お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

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第18章 巫山の夢

秘め事

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 それから数日がすぎた、12月21日。

 今日は、結月が通う純心女子学院の終業式の日だった。

 長い学院長の話が終わり、二学期最後のホームルームを終えたあと、結月は級友たちに別れの挨拶をしていた。

 計画の実行日は、大晦日。つまり今年いっぱいで、結月はこの町を去る。

 だからこそ、今日が彼女たちと話をする最後の日。

 ……といっても、駆け落ちをすると悟られるわけはいかないので、表向きは普段通りの挨拶をし、別れは心の中だけにとどめた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」

 学校をでると、玄関先では、執事が待ち構えていた。
 きっちり身なりを整え、清廉と佇むこの執事が結月の恋人で、なおかつ、将来を誓い合った相手だとは誰も気づかない。

 それだけレオも結月も、執事らしく、そしてお嬢様らしく振舞ってきた。


 ──パタン

 その後、ロータリーを移動し車に乗ると、執事が、静かに後部座席のドアを閉めた。

 車がゆっくり動き出せば、結月は、慣れ親しんだ母校を、名残惜しげに見つめる。

 この学校での日々は、悲しみの中からは始まった。中学からのエスカレーター式であるこの学院は、両親が勝手に決めた学校だ。

 立派な淑女になるための気品を身につけろと、それまでの交友関係を一掃され、無理やりこの学校に投げ込まれた。

 それ故に、一から人間関係を築くのは、とても大変で、だが、それでも彼女たちとの日々は、思いの外、楽しいものでもあった。

 同じお嬢様でも、世間には、様々な女性達がいた。

 だが、彼女たちの中に、自分と同じように、親に縛られ、ほとんどの外出を禁じられているお嬢様は、そうはいなかった。

 世間の当たり前と、自分の親の異常性を垣間見ることが出来たのは、きっと、この学校で、彼女たちと仲良くなったおかげだ。

 だが、それに気づいたところで、結月が、あの親に反抗できるはずもなく、ずっと己の心を殺し、結月は人形のように生きてきた。

 そう、レオが執事となって、戻ってくるまでは……


 ✣✣✣

「着きましたよ、お嬢様」

 車が屋敷につけば、いつも通り執事にエスコートされ、結月は車からおりた。

 玄関の扉を開けられ、そのまま屋敷の中に入れば、結月は執事と話しながら、自室へと向かう。

「最後の学校は、いかがでしたか?」

「普段通りだったわ。みんな、あと10日で私がしまうなんて、考えてもいないでしょうね」

「そうですね。お学友たちも、さぞかしお悲しみになられることでしょう」

「なるかしら?」

「なりますよ。何も知らない者たちは、驚きと悲しみにつつまれ、そして暫くすれば、

「…………」

 忘れる──その言葉に、結月は足を止め、再びレオを見上げた。

 確かに、その通りだ。
 所詮は、その程度のものだった。
 あの学院での繋がりは……

「そうね……計画は、順調にすすんでるの?」

「はい。神様への伝達も、手はず通りに」

「……そう」

 その返事を聞きながら結月が再び歩き出せば、二人は部屋の中に入り、その後、レオが扉を閉めた。

 広いお嬢様の部屋は、今日も美しく整えられていた。
 
 そして、その中で二人きりになれば、まるで舞台から下りたあとのように、二人はお嬢様でも、執事でもなくなる。

 荷物を置き、ただの恋人同士に戻れば、レオが結月の頬に触れ、優しく口付けを落とす。

 そのキスは、甘く触れるだけの時もあれば、深く求められる時もあった。

 だから、きっと今日も、そうだろうと思っていた。それなのに、今日は普段とは違う返事が、レオから返ってきた。

「それでは、私は昼食の準備をして参りますので」
「え?」

 荷物を置いて、すぐに言われた言葉。キス一つする素振りもなく、執事としての態度を崩さないレオに、結月は呆気にとられた。

「え、あ、昼食? レオが作るの?」

「はい。お忘れですか? 今日は、冨樫も相原も休暇を頂いておりますので、屋敷の業務は、全て私が行っております」

「あ、そうね。そう……だったわ」

 レオの言葉に、結月はすぐさま思い出した。

 前日話していた通り、今日、恵美たちは、ルイや斎藤たちと一緒に、二人の住処《すみか》となる家の手入れに行っていた。

 大人数で行き、一日で生活の基盤を整えてくるとは言っていたが、それでも遠方にあるため、恵美たちがこの屋敷に帰宅するのは、明日の夕方。

 つまり、それまでの間、この屋敷にいるのは、レオと結月の二人だけ。

