お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

文字の大きさ
上 下
236 / 289
最終章 箱と哀愁のベルスーズ

閉ざされた箱

しおりを挟む


 もし、目の前に『箱』があるなら


 何を入れますか?


 大切な宝物? 


 それとも

 絶対に目にしたくないもの?


 いえ、もしかしたら


 誰にも知られたくない


 『秘密』かもしれませんね。




 今、ここにある箱は



 決して開けてはならない、パンドラの箱。




 さぁ──



 あなたは、この箱を





 開ける勇気が、ありますか?







 ✣

  ✣

 ✣

  ✣

 ✣



 一月一日──

 一夜開けた、その日の朝は、澄み切った空気と、初日の出が満たす健やかな朝だった。

 真冬の空は美しく晴れ渡り、果てしなく広がる蒼穹そうきゅうが、新年を華やかに彩る。

 そして、主人を亡くし、音もなく佇む阿須加の屋敷は、まるで取り残されたように沈黙し、それとは対照的に、結月の両親が暮らす別邸は、慌ただしさに包まれていた。

「奥様、とても、お似合いでございます」

 早朝から、メイドたちに囲まれた結月の母・阿須加あすか 美結みゆは、小紋こもんの着物に身を包み、美しい貴婦人に成り代わっていた。

 普段の派手な装いを一掃し、白地に松竹梅の模様があしらわれた着物を着つけた姿は、実に美しく優雅だ。

 品よく纏めあげた艶やかな髪も、年の割に若々しい肌も、もう直、五十を迎える女とは思えない。そして、その姿は、普段の奔放さからは想像もつかないくらい、奥ゆしさに溢れていた。

「毎年のこととはいえ、着物を着るのは窮屈ね」

「息苦しいのであれば、もう少し帯を緩めますが」

「別にいいわ。着崩れたら困るし。洋介ようすけは? 準備できたの?」

「はい。私室でお待ちです」

 姿見で自分の姿を確認しながら、美結が、メイドの戸狩とがりに問いかける。すると、洋介は既に準備を終えているらしい。それを聞いた美結は、すぐさま部屋を出て、洋介が待つ私室に向かった。

