お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

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第16章 復讐と愛執のセレナーデ【過去編】

復讐と愛執のセレナーデ⑳ ~誓い~

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「なんだか、あっという間だったね」

 夏休みに入った7月下旬。フランスに旅立つ前日、俺はルナを連れて、結月に最後の別れをつげにきた。

 いつもの温室の中。ベンチに座る結月は、ルナを膝に乗せて、その背を撫でていた。

 とても、名残惜しそうに……

 だけど、普段と変わらず柔らかな笑みを浮かべた結月は、しっかりと別れを受け止めているように見えた。

 でも、俺の方は、一つだけ気がかりなことがあって

「あのさ、結月」

「ん?」

「前に言ってた、ヤマユリの花だけど……ごめん、まだ咲かなくて」

 前に、ヤマユリが咲いたら、結月に見せてやると約束していた。だけど、うちの庭先にあるヤマユリは、まだ蕾のままで、咲いてはくれなかった。

「いいよ、気にしなくて……咲かないうちに摘むのは、可哀想だもの」

「……ごめん」

「もう、そんな顔しないで。最後なんだから、笑って、お別れしましょう」

 そういうと、結月は俺の手を握りしめた。こうして、手を繋ぐのも最後。

 次は、いつになるか分からない。

 別れが迫ると、無性に寂しさや不安が押し寄せてきた。

 できるなら離れたくなかった。
 ずっと傍にいたかった。

 だけど、本心ではそうおもっていても、口にはしなかった。

 最後は笑顔で別れよう、そう約束したから。

「必ず、迎えに来る」
「うん……」

 時間が来るギリギリまで、一緒にいた。
 手を繋いで、寄り添って。

 明日のこの時間には、あの家を出て、空港に向かう。フランスに行ったら、簡単には帰って来れない。

 それでも、どんなにつらくても、別れる道を選んだのは、二人の未来のため。

「じゃぁ、また」
「うん、またね」

 その後、俺たちは、二人笑ってサヨナラをした。

 あっけない終わりだった。
 本当に終わりなのか、分からないくらい。

 また明日も、変わらずに会うのではないかと思うくらいの、普通の挨拶。

 フランスに行ったあとは、お互いに、手紙を出さないと決めた。使用人や親にバレたら大変だから。

 次に会うのは、きっと数年後。
 俺たちが、大人になった時。

 だけど、漠然と不安を感じたのは、その未来への約束が、あまりにも遠いものに感じたから──…


 ✣

 ✣

 ✣


「レオくん、準備は出来た?」

 そして、次の日
 日本を発つ、その日の午後。

 伯母に声をかけられた俺は、小さく相槌をうっていた。

 この日の俺は、普段よりオシャレな服を着て身支度を整えたあと、ルナと一緒に家の中を見回していた。

 迎えが来たら、俺はこの家を捨てて、フランスに行く。慣れ親しんだ家は、酷くガランとしていた。

 祖母は、先日希望していた老人ホームに移って、今は俺一人。

 フランスに行くまでの間、一時的に俺を預かろうかと伯母はいってきたけど、ルナもいたし、なにより最後まで、この家にいたかったから、断った。

「父さん、俺……行くね」

 ルナを下ろし、父が残した、あの空っぽの『箱』に握りしめた俺は、仏壇の前に立ち、父に最後の挨拶をした。

 父の遺影は、俺がひきとられたあとは、伯母夫婦の家に行くらしい。

 俺が、フランスに持っていく父のものといえば、写真と万年筆と黒革の手帖。そして、この小さな空っぽの箱。

 だけど、その箱を見つめながら、ふと思った。もし俺が、結月と結婚したいって言ったら、父は何を思うだろう。

 俺が好きな女の子が、自分を苦しめた、あの阿須加の娘だと知ったら、父はやはり嫌がるだろうか、それとも、反対するだろうか?

