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第18章 巫山の夢
お嬢様のご命令
しおりを挟む「おはようございます、お嬢様。お目覚めのキスは、如何ですか?」
その声に、結月は、パチッと目を覚ました。
今、結月の目の前には、爽やかな笑顔を浮かべた執事の姿があった。
見目麗しい容姿に、均整のとれた体躯。弧を描く口元は妙に艶めかしく、だが、見つめる瞳は、とても穏やかで優しい。
それは、結月が将来を誓い合った、愛しい男だった。
だが、その愛しい人が、何故か自分のベッドの上にいて、覆いかぶさっていた。それに、先程感じた、あの唇の感触は
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「わ! ちょッ」
恥じらい、そして、悲鳴をあげれば、顔を真っ赤にした結月の口元を、レオが慌てて押さこんだ。
いくら恋人同士とはいえ、さすがに、お嬢様の悲鳴なんて聞こえたら、使用人たちが飛んでくる!
だが、口元を押さえつつも、あまり力は込めていなかったからか、その手は、あっさり結月に振りほどかれた。
「な、なんでレオが!?」
「なんでって、お嬢様を起こすのは執事の仕事だろ?」
「そ、そうだけど……でも、昨日まで恵美さんが」
「あぁ、もう熱は下がったから、今日からは、いつも通り働けるよ」
「え? 熱……下がったの?」
すると、暴れていた結月が、途端に大人しくなった。
熱が下がったと聞き、結月は、レオの頬に手を伸ばす。
前に、触れようとした時は、あっさりその手を掴まれ、触れることを阻まれた。
だが、今度は、その手を拒むこことなく、すんなり触れさせてくれたレオに、結月は安堵し、同時にじわりと涙をうかべた。
目を閉じ、穏やかに結月を受けいれるレオ。その肌は、確かに、熱が引いているのがわかった。
「よかった……本当に、下がってる……っ」
落ち着いたレオの体温は、少しひんやりしていた。すると、頬に触れた結月の手に、自分の手を重ね合わせながら、レオがまた微笑む。
「心配かけて、ゴメン」
「うんん、私の方こそ、なにも出来なくて、ごめんなさい……っ」
体調が優れない中、ずっと執事として、過酷な業務に耐えてくれた。
身体にムチを打ちながらも、それでも、誰にも気取られないよう平然と振るまうレオを、結月は、心配することしか出来なかった。
「もう、無理しないでね……っ」
「うん」
「絶対よ。私も一緒に戦うから」
あなたの傍で、あなたと共に
この地獄を、切り抜けたい。
ただ、守られているだけじゃなく……
「……勇ましくなったな。一緒に戦うなんて」
「本気よ、私は」
「うん、でも、やっぱり心配だ」
「心配?」
「本当に一人で行く気か?」
不安げなレオの顔を見て、結月は、それが何を指しているのか、すぐに察した。
レオが言っているのは、クリスマス・イブの夜。結月が、餅津木家に招かれていることについてだ。
「えぇ、一人で行くわ」
「……無理に行かなくても」
「ダメよ。婚約者の誘いよ」
「だけど……あの夜、パーティー会場で何があったか、忘れたわけじゃないだろ」
穏やかだったレオの表情が、一変して険しい顔つきに変わった。
レオの言いたいことは分かる。
あの餅津木家の誕生パーティーに招かれた夜、結月は、冬弥と二人きりにされ、ジュースと偽りワインを飲まされた。
アルコール度数の高いワインは、結月の思考をあっさり奪い、同時に抵抗する力も奪われた。
もし、あそこでレオが助けに来てくれなかったら、自分の純血は、無惨にも奪われたあとだったかもしれない。
「一晩、冬弥と過ごすのが、どういうことか」
「分かってるわ」
「だったら……!」
「大丈夫。──信じて?」
レオの頬に触れていた手を、そのまま首に回し、結月はレオを抱き寄せた。
クリスマス・イブの夜。結月は、冬弥と二人きりで、一夜を過ごすことになっていた。
