お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

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第21章 神隠し

ゆずれないもの

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「お嬢様」

 その執事の呼びかけに、結月と恵美は、同時に視線を向けた。

 品よく燕尾服を着こなす執事の姿は、いつみても秀麗だ。だが、この見惚れてしまいそうなほど美しい姿も、今日で見納めかと思うと、少しもったいなく思えてくる。

「お嬢様、もう直、ディナーのご用意が整います」

「そう、ありがとう」

 そんなことを思いつつも、結月はレオの言葉に、いつも通り返す。本当に、いつも通りだ。

 今日は、大晦日だと言うのに、結月は、普段どおり屋敷に籠って、一人で食事をとる。

 幼い頃は、大晦日に、両親が来てくれないかと愛おしんだものだった。

 だが、大晦日どころか、元旦ですら両親には会えず、親戚の集まりにすら顔を出せなかった。

 そして、悲しみに暮れつつも、夜な夜な一人で除夜の鐘を聞く。それ通例だった。

 108の煩悩を打ち払うといわれる除夜の鐘は、いつも悲しい音を響かせていた。

 だが、いつしかそれが当たり前になり、そんな日常を、もう18年も続けてきた。

 だが、それも、今日が最後──

「ディナーを終え、入浴をすませたら、お嬢様の部屋へ伺います。準備を始めましょうか」

「えぇ……やっと、この日が来たのね」

 レオにそう言われ、結月は嬉しそうに微笑んだ。

 屋敷を去る寂しさはあれど、やはり、地獄から逃れられる安堵の方が勝っていた。

 やっと、自由になれる。
 やっと、あの両親から解放される。

 なにより、夢が叶うのだ。

 レオと誓った、幼い日の『夢』が──




 ✣

 ✣

 ✣



「来年は、冬弥のおかげで、いい年になりそうだ!」

 その頃、餅津木家では、冬弥の父である幸蔵こうぞうが、豪快な笑い声を上げていた。

 餅津木一族が集まる屋敷の中。
 豪勢な料理と、多種多様なお酒。
 そこでは、早々と祝杯が上げられていた。

 女性たちは、明日の準備もあるため、そのうち席を離れるだろうが、男たちは、一晩飲み明かすつもりのだろう。

 だが、それほど浮かれるのも無理もなかった。なぜなら、何度と破綻しかけた阿須加家との縁談が、やっと明るいきざしを見せ始めたからだ。

 これには、餅津木家一同、歓喜に震え、まだ懐妊すらしていないのに、まるでお祝いモードだった。

(……いい気なもんだな。その縁談も、結月の失踪とともに流れちまうってのに)

 だが、両親や兄たちが、結婚の話で盛り上がる中、その当事者である冬弥は、隅にあるソファーに腰かけ、一人ワインを飲んでいた。

 シャトー・メルローという、フランス産の赤ワインだ。そして、それは、兄の誕生パーティの夜、結月にジュースだと騙して飲ませたワイン。

 今思えば、どうかしていた。

 お酒に強い自分でさえ、酔いが回って来るほどの度数の強い酒だ。ならば、お酒を飲んだことがない結月には、あまりにも不向きなワイン。

 だが、あの時は、このワインを飲ませることも、その後、意識を失った結月を無理やり手篭めにすることについても、当時の自分には、全く躊躇ためらいがなかった。

 幼い日に、階段から突き落とし、怪我を負わせた負い目があるにも関わらず、それすらも、全て結月のせいにして、自分は、と思い込んでいた。

 全部、結月が拒絶したせいだ。
 父の前で、結婚したくないと言ったから。

 だから、突き落とされて当然だと、無理やり身体を暴かれても文句は言えないと、そんな非人道的な思考に陥っていた。

 だけど、結月とクリスマスを過したあの日から、不思議と、目の前はクリアになった。

 まるで、泥の中から這いでたみたいに。

 今思えば、自分はどれだけ、この一族に毒されていたのだろう。

 善も悪もなく、ただ親の望むことを行う操り人形。そして、それに気づかぬほど、自分は追い詰められていたのだろう。

 きっと、結月が目を覚ましてくれなければ、この先も、この思考を持ち続けたまま、ゲスな人間に成長していたかもしれない。

(……しかし、本当に神隠しなんて、上手くいのか?)

