お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

文字の大きさ
上 下
182 / 289
第18章 巫山の夢

女子校の噂

しおりを挟む

 お嬢様を学校に送り出したあと、メイドの恵美は、屋敷の外を掃除していた。

 屋敷の門前の常に美しく整えておくのは、使用人たちの仕事だ。そしてそれは、寒い冬の日も変わらず。

(うー、寒い……!)

 だが、北風が吹けば、それはメイド服の裾を揺らし、恵美は小さく縮こまる。

 毎朝のこととはいえ、この仕事は、冬が一番堪える。だが、その時

「寒い中、大変だねぇ」

 不意に、誰かに声をかけられた。

 見ればそこには、70代くらいの老人がいて、朝の散歩中なのか、屋敷の周りで掃き掃除をしていた恵美に、おじいさんは、穏やかに声をかけてきた。

「あ、米田のおじいちゃん。おはようございます!」

「おはよう、恵美ちゃん。毎朝、ご苦労さま。恵美ちゃんが、いつも綺麗にしてくれるから、うちも助かってるよ」

「そんな。屋敷の周りを綺麗に保つのは、私たちの仕事ですから」

 このおじいさんは、いわゆる
 阿須加の屋敷は、とても広大だが、周りに民家が全くないわけではなく、ご近所付き合いも、それなりにあった。

 といっても、それは使用人たちに限った話で、お嬢様は、近隣住人の顔すら分かっていないだろうが。

「そういえば、今年のは誰が作るんだい? 斎藤くんは、辞めてしまったのだろう?」

「あ……」

 すると、世間話でもするように、おじいさんがそう言って、恵美はふと考える。

 門松かどまつとは、正月に飾るあの門松のこと。そして、昨年までは、それを結月の運転手だった斎藤が作っていた。

 屋敷の門の飾る立派な門松は、かなりの出来栄えで、毎年、近所の人々が眺めに来るほどの大作だった。

 だが、今年は、わざわざ門松を作る必要はない。なぜなら、この屋敷で、お嬢様が正月を過ごすことはないから。

 とはいえ、あくまでも、いつもと変わらない振る舞いをしなくてはならない恵美たちにとって、正月を迎える準備をするのは、ある意味、当然のことでもあった。

「大丈夫ですよ。門松は、執事の五十嵐さんが作ることになってます」

 笑って答えれば、その後また、世間話に花が咲きはじめる。

「そうなのかい? さすがだなぁ、五十嵐くんは。本当に、なんでもできるんだねぇ。この前は、うちの家内の自転車を直してくれたみたいでね。やっぱり、阿須加家の使用人たちは、優秀な人が揃ってる」

「あはは、私は優秀じゃないですよ。ドジばっかですし」

「そんなことはないさ。この近辺に、いつも塵一つ落ちてないのは、恵美ちゃんが、丁寧に掃除しとくれてるおかげさね。ありがとうねぇ」

「いいえ、なんだか照れますけど、ありがとうございます。それより、早く帰らないと朝ドラはじまっちゃいますよ」

「あぁ、そうだった! じゃぁ、今年も立派な門松、楽しみにしてるね」

「はい。五十嵐さんに、伝えときます!」

 おじいさんが、手を振りさっと行くと、恵美もヒラヒラと手を振りながら、その背を見送った。

 うちの執事の凄いところは、お嬢様や使用人にだけでなく、近隣住民にも、優しいところだ。

 お嬢様の送り迎えや、別館への呼び出しなど、なにかと車での移動が多い執事。だが、その間、困っている人を見かけると、すぐさま車から降り、颯爽と問題を解決した後、スマートに去って行くらしく、よく恵美が外を掃除していると、執事へのお礼の品を、住民たちが持ってくる。

 そんなわけで、うちの品行方正かつ完璧な執事は、近隣住民からの信頼も厚い。

 だからこそ、あの執事が、お嬢様との駆け落ちを企んでいるなんて、きっと気付く人は、誰一人としていないだろう。

(お正月かぁ……この屋敷をでたら、もう、あのおじいちゃんたちにも会えなくなるな)

