスマスだって!」
「そうね。私も、結月は冬弥君を受け入れたんだと思っていたわ。でも、どうやら、そうではなかったみたいね。あの子、冬弥君まで味方につけてるみたいよ」
「は?」
トランクの中に入っていた紙切れ。それを見つめながら言った美結の言葉に、洋介は更に困惑する。
「な、何を言って、冬弥くんも……?」
「えぇ、あの子、冬弥君にも一筆、書かせてるわ。餅津木家が、阿須加家との婚姻を望む本当の理由と一緒に」
「本当の……理由?」
「そうよ。餅津木家は、阿須加家の土地を手に入れるために、縁談の話を持ち込んだ」
「な……!」
その言葉に、洋介は戦慄する。
「な、何を言ってるんだ!? 幸蔵君が、そんなこと企むわけ……っ」
「でも、冬弥君の手紙には、そう書かいてあるのよ。結月と結婚して、冬弥君が阿須加家の当主になれば、ホテルを潰して、デパートを建てるつもりだって。ご丁寧に、サインと印鑑まで押してあるわ。冬弥君の手紙とみて間違いないでしょうね」
「デ、デパートって?」
洋介が、着いた膝を持ち上げ、美結が手にした冬弥の手紙を奪い取る。するとそれは、確かに冬弥が、阿須加家に向けて書いたものだった。
「洋介、あなた利用されてたのよ。友人なんていいながら、腹の底では、阿須加家の乗っ取るつもりでいたんだわ」
「そ、そんな……っ」
友人の裏切りに、洋介は青ざめた顔を、更に蒼白させた。
餅津木 幸蔵とは、もう18年の付き合いだ。縁のある財閥のパーティーに招かれた際、幸蔵の方から声をかけてきた。
お互いに一族を背負う者同士、話もあい、すぐに意気投合した。
だが、確かに、あの時、幸蔵が声をかけてきたのは、結月が、生まれてすぐのことだった。
阿須加家の跡継ぎが、女の子だと分かったあと。
「じゃぁ、あの頃から、ずっと阿須加の土地を狙ってたっていうのか? そんなの、そんなの嘘だ……っ」
「嘘だろうが、なんだろうが、どの道、冬弥君は、この婚姻に納得していなったってことよ。だから、結月の味方に付いてるんでしょ。それに、結月にも、好きな男がいるみたいだし」
「っ……そうだ! 好きな男って一体誰なんだ!? あの結月が僕に逆らうなんてありえない! きっと、その男にそそのかされたんだ!!」
洋介は、更に美結に詰め寄った。
どうやら、すぐには受け止めきれないらしい。
結月に、好きな男がいることが――
「疑わしい男ならいるわよ」
「疑わしい?」
「えぇ。多分、結月の好きな人は、五十嵐よ」
「な……っ」
妻の口から出てきた、執事の名前。
その瞬間、洋介の怒りは、さらに沸きあがる。
「五十嵐が!? 執事に恋をしてるっていうのか!?」
「一番、有力な相手でしょ。五十嵐は、見た目だって良いし、優秀だったわ。結月も、よく懐いていたし。なにより、外部の男との接触は避けるように命じていたのは、他でもない私たちよ。あの真面目な結月が、学校の教師と恋仲になるとは思えないし、なら、内部の人間である可能性が高いじゃない」
「ッ……それじゃぁ、結月は五十嵐とッ……ふざけるな! だから僕は、結月の側に若い男を置くのは嫌だといったんだ! 前の執事の件もあったのに、お前が五十嵐がいいなんて言うから!」
「そうね。全部私のせいよ。五十嵐を執事として採用したいと言ったのも、別邸の中を自由に歩き回らさせたのも、全部、私。でも、最終的に、それを許可したのは洋介でしょ」
「……っ」
美結の視線が、鋭く洋介に突き刺さる。
確かに、最終的に許可をだしたのは、洋介だった。五十嵐を雇うと決めたのも、別邸の執事にすると決めたのも――
「それは……っ」
「洋介、あなた、昔からそうよ。周りの意見に流されてばかり。お義父様の言葉には、一切逆らった試しがないし、義兄に好き勝手言われでも、黙ってるばかり。そして、そのうっぷんを、使用人や結月にあたることで紛らわせてた。そんなんだから、一族中から"当主の器《うつわ》"がないって言われるのよ」
妻の言葉が、グサリと胸の奥に突き刺さる。
若くして全てを譲り受けた洋介に、一族の目は冷たかった。
軟弱な次男が、阿須加家を継いでしまったと、何度も蔑まれ、きつい言葉をかけられた。
その上、なかなか子供にも恵まれず、能無しの上に、種なしなのだと馬鹿にされた。
そして、その憂さを晴らすかように、下の者をこき使う日々だった。上の者に逆らえない憤りを、自分より弱い者を支配することで紛らわしていた。
特に、結月の存在は、洋介にとって救いだった。
自分の子供――それも、女であるが故に弱い結月は、父親である自分には、絶対に逆らえない。
だからこそ、泣こうが喚こうが、結月を支配し続けた。
付き合う友人を厳選し、こちらの望む学校へと進学させ、婚約者ですら、有無を言わさず決定し、結月の人生を全て掌握してきた。
阿須加家に生まれたということは、こういうことなのだと。
自分がされてきたことを、そのまま結月に与え、自分の力を誇示し続ける。
だからこそ、結月が怯えれば怯えるほど、下の者たちが、謙れば謙るほど、自尊心が満たされた。
自分は無能ではない。
まだ、こんなに従う人間がいるのだと。
それなのに──
「もしかしたら、洋介よりも、結月の方が、当主としての器があるのかもしれないわね。親を脅してまで、下の者たちを守ろうとするなんて」
すると、また美結から、辛辣な言葉が飛び出して、洋介は奥歯を噛み締めた。
「何を言ってる! 女の結月に、当主の座が務まるわけがないだろう! なにより、五十嵐との結婚なんて、認めるつもりはない!! 結月は、阿須加家の娘だぞ! これから良家の男と結婚して、跡取りを産むんだ! 男の子を! それなのに、執事如きが阿須加家と」
「そうね、確かに、五十嵐は阿須加家の娘には相応しくないわ。でも、だからこそ結月は、五十嵐の元に嫁ごうとしてるんでしょ」
「と、嫁ぐ……っ」
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「っ……待て、それじゃぁ」
「そうよ。阿須加家の広大な土地も、会社も遺産も、何もかも全て結月の、いえ──五十嵐のモノになるのよ」
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