お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

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第20章 復讐の先

臆病者

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「それで、話ってなに?」

 その後、執務室に入り、カーテンを閉めると、ルイが、着替えながら問いかけてきた。

 三つ編みにしていた金のカツラを取りさり、女の服をテキパキと脱ぎさったルイは、予め用意していたスーツを着込む。

 ワイシャツに袖を通し、手早くネクタイを締める。すると、さっきまで、そこにいた美女が、あっという間に凛々しい男性に変わっていた。

 あとは、黒髪のカツラをつけ、日本人になりすませば、屋敷に出入りしている業者だといわれても、全くおかしくないだろう。

「別邸で、何かあったの? よっぽど、参ってるみたいだけど」

 窓際に立つレオに、ルイがストロベリーブロンドの髪をさらりと揺らしながら尋ねた。

 帰宅早々、結月を抱きしめてしまうほど、レオの心は、今、荒れ狂っているのだろう。

 すると、レオは、着替えを終えたルイを見つめ、少し重めの言葉を放つ。

「別邸で、結月のことを、どう思っているのか聞かれた」

「え? なにそれ……まさかバレたの? レオが結月ちゃんを好きだって」

「いや、上手く誤魔化した。疑われてはいないはずだ。だけど、ずっと気がかりだったことがある」

「気がかり?」

「あぁ、三ヶ月前、餅津木家のパーティで、同級生に声をかけられたんだ。阿須加 美結のいる側で『望月くん』と」

「……っ」

 その言葉に、穏やかだったルイの表情が一変する。

 『望月もちづき』は、レオの旧姓だ。五十嵐に変わる前、望月 玲二れいじの息子として、この町で暮らしていた時の名前。

「それって、レオが玲二さんの息子だって、気づかれた可能性があるってことだよね?」

「あぁ、可能性は0じゃない。なにより俺は、幼い頃に一度だけ、美結あの女と会っているからな」

 父を自殺に追い込んだアイツらに『人殺し』だと猛攻した、あの日、阿須加 美結は、あっさり、レオをあしらった。

 きっと、阿須加家にとって、従業員の死は、その程度のものだったのだろう。

 だから、望月の名前なんて、知ることすらないと思っていた。しかし、あのパーティーの日、『望月』という名を聞いた瞬間、美結の態度が一変した。

 もし、あの日の子供のことを思い出していたら、そして、事故死した従業員の名が、"望月"だと知っていたのだとしたら、そこからレオに繋がる可能性は十分にあった。

 だからこそ、ずっと気にかけてはいた。
 でも──

「それって、もう三ヶ月も前の話だよね」

 瞬間、水を打ったように、ルイが口を挟んだ。

「もし、気づかれてるなら、とっくにクビになってるよ」

「あぁ、俺もそう思う。オマケに、俺を"専属執事"にするとまで言ってるしな」

「じゃぁ、バレてないでしょ! それなのに、何をそんなに心配してるの?」

「…………」

 小首をかしげるルイの言葉を聞きながら、レオは、さらに深く考え込んだ。

 確かに、これは、考えすぎなのかもしれない。

 気づかれているなら、とっくに解雇されてる。
 だが、あの女は、どうにも行動や言動が、一貫しない。
 
 今日だって、わざわざ呼び出してまで、結月のことを聞く必要はなかったはずだ。

 自分のモノにしたいなら、あえて試すようなことを聞くのは逆効果。万に一つでも、執事が、お嬢様を好いている反応をすれば、自分のモノにするどころか、手放さなくていけなくなるのだから。

 だから、きっと、あの質問には、なにか裏があるような気がしてならない。

 でも、あの瞳の奥で、一体、何を考えているのか? それが、全く読めない。

「ルイ……もし、あの女が、俺の正体に気づいていたとして、三ヶ月も泳がせた挙句、自分の傍に囲う理由はなんだと思う?」

 レオが不安げな表情で、ルイに問いかけた。

 そこまで考えるのは、実にレオらしいと思った。どんなに小さな綻《ほころ》びも、決して見逃しはしない。でも……

「そんなの僕にわかるわけないでしょ。復讐される側が、何を考えてるかなんて」

「あぁ、俺にも分からない」

 だからそこ、不安が消えない。

 ただの取り越し苦労なら、それでいい。だが、何か一つでも目測を見誤れば、計画が破綻する恐れがある。

 そして、そうなれば、結月は──

「レオ」

 すると、ルイが近づき、レオの顔を覗きこんだ。海のように澄んだルイの瞳には、不安気なレオの姿が映り込んでいた。

「はっきりいうけど、レオに分からないなら、もうお手上げだよ。それより、どうするの? 得体の知れない奥様のシッポを掴むまで、計画を延期する?」

「いや、延期するつもりはない。ここまで来たんだ、予定通り強行する。例え、あちらに何か企みがあるにしても、逃げ切ってしまえば、こちらの勝ちだ。でも、念のため、ルイの耳には入れておきたかった」