 だけど、仮に反対されたとしても、俺の意思は、変わらなかった。

 父の苦しみに気づけなかった。
 だからこそ、結月は、絶対に救いだしたい。

 例え、この命に変えても──…

「父さん、俺、好きな子が出来たんだ。その子は、父さんと同じように苦しんでる。だから、絶対に助け出すよ。だからどうか、見守っていて……」

 その後、決意の言葉を残し、仏壇から縁側に向かうと、ゆっくりと外の景色を見渡した。

 庭先にある景色は、今日も優雅だった。
 最後に見るこの家の景色は、夏の瑞々しい風景。

 だけど、ある一点を見た瞬間、俺は目を見開いた。

「え?」

 庭先の池の側には、昨日までつぼみだったヤマユリが、美しく咲き誇っていた。

 黄色のスジが入る、その色鮮やかなヤマユリは、結月が見たいといっていた、あの約束の花。

「咲いてる……っ」

 一瞬目を見張り、その後、俺はすぐさま時刻を確認した。

 家を出るまで、あと一時間。
 まだ、間に合うと思った。

 俺は、弾かれたように、庭先に飛び出すと、手にしていた箱をポケットの中に押し込み、ヤマユリを数本切りとり、器用にまとめて花束を作った。

 今の時間なら、きっと結月は温室にいる。

 まだ、会えるかもしれない。
 約束を、破らずに済むかもしれない。

 そう思うと、俺は慌てて、家から飛び出した。


 ✣✣✣


 それから、すぐに屋敷にむい、中に忍び込むと、俺は温室の中で結月を探した。

 お願いだから、いてくれ。そう思いつつあたりを見回せば、中には予想通り、結月がいた。

 だけど、その後、声をかけるのを戸惑ってしまったのは

 結月が、泣いていたから──

「ぅ……っ、うぅ……レオ」

 夏らしく真っ白なワンピースを着た結月は、温室の中で、うづくまり泣いていた。

 昨日は、笑って別れようと言っていたのに、本当は、俺のために、泣かないようにしていただけなのだと思った。

 もう会えない俺を思いながら、涙を流す結月をみて、俺は愕然とする。

 やっぱり、あんな口約束だけじゃ、ダメだ。

 自分たちが大人になるまで、あと何年あるだろう。そして、その年月は、あまりにも長く、遠く──

「結月!」

 手にしたヤマユリをきつく握りしめると、俺は背後から結月に呼びかけた。

 すると、その声に、涙目のまま振り向いた結月は

「え、レオ? もう……出発する時間じゃ……っ」

 すごく驚いた顔をしていた。
 だけど、俺はそんな結月の手を掴むと

「来て……!」

「え?」

「ちゃんと約束しよう。神様の前で……!」

 そう言った刹那、俺は結月を連れて屋敷から抜け出した。

 向かった先は、前に結婚式をしているところを二人で見た、あの教会。

 そこは、結月の屋敷からは、そう遠くはなく、俺たちは、ただひたすら走って教会の中に入った。

 息を切らしながら、中を見回せば、そこには、運よく誰もいなかった。

 静かな教会は、窓から差し込む光で溢れていた。

 とても、清らかで神聖なその空間で、俺は念の為、入口の鍵を閉めると、結月を連れて、祭壇の前まで歩き出した。

「レオ、何をするの……?」

 結月は、ずっと戸惑ったままだった。いきなり、こんな所に連れてこられたのだから……

 だけど、俺は立ち止まり、結月に向き直ると、祭壇の前で、改めて結月を見つめた。

 二人向かい合い、見つめ合えば、その瞬間、空気が変わる。

 レースがあしらわれた真っ白なワンピースを着た結月は、まるで花嫁のようだった。

 本当なら、ベールや指輪があれば、もっと良かったのかもしれない。

 だけど、俺が結月に差し出せるのは、ヤマユリで作ったこのブーケと、あの空っぽの箱くらい。

 だけど、それでも、この先結月が、不安な思いをせずに、俺を待つことができるなら──

「結月、結婚式をしよう」

「……え、結婚式?」

「うん。今からやるのは、ママゴトじゃない。永遠の愛を誓う、本当の結婚式」

 真っ直ぐに結月を見つめて、俺はヤマユリの花を差し出した。

 本気の思いを伝えるように──

 すると、結月はそのブーケを手に取り、こぼれおちそうなくらい目を見開いた。

「これ……ヤマユリ?」

 じわりと涙をためて声を震わす結月に、俺は、次に、空っぽの箱を差し出す。

 蓋を開けて、結月の手の平に箱をのせると、その上に、俺も手を重ね合わせた。

 箱を二人で、包み込むようにして──

「結月、これからこの箱の中に、俺たちの『夢』を閉じ込めよう」

「……夢?」

「うん、俺は、絶対結月を忘れない。必ずここに戻ってくる。そして、戻ってきたら、あの屋敷を空っぽにして、結月を自由にする」

「……自由に?」

「うん。俺が絶対、結月を助け出す。好きでもないやつと結婚なんて、絶対させない。だから、今ここで──俺と結婚して」

「……っ」

 その瞬間、結月は大きく目を見開いた。

 この気持ちは、本気だ。
 それを、しっかり神様の前で誓おう。

 すると、俺は、その後、これまで誓った約束と、これからの夢を、一つ一つ箱の中に閉じ込めはじめた。

『いつか、自由になれたら、本当の家族になろう』

『家族になったら、毎年、誕生日を一緒に祝おう』

『二人で手を繋いで、色んな場所に行って、自由に、この世界を見て回ろう』

 普通の人が、普通に出来る小さな、だけど俺たちにとっては、とてもと大きな『夢』を、たくさんたくさん箱の中に閉じ込めた。

 例え、見えなくても
 そこには、確かに俺たちの『夢』があった。

 決して消えることのない
 約束と言う名の想いと一緒に……


「この箱は、結月が持ってて」
「え?」

 その後、箱を手にしたまま告げれば、結月は驚いた顔をして、俺を見つめ返してきた。

「なに言って……ダメだよ! この箱は、レオの大切な」

「そうだよ、これは俺の大切な物。だから、

「え?」

「取りに来るよ、必ず。大人になったら、結月を迎えに来る。だから、それまで預かっていて……この箱には、俺たちの夢と、俺の想いがつまってる」

「想い?」

「うん……結月を好きだって気持ち。誰にも渡したくないって気持ち。例えどんなに離れていても、俺はここにいる。だから、俺がいない間、辛いことがあったり、苦しくなった時は、この箱を見て思い出して。いつか必ず、俺が迎えに来るって……俺が必ず、結月を助けに来るって」