 だが、その後、ワインを飲みながら、冬弥は、静かに眉をしかめた。

 今夜、結月は神隠しにあうらしい。

 だが、本当は神様に連れ去られるのではなく、あの小憎らしい執事に連れ去られるわけだ。

 いずれは、妻になったかもしれない相手。

 そう思えば、執事に奪われることに、多少苛立ちはするが、どの道、その計画を成功させなければ、自分たちは、地獄を見ることになる。

 なぜなら結月は、子供を授かるためだけに餅津木家に隔離され、挙句の果てに自分は、その結月を兄たちに差し出さねばならないのだから──

(……失敗したら、マジで地獄だな)

「なぁ、冬弥! 次はいつ、結月ちゃんに会うんだ?」

「!」

 するとその瞬間、一人、隅《すみ》にいた冬弥の元に、兄の春馬はるまがやってきた。いや、春馬だけじゃない、次男の夏樹《なつき》と、三男の秋彦あきひこも一緒だ。

 散々、めかけの子だの、捨て子だのとののしってきた、三人の兄たち。そして、正妻の子であるこの彼らに、冬弥は、ずっと逆らえずにいた。

「……正月明けたら、会う約束をしてるよ」

 約束はしていないが、あくまでも恋人のフリを貫けば、春馬たちは、今度は結月の話で盛り上がりはじめた。

 結月は、阿須加家のご令嬢。それも、若くて美人な娘が、一時的に餅津木家にやってくる。

 元はと言えば、卒業後に同棲をするという話を、最初に持ち出してきたのは兄たちだった。

 ならば、初めから、結月に手を出すつもりで、そんな提案をしてきたのかもしれない。

 箱入り娘である結月と接触する機会なんて、滅多にない。でも、餅津木家に招き入れてしまえば、それが可能となるから──

(っ……マジで胸糞悪ぃ)

 それに気づかなかった自分もだが、あのクリスマスの日、一緒に漫画を読みながら笑いあった結月が、この先、兄たちにいいように弄ばれるのかと思うと、とてもじゃないが冷静ではいられなかった。

 だけど、結月は今日、神隠しにあう。
 なら、ここに来ることは、絶対にない。

 兄たちの愚行も、餅津木家の思惑も、何もかも全て結月が潰してくれるはずだ。

 そう、あの執事と一緒に──

「冬弥、乾杯しようぜ!」

 だが、そんな冬弥にむけて、春馬がグラスを差し出してきた。春馬は、何もかも上手くいくと思いこんでいるのだろう。だが、冬弥は、差し出されたグラスを、あっさり払い除けると

「しねーよ、乾杯なんて!」

 そう言って、怒りのこもった眼差しを向けた。

 結月に危害を加えようとしている相手と、仲良く乾杯なんてしたくもなかった。だが、その反抗的な弟の態度に、今度は兄たちが眉根を寄せる。

「おいおい、なに怒ってんだよ、冬弥」

「やめとけ、夏樹。コイツ、俺が、結月ちゃん貸してくれって言ってから、機嫌悪いんだよ」

「はは、マジかよ! お前、そんなに惚れてんの!」

「……っ」

 まるで、小馬鹿にするような笑い声が響いて、冬弥はきつく唇を噛み締めた。

 正直、少し前まで、自分もだったのかと思うと反吐へどが出る。

 だが、どうしたって譲れないものがあった。

 この兄達を敵に回してでも、絶対に、守らなきゃいけないもの──

「結月に、指一本でも触れてみろ。ぶっ殺すからな……!」

 ハッキリとそう威嚇いかくすれば、その後、冬弥は、もう耐え切れないとばかりに、兄たちの前から立ち去った。だが、そんな冬弥に兄たちは

「うわ。なんだよアレ、マジなやつじゃん」

「あーあー、でも、可哀想に。本気で好きになった子を、俺らに食われちまうなんて」

「いいんだよ、別に。冬弥は、俺らのなんだから」

 だが、立ち去る冬弥の背後からは、尚も品のない声が響いていた。

 ここでどれだけ虚勢をはっても、兄たちには全くひびかないのだろう。

 だが、今は、笑ってればいい。
 どの道、お前ら計画は丸つぶれだ。

 せいぜい、楽しい夢を見てろよ。
 数日後、その夢が、悪夢に転じるまで。

 結月たちが、この計画を成功させれば、8年前からの餅津木家の企みも、全て水の泡と化すのだから──
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