「何か、お召し上がりになりたいものはございますか?」

「え?」

「今日は、誰もおりませんし、普段は食べられない庶民的な料理をご用意しても?」

「庶民的な……?」

 その言葉には、素直に興味を引かれた。でも

「しょ、庶民の料理なんて、いきなり言われても、よく分からないわ」

「ふ、確かにそうですね。では、にとっておきましょうか?」

「後の?」

 それは、"駆け落ちをしたあとの"──その意味に結月が気づけば、レオはまた優しく微笑み、部屋から出ていった。


 ✣

 ✣

 ✣


 その後、昼食の準備が整うと、豪華な食堂の中で、結月は一人で食事をとっていた。

 執事が作った今日の昼食ランチは、鴨モモ肉のコンフィにオマール海老のサラダなど。

 冨樫シェフが作ったものとはまた違う味つけだが、だとしても、どこに出してもおかしくない程の素晴らしい出来栄えだった。

 メイン料理の華やかさも、スープの温度も申し分ない。だが、その優雅なランチタイムの最中、結月は、ずっと落ちつかずにいた。

 二人っきりのせいか、前にレオに言われた言葉を思い出す。

『また、この屋敷で二人っきりになることがあったら、その時は覚悟していて』

 覚悟──それはつまり、覚悟を持てということ。
 
(やっぱり、あれ……本気かしら。なら、今夜は……)

「お嬢様」

「ッ!!」

 ──カシャン!

 不意に声をかけられ、全身に緊張が走った。
 びくつく身体は無意識に跳ね、それと同時に手にしていたフォークが手から滑り落ち、床の上で音をたてた。

「あ、ごめんなさい」 

「いえ……すぐに代わりの銀食器シルバーをお持ち致します」

 落ちた銀食器。それを拾いあげようと執事が身をかがめた。だが、普段とは違う結月の反応に、レオもまた混迷する。

 普段、結月が、食事中にこのような失態をおかすことはない。テーブルマナー関しては、人一倍気を使っているから。

 それなのに……

(……何をそんなに、驚いて)

 食が進んでいないのを見て、ただ声をかけただけ。それなのに、ビクつき戸惑うような反応。

 だが、その動揺ぶりをみて、レオもまたあの言葉を思い出す。

(あぁ……俺が、言ったからか)

 この屋敷で、また二人っきりになることがあったら──あれは、間違いなく"男女の秘め事"を示唆する言葉だった。

 もちろん、冗談で言ったわけではないし、早く結月を自分だけのものにしたい。そんな気持ちも確かにある。

 だが、この屋敷で二人きりになることは、正直、もうない思っていた。

 だからこそ、レオも今は、執事としての姿勢を崩さぬにいる。

 誰の目もなく、二人きり。

 そんな中、一度、箍《たが》がはずれてしまったら、もう止められる自信がなかった。

 きっと、時間も都合も忘れて、ただ愛し合うことに夢中になってしまう……そんな気がした。

(結月は、まだ……覚悟ができてないのかもな)

 あの言葉を意識して、こんなにもビクついているのだろうか?

 だが、そうなってもおかしくなかった。

 前に二人きりになった時、無理やり唇を奪うようなことをしてしまったから。

 記憶のない結月を組み敷いて、一方的な愛情を、気がすむまで注ぎ込んだ。

 戸惑う結月に深く口付けて、貪るような背徳的なキスを何度と繰り返した。

 そしてそれは、まさに自分の心を満たすためだけの、独りよがりな愛し方でしかなかった。

 きっと、今日だって、こちらが求めれば、結月は、受けいれてくれるのかもしれない。

 例え、覚悟が決まっていなくても、その全てを、自分に捧げようと、必死になって応えてくれるのだろう。

 だけど、花を散らすのに、そんな一方的な形では及びたくなかった。

 大切だからこそ
 愛しいからこそ

 結月の覚悟が決まるのを待ってから、愛し合いたい。

 だからこそ、今はあの時のようにならないよう、きつく己を律しなくては……

 そう思うと、銀食器を拾い上げたレオは、改めて結月を見つめた。

「結月」
「え?」

 名前を呼ばれて、結月が顔を上げる。

 すると、しばらく目を合わせたレオは、その後結月の耳元に唇を寄せ、まるで内緒話でもするように囁いた。

「大丈夫だよ。そういう秘め事は、全て片付いてから、ゆっくり進めればいい。だから、心配しないで……今夜は、から」

「……っ」

 穏やかな声で、安心してと呼びかけられた。

 思考を読まれたことに、結月が困惑していると、レオは、そんな結月の頭を優しく撫でた後、つかえなくなった銀食器を手に、食堂の中から出ていった。

 だが、そんなレオを見送りながら、結月は、静かに呟く。

「そう……なにも、しないのね」

 微かに漏れた切なげな声。

 だが、それは、どこか失意が入り交じるような、複雑な色をしていた。

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