「っ……」

 もう、辛いことがあっても、聞いてあげられない。慰めてあげられない。

 だからこそ、結月に、大切な箱を託そうと思った。俺にはルナがいるけど、結月には、何もなかったから

「レオ……っ」

 すると、結月はその後、涙を流しなが、

「ありがとう……私、待ってる……ずっと……レオが、迎えに来てくれるの……待ってるから……っ」

 涙と笑顔で、ぐしゃぐしゃになった結月の表情は、とても綺麗だった。

 不安が落ちたようなその姿にホッとすると、俺は空いた手で結月の頬にふれ、流れる涙を優しく拭った。

 『夢』は閉じ込めた。
 『想い』も閉じ込めた。

 あと、この『約束』を封じ込めるだけ。

 俺は、結月と箱越しに重ね合わせた手に力を込めると、静かに顔を近づけた。

 誰もいない教会。それでも、誰にも聞こえないように、そっと囁く。

「誓いの言葉、言ってもいい?」
「…………うん」

 結月が同意したのが分かって、微かに、頬が赤らんだ。

 どうか人が来る前に、最後の儀式を終えてしまいたい。

 それは、決して大人に見られてはいけない、子供らしからぬ儀式だったから。

 だけど、今の俺達には、絶対に必要な儀式。

 お互いの中に、決して消えない約束を刻みつけるための

 永遠の愛を誓う、家族としての──誓い。



 その後、改めて向き合うと、俺たちは、誓いの言葉を紡いだ。


  病めるときも
  健やかなる時も

  喜びの時も
  悲しみの時も

  常に相手を敬い慈しみ

  死が二人をわかつまで
  愛し抜くことを誓いますか?



 その言葉に、俺たちは二人一緒に『誓います』と応えると

 その後、目を閉じキスをした。

 お互いの中に、約束を封じ込めるための、誓いのキス。

 決して、破らないようにと『願い』と『想い』を込めた優しいキス。

 触れるだけその口付けは、涙の味と、甘く優雅なヤマユリの香りがした。



 神様──
 どうか、見守っていてください。


 いつか、また二人の運命が

 交わりますように


 いつか、必ず

 本当の家族になれますように



 儚く脆い『夢』を現実にするため


 その決意を、俺たちはキスで

 お互いの中に封じ込めた。




 いつか、また


 二人で『夢』を



 語り合える日が来るように──…






 ✣


    ✣


 ✣


    ✣


 ✣







「レオ!」

 使用人たちと話していると、不意に声が聞こえた。階段の上をみつめれば、そこには泣きながら、執事を見つめるお嬢様の姿があった。

 困惑と同時に場の空気が静まりかえる。すると結月は、レオと目が合うなり、その場から駆け出し、レオに抱きついてきた。

「っ……ごめ…ん……ごめんね……レオ…っ」

 泣きながら謝りつづける結月を見て、レオは目をみひらいた。

 たった一言、名前を呼ばれただけで、全てを理解した。

 思い出した、結月が──

「……っ」

 衝動的に抱きしめそうになって、レオは触れようとした手を、必死に制止する。

 そこには、他にも人がいた。
 結月に仕える、使用人たちが──

 だけど、泣きながら縋り付く結月をみれば、抱きしめ返さないなんて、そんなことできるはずがなく、なにより、レオ自身がそれを求めていた。

「結月……ッ」

 使用人たちに見つめられる中、レオは、結月の背に腕を回すと、その体を、きつくきつく抱きしめた。

 やっと、思い出してくれた。
 やっと、帰ってきてくれた。

 もう、二度と思い出せないと諦めていた

 俺の愛しい愛しい、女の子が──…

「っ……レオ」

 答えるように、名前を呼べは、結月もまたレオの名を読んだ。

 背中に回わされたお互いの腕に、その事実をより深く実感する。

 この屋敷に来てから、この日を、どれだけ待ち望んだことだろう。

 また、二人で同じ夢を語り合えるこの日を、何度と夢見ていた。

 だけど、神様は、最悪なタイミングでその願いを叶えたらしい。

 まるで、二人の未来は
 決して交わることがないと

 嘲笑《あざわら》うかのように──…


「お嬢様……!?」

「五十嵐さん、これは一体、どういうことですか!?」

 執事の名を呼び、泣きながら抱きつくお嬢様と、そのお嬢様の名を呼び、抱き締め返した執事をみて、使用人たちが一驚する。

 屋敷の中は騒然とし、言い逃れの出来ないその状況に、結月がハッと我に返ると、レオもまた固く言葉を閉ざした。


 それは『秘密の恋』が終わる瞬間。

 お嬢様と執事として続けてきた

 この関係が



 無惨にも散った







 終焉しゅうえん瞬間ときだった。



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