 寒空の下、屋敷を見上げながら、恵美は、小さくため息をついた。

 直に、この屋敷は、空っぽになる。みんな、自分の夢を叶えるために、屋敷を出ていくから。

「いいなぁ、みんな夢が叶って……」

 正直、羨ましいと思った。
 夢を叶えられる人たちが……

 だけど、自分はどうだろう。一向に叶う兆しのない夢に、恵美は暗然とていた。

「もう……諦めた方がいいのかな……?」

 迫り来る期限に、焦りが募る。

 実家には帰りたくない。
 だけど、事実行くところがない。

 ならば、そろそろ潮時なのかもしれない。

 夢を叶えられるのは、ごく一部の選ばれた人間だけだ。

 そして自分は、その選ばれた人間には、属さないのかもしれない。

 なら、叶わない夢を、いつまでも追いかけているよりは、親の言うとおり、無難な人生を生きていくのがいいのかもしれない。

「やっぱり私、才能ないのかな……」

 人の夢は──儚い。
 それは、いつか散る時がくるから。

 才能のない凡人は、どこかで諦めを知る。自分の限界を知り、夢を見ることをやめてしまう。

 そして、それは、いつも突然やってくる。

 まるで、心が



 折れてしまったかのように──…

 

 

 
 



 ◇

 ◇

 ◇


(今日の恵美さん、元気なかったけど、大丈夫かしら?)

 その後、学校についた結月は、執事と別れたあと、いつも通り教室に向かっていた。

 執事が回復したのはいいが、その代わりというのはなんだが、恵美の様子が少しおかしかった。

(レオの仕事を、張り切って変わってくれていけど、無理をさせてしまったかしら?)

 もし、疲れがでたなら、明日にでも休暇をあげなくては……そんなことを考えながら教室につけば、仲の良いご令嬢たちが、品良く結月に挨拶をしてくれた。

「ごきげんよう、阿須加さん!」

「ごきげんよう。今日は冷えますね」

「本当! こう寒いと、外に出るのも億劫だわ。しかも、今年は、例年より冷えるみたいだし、クリスマス頃には、雪が降るんじゃないかって話しよ」

「そうなんですか?」

「えぇ、でも雪が降って、ホワイトクリスマスになったら、素敵ね!」

 すると、女子たちが、コロコロと話を変え、その後は、クリスマスの話で盛り上がりはじめた。

 この時期は、なにかとパーティーが多く、どこの家のパーティーに招かれたとか、そこの息子がイケメンだったとか、よくそんな話で盛り上がるのだが……

「阿須加さんは、クリスマスのご予定は?」

 不意に、女子の一人に話しかけられて、結月は、特に驚きもせず、平然と答える。

「私は、冬弥さんと、一緒に過ごす予定です」

「まぁ、もしかして、デート!?」

「冬弥さんて、阿須加さんの婚約者でしょ! 今、急成長中の餅津木家の御曹司の!」

「あ、知ってる! 私、前にパーティーで一度みかけたけど、冬弥さん、なかなかハンサムな方だったわ」

「まぁ! そんな素敵な方と結婚できるなんて、羨ましいわ!」

「………」

 盛り上がる女子たちの話を、結月は笑みを崩さず聞いていた。

 数日前、結月はクラスメイトに婚約者の話をした。正式にお付き合いしていることと、その仲は良好だということを付け加えて。

 するとどうだろう。女子校内での噂は瞬く間に広まり、今や阿須加家の娘と餅津木家の息子が婚約した話は、周知の事実だ。

「ねぇ、冬弥さんとは、もう何度かデートをしているの?」

「いいえ。そう何度とは。冬弥さんは、お仕事で忙しい身なので」

「まぁ、でもそんな中、クリスマスに予定を空けておいてくださるなんて、愛されてのね!」

「……そうですね」

「でも、少し勿体ない気がするわ。いくら婚約者が出来たからって、進学まで諦めてしまうなんて! 先生もガッカリしてらしたわよ」

「あら、そうなのですか? でも、自分で決めたことなので。私、大学には行かず、彼を支えたいと思ってるんです」

「まぁ、なんて奥ゆかしい。阿須加さんは、きっと素敵な奥様になれるわね」

「ありがとう。そうなれるように努力します。なにより、冬弥さんは、私には勿体ないくらい素敵な方で。とても優しいし、私のことをなによりも、大切にして下さって……あんなにも素敵な方との縁談をもってきてくれた両親には、感謝しないといけませんね」

 口からデマカセばかり発しながら、結月はにこりと笑った。

 こんな所を執事に見られたら、またヤキモチを焼かれてしまうかもしれないが、今は、自分がだということを、みんなに知らしめておく必要があった。

「あ! ねぇ、ここだけの話、もうはご経験されたの?」 

「へ?」

 だが、その後、話は更にセキララなものに変わって、結月は、あからさまに頬を赤らめた。

 なんとかポーカーフェイスを崩さずにきたのに、その瞬間、思い出してしまったからだ。

 ことある事に執事から与えられた、あの甘く濃厚な口付けのことを……!

しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...