 広い廊下を進み、その先に見えた部屋の中に入れば、洋介はイタリア製のスーツに身をつつみ、美結が来るのを待っていた。

「美結。着付けは、終わったのか」

「えぇ、ご覧とおりよ」

「そうか、よく似合ってるよ」

「ありがとう。でも、この姿で昼過ぎまで拘束されるなんて、憂鬱ゆううつで仕方ないわね」

「そう言うな。正月に、お父様の元に集まるのは、阿須加家の古くからの習わしだ」

 この後、洋介たちは、大旦那様──つまり、洋介の父である阿須加あすか 善次郎ぜんじろうの元に向かう。

 今年、95歳になる大旦那様は、30年ほど前、洋介に跡目を継がせ、今は隠居生活をしている。

 そして、元日には、その大旦那様の元に、阿須加家の親類たちが一斉に集まるのだ。

「洋介は嫌じゃないの? あの嫌味ったらしい親族たちと、また顔を合わせなきゃならないのよ」

「仕方ないだろう。当主として跡を継いだんだ。僕らが、行かないわけにはいかない」

「…………」

 仕方ない――それで済まされるのは、正直、納得がいかなかった。

 だが、古くからの習わしには逆らえない。美結は固く口を閉ざすと、洋介と共にリムジンの中に乗り込んだ。


 ✣

 ✣

 ✣


 車を一時間ほど走らせれば、町のはずれにある山間やまあいに、悠然とした武家屋敷が見えてきた。

 隠居生活には、もってこいのその屋敷は、古風な町並みと、美しい自然に囲まれていて、まるで絵画の中のようだった。

 その洗練された景色は、人々を感嘆させ、そして、その広大な土地を所有しているのも、また阿須加一族だった。

「洋介様、美結様、お待ちしておりました」

 大旦那様の屋敷につくと、車から降りた瞬間、ズラリと列を作ったメイドたちが、洋介たちを出迎えた。

 皆、大旦那様の看病や世話をするメイドたちだ。

 病床につき、伏せっている大旦那様は、もう長くはないと言われていた。日がな眠りにつくことが多く、意思の疎通もままならない。

 だが、土地も遺産も、既に洋介に生前贈与されているため、仮に亡くなったとしても、遺産相続で揉めることはなかった。

 とはいえ、兄と姉を差し置き、一番末の弟である洋介が当主に決まった時は、一族中が、揉めに揉めたのだ。

 特に、長男である兄は憤慨し『俺が継ぐべきだ』と善次郎に詰め寄った。

 だが、父である善次郎ぜんじろうは、決して意志を変えず、それにより兄弟の仲は、すぐさま分裂し、それからは、顔を見る度、ののしり合ってばかりだ。

「これはこれは、ご当主様」

 すると、洋介たちが屋敷に入った瞬間、案の定、嫌味ったらしい声が聞こえてきた。

 視線を送れば、そこには、立派な口髭を生やした恰幅のいい男が、こちらを見つめていた。

 洋介の兄──阿須加あすか 長治郎ちょうじろうだ。

「兄さん。明けましておめでとう」

 ご当主様などと、わざとらしく口にされ、微かに苛立つ。だが、そんな兄に、洋介は物怖じせずと、新年の挨拶を投げかけた。
 そして、半歩後ろにいた美結もまた、丁寧に頭を下げる。

「お義兄様、智代ともよ様。明けましておめでとうございます。今年も、どうぞよしなに」

 本心では、あまり宜しくしたくない。

 だが、形式的に挨拶をすれば、向かいに立つ長治郎と、その横にいる長治郎の妻・智代ともよも、明るく言葉を返してきた。

「明けましておめでとう。今年も宜しくして頂戴ね。それより、最近、ホテルの業績がかんばしくないと聞いたわ。一体どんな経営をなさってるの?」

「…………」

 挨拶と同時に、すぐさま苦言が飛び出してきて、二人は無意識に睥睨する。
 だが、この有様は、今に始まったことではない。

「洋介君には悪いけど、やっぱり、うちの人が跡目を継いだ方が良かったんじゃないかしら。お義父様に甘やかされて育った洋介くんに、会社経営は荷が重かったのよ」

「そうだな。まさか、こうも阿須加家が衰退していくとは……今からでも、俺に当主の座を譲りわたしてもいいんだぞ。お父様も、そう長くはない。何より、お前の所には、いないだろう」

 娘しか──それは、これまでにも何度と言われた言葉だった。

 そして、長治郎の元には、子供が三人いた。
 息子が二人と娘が一人。

 だからか、長治郎が跡を継げば、跡取り問題には苦労しないはずだった。でも──

「それは、お父様が決めたことだ。文句があるなら、お父様に」

「お義父様に、直接いえるわけないでしょ! だいたい、うちには息子が二人もいるのに、あなた達のところには、一人もいないじゃない! だから、初めから、長治郎さんが跡を継げば、阿須加家は安泰だったのよ!」

「そ、それでも、当主の座は……っ」

 声を荒らげた智代に、洋介がたじろぐ。
 すると、その様子をみた長治郎が

「まぁまぁ。洋介、別にお前を責めたいわけじゃないんだ。でも、お前のせいで、阿須加家がつぶれることになれば、こちらも困る。それに、当主の座を譲る気はないなら、いい加減、連れてこい。洋介の次は、結月が跡を継ぐのだろう? それなのに、毎年毎年、屋敷に引きこもらせて顔すら出させず……おかげで、一族中で噂されてるぞ。洋介の娘は、相当な醜女しこめなんじゃないかとな」

「……っ」

 醜女しこめ──それは、みにくい女を指す言葉。

 だが、結月は、決して醜女ではない。
 美結によく似て、美しく成長したのだから。

「目に振れさせたくないほど、不細工なのか? それはそれは気の毒に」

「ご心配なく」

 すると、長治郎の言葉を遮り、美結が声を発した。
 美結は、嘲笑うように微笑むと

「うちの娘より、あなた方のご息女の方が、ずっとずっと醜女でしてよ。それに結月は、あなた方と違って、とても美しく聡明に成長しております。なにより、当主に選ばれなかったからと、負け犬のように突っかかるのは、やめてくださらない」

「なんですって!?」

「やめないか、美結」

 歯に衣を着せぬ美結の言動を、洋介がすぐさま遮る。だが、美結は

「先に暴言を吐いたのは、あちらの方よ」

「それでも口を慎め。……じゃぁ、兄さん。僕らは、お父様に挨拶にいくから」

 すると、洋介は美結を連れ、奥へと進み、その後ろ姿を見つめながら、智代が憤慨する。
 
「全く、相変わらず嫌な女ね。嫁いできた時は、しおらしい娘だと思っていたのに、とんだ女狐だったわ」

 だが、そう喚く智代の姿は、美結の言う通り、負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...