正式に、結月が冬弥と恋人同士になってから、約一ヶ月。それを思えば、あちら側が、その夜に何をしかけてくるか、想像できないわけではない。
だが、結月は、レオを胸の前で抱きこむと、その後、優しくレオの頭を撫でながら、囁きかけた。
「大丈夫。今度こそ、指一本触れさせない。だから、心配しないで」
「……っ」
まるで、不安がる子供を落ち着かせるように、穏やかな声が脳内を満たす。だが、それで、レオの不安が消えることはなく
「はぁ……無理。心配すぎて、ハゲそう」
「ハゲそう!?」
結月の胸に顔を埋めながら、それでも、深い深いため息をついたレオ。すると、結月は、クスクスと笑いだした。
「それは大変。せっかくこんなにハンサムなのに」
「笑い事じゃないよ。俺が、どれだけ心配して」
「分かってるわ。でも、今の私は、いい子でいなくてはならないの。それに、私だって、易々と冬弥さんの言いなりになるつもりはないの。レオにも話したでしょ。私の記憶のこと」
「………」
その言葉に、レオは目を細めた。
結月の失われていた記憶の中には、レオも知らない記憶が、一つだけあった。
そして、それを、先日、結月が教えてくれた。
「だから、執事さんは、大人しく屋敷で待ってて。これは、命令よ」
「·······っ」
そして、ご丁寧に『執事』と強調され『命令』されてしまえば、レオは途端に弱くなる。
なにより、結月がここまで言うのだ。
信じてやりたい気持ちも、少なからずあった。
「……分かった」
その後、レオは渋々、己を納得させると、そのまま結月の肌に口付けた。
柔らかな胸にキスを落とし、舌を這わせれば、その感触に、結月が慌ててレオを静止する。
「ひゃ、あっ……レオ、なにやってるの!?」
だが、静止の声など聞かず、レオは結月の肌に小さな刺激を与えた。
強く吸い付くようなその感覚は、結月にも覚えがあった。それは前にも、経験した感覚だったから。
「ん……っ」
すると、それからしばらくして、レオが離れたかと思えば、結月の白い胸元には、花びらのような跡が赤く残っていた。
「どうしても行くっていうなら、俺の印を、たっぷりつけておかないとね」
「え? それは、ちょっと……っ」
「どうして? 指一本触れさせないなら、見られることもないだろ」
「そ、そうだけど──て、まだ先の話でしょ! それに、ここは屋敷の中なのよ? 執事なら、もう少し執事らしく」
「でも、そんな執事を、わざわざ抱き寄せたのは、お嬢様の方では?」
「っ……だってそれは、レオが、不安そうにしてたから」
「不安だよ。結月のことを思えば、こんなにも苦しくなる」
「ひゃ……ッ」
すると、レオはまた結月の胸に、二つ目の跡を残し始めた。
誰にも、奪われたくない。
誰にも、触れさせたくない。
そう思えば思うほど、行かせたくないという思いが強くなる。
だけど、行かないわけにはいかないということも、レオにはよく分かっていた。
アイツらを欺くためにも、結月は、これまで通り、従順なお嬢様でいなくてはならない。
そう、この屋敷を出ていく、その日までは──
「結月……っ」
だが、わかってはいても、不安は少しずつ大きくなった。そして、その不安げな声を聞いて、結月は、またレオを抱きしめた。
一歩、餅津木家の中にはいってしまえば、もうレオの目は届かない。
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結月とて、不安がないわけではなかった。
敵地に、たった一人で乗り込むのだ。
それも、自分との間に、子供を作りたがっている男の元に──
「レオ、大丈夫よ。私は、あなただけのもの。それだけは、永遠に変わらないわ」
冬の寒さは、次第に厳しくなる。
そんな中、二人は肌を寄せ、心を寄せ合う。
どうか、この愛しい人が
これ以上
不安に、押しつぶされてしまわないように──…
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