「そう……まぁ、何かあった時に対処しやすいのは、僕だろうしね。でも、結月ちゃんには話してあげてもいいんじゃない。きっと、心配してるよ」

「そうかもな……でも、結月に話すつもりはない。結月は、俺の父が阿須加のホテルで働いていたことを知らない。それなのに、こんな話をしたら」

「確かに、自分の一族が、レオの親を自殺に追い込んだなんて知ったら、ショックだろうけど……でも、レオが話さないのは、本当にそれ?」

「……なにが言いたい」

「レオが話さないのは、って、知られたくないからでしょ?」
 
 何もかも見透かすような瞳が、一瞬にして、レオを捕らえた。

 ルイは昔から、よく相談相手になってくれた。だが、こうして、あっさり人の核心をついてくるところは、相変わらずだと思った。

「その顔は、図星かな。レオって、結月ちゃんが絡むと、とたんに臆病になるよねー。嫌われるのが怖くて話せないなんて……でも、もっと信じてあげなよ。愛してるなら」

「愛してるから、怖いんだろ」

 結月に嫌われたら、もう生きていけない。
 それだけ結月との未来に、全てを捧げてきた。

 それなのに、あの頃の自分が、復讐のために結月の傍にいたのだと知ったら。

 本当は、結月を傷つけるために、優しくしていたのだと知ったら、結月は何を思うだろう──…

「結月に、話すつもりはない。一生」

「それは、始まりが復讐だったから? そんなの、どうでもいいよ」

「どうでもよくなんか……!」

「いいんだよ。始まりなんて、どうでも!」

「……っ」

 珍しく、感情的なルイの声が響いた。

 部屋の中は、シンと静まり返り、真冬の空気と相まって、酷くひんやりとしている気がした。

「ねぇ、ずっと、それを隠して生きていくの? 話したら嫌われるって、怯えながら生きていくの? それって辛くない?」

「辛くなんてない。結月を失うのに比べたら」

「失わないよ」

「なんで、そう言い切れる!」

「だって彼女は、君を好きになったんだよ」

「……!」

 瞬間、レオは目を見開いた。

 ルイの声が、すっと心に入り込めば、まるで、慰めるような優しい声は、凝り固まったレオの心をゆっくりと溶かしていくようだった。
 
「レオ、君たちは、絶対に結ばれてはいけない関係だったとしても、何度でも惹かれ合って、愛し合うよ。復讐する者とされる者。それにもかかわらず、君は彼女に恋をして、彼女もまた、お嬢様と執事という立場でありながら、執事である君を選んだ。二度も彼女は、君に恋をして、君との未来を選んだんだよ。なら、もう運命でしょ。始まりが、なんだったかなんて関係ないよ。今の彼女を信じて。君の運命の人は、絶対に、君を嫌いになったりしないよ」

「…………」

 どんなに力がついても、変わらないものがあった。

 大人になっても、臆病な心は、今も、ずっとなくならなかった。

 失ったあの日の恐怖が、また、失うことを拒んでいた。だからこそ、信じているはずなのに、口には出来なかった。

 もし、嫌われたら。
 また、失ったら。

 そう思うと、苦しくて──

 そして、そんな弱い自分が、たまらなく嫌だった。

 立ち止まって、怖がって、失うことに怯えて、泣きじゃくりたくなる自分が、たまらなく、たまらなく、情けなかった。

 でも──…
 
「結月ちゃんは、レオを守れる人だよ。だから、全部話して、結月ちゃんに慰めてもらっておいで。それに、結月ちゃんに話せば、奥様が何を考えているかも、分かるかもしれないしね。一応、親子なんでしょ」

「……そうだが」

 いや、それについては、あまり期待を持てない。

 ほとんど顔を合わせない親子。あの二人は、血の繋がりこそあれ、親子ではないから。

「ていうか、リーダーがそんな顔してちゃ、成功するものも出来なくなるじゃん!」

 すると、ずっと辛気臭い顔をしているレオの背を、ルイがパンパンと叩き出した。

「ほら、シャンとして! 大晦日までに、なんとかしといてよ!!」

「わ、わかった! 悪かった、ルイ!」

 だが、こうして、士気を上げてくれるのはありがたいと思った。

 確かに、ルイのいうとおりだ。

 全てさらけ出して、まっさらな気持ちで門出を迎えられるなら、それに越したことはない。

「ありがとう、ルイ」

 大丈夫と、背中を押してくれたルイに、自然と笑顔が浮かんだ。

 今夜、話してみよう、結月に。
 そして、謝って、また──繋ごう。

 二人の絆を──…


「じゃぁ、僕は帰るから、次に会うのは、実行の時かな!」

 すると、ルイが、黒髪のカツラをかぶりながら、にっこりと微笑んだ。

「あぁ、よろしくな。それと、コレ」
「え? なに?」

 すると、レオは執務室の引き出しから、箱を取り出し、ルイに差し出した。

 縦長で小ぶりのプレゼントボックス。
 そして、それには、上品なリボンがかかっていた。

「お前、今日誕生日だろ。おめでとう」

「え!? 覚えてたんだ」

「あぁ、もう、こうして祝うこともないだろうからな。お前には、世話になった」

 今日、12月28日は、ルイの23歳の誕生日だった。ルイは、レオから箱を受け取ると、名残惜しそうに微笑む。

「そっか。もう、お別れなんだね。寂しくなるよ……でもさ、フランスで結婚式をあげるつもりなら、あと一回くらいは会えるかな?」

「え?」

 すると、少しだけ茶化すように、ルイが、レオを見つめ、レオは言葉に困る。

「それは」

「日本で会うのさダメでも、フランスならギリギリOKじゃない? そのくらいの夢は見せてよ。だから、楽しみにしてるね、二人の結婚式に出席できるのを」

 それは、ほんの囁かな夢の話。
 またいつか会いたいと願う、未来への期待。

 それが、本当に叶うかどうかは、分からないけど……

「あぁ、そうだな……それは、とてもいい夢だ」

 また、いつか、この親友と語らえる日が来ることを──

 そう願うレオの表情は、とても穏やかで、優しいものだった。


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