お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

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第15章 お嬢様の記憶

朧月

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「そう、愛理さんも辞めてしまうのね……」

 それから数日がたち、12月に入った頃。結月は就寝する前に、愛理が退職する話を正式に聞かされていた。

 斎藤と矢野に続き、今度は愛理まで辞めてしまう。家族のように慕っていた人達が次々といなくなることに、結月は、どことなく落ち込んだ表情をしていた。

「寂しいですか?」

「寂しいわ……でも、愛理さん、結婚するんでしょ? なら、こんなに素晴しいことはないわ」

 落ち込みつつも、結婚というめでたい話に、結月は嬉しそうに顔をほころばせた。

 それは、斎藤や矢野の時とは、また違った反応で、悲しませてしまうと不安だったレオも、ホッと胸をなでおろす。

「冨樫は、年末年始まで働いて、1月頃退職する予定です」

「そう。じゃぁ、もう暫く愛理さんの手料理を食べられるのね」

 ベッドに腰かけた結月が、名残惜しそうに、そう言った。

 愛理が、この屋敷に来て5年。
 まだ、若いコックだったが、腕は確かなもので、愛理は結月の好みにあわせて、多種多様な料理を作ってくれた。

 それは、たった一人で食べる寂しい食事を、不思議と明るくしてくれるもので、それを思えば、自分が、どれだけ恵まれていたのかを、改めて実感する。

「愛理さんが手がけたお店なら、きっと素敵なお店になるわね……あ、でも、愛理さんがやめた後、この屋敷の食事はどうなるの?」

「……」

 だが、その後、結月は、また不安そうにレオを見つめた。

 そして、その言葉に、レオは躊躇する。

 この先この屋敷に、新しい使用人はこない。……となれば、コックの仕事も、この屋敷にいるが引き継ぐことになる。

 だが、ここで誤魔化しても、いずれは分かること。そう思うと、レオは結月の目を見つめ、また笑いかけた。

「ご安心ください。冨樫の仕事は、私が全て引き継ぎます。ですから、食事のことは何の心配も」

「な、なに言ってるの! ただでさえ、斎藤と矢野の仕事を引き継いでるのに、これ以上、仕事を増やしたりしたら」

「大丈夫ですよ」

「大丈夫なわけ……!」

「本当に大丈夫だから、もう黙って」

「ッ……ん」

 必死に訴える結月の頬に手を触れると、レオは、そのまま結月の唇に口付けた。

 この時間、愛理と恵美は、全ての業務を終え、使用人の部屋がある別棟にいる。

 邪魔が入らないのを分かっているのか、レオは、いつもより深く口内に入り込むと、まるで呼吸を乱すかのように、執拗にキスを繰り返した。

 こうして、息をつく間を与えなければ、いずれ結月は、反論どころではなくなる。

 それを見越してなのか、何度と刺激的なキスを送るのだが、それでも結月は、わずかな呼吸の合間をぬって、負けじと話しかけてきた。

「……っ、いがらし……まだ、話……終わってな……っ」

「あまり喋ると苦しくなりますよ。それに、私の体をいたわってくださるというなら、もっと、ご褒美をください」

「ご……ほう……び?」

「はい。お嬢様とのキスなら、他のどんな薬よりも効果がありそうです」

「ぁ……んッ」

 そう言って、また口付ければ、その反動で、二人同時にベッドの上に倒れ込んだ。

 スプリングが軋む音と同時に、覆いかぶさり、組み敷く形になったからか、レオは、先程よりも口付けやすくなったと、意地悪そうな笑みを浮かべる。

 その後、深くベッドに沈みこんだ結月に、よりいっそう深く口付けた。

 言葉を発する余裕すらなくなるほどの、甘く激しい口付け。

 そしてそれを、しばらく繰り返していると、案の定キスに不慣れは結月は、あっという間にレオのペースに飲み込まれてしまい、頬を染めながら、苦しそうな呼吸をはじめた。

「ん、はぁ……っ」

(このまま、クタクタになるまで、口付けてしまおう)

 そう思って、レオは執拗にキスの雨を降らせ、結月を翻弄していく。

 執事の体調のことなんて、考えられなくなるように……何度も何度もキスをして、結月の思考を奪っていく。

 だが、そんな中、結月は、レオの首元に腕を伸ばすと、次の瞬間、レオの身体にギュッときつく抱きついてきた。

「話を……そらさないで……っ」
「ッ……!」

 不意をつかれ、密着した身体が熱を持つと、同時に聞こえた声に、レオは目を見開いた。

「本当に……心配してるの……これ以上、無理して……五十嵐に、もしもの事が、あったら……っ」

「…………」

 震えた声が、鼓膜を通じて脳内に入り込む。

 本気で、心配してる。
 結月が、俺の事を──…

「ごめん……でも、今は無理をしなきゃいけない時なんだよ」

「……っ」

 だが、そんな結月の頬をなでると、レオは嘘偽りなく答えた。

 自分でも、無理をしている自覚はある。
 だけど、もう時間がない。

 あと数ヶ月したら、自分たちは、引き裂かれてしまう。

 もう、お嬢様と執事ですら、いられなくなってしまう。

 そう思えば、思うほど──焦る自分がいる。

「どうか、わかって……これは、俺が望んでやってることだから」

「……望んでって……明らかな、過重労働なのよ」

「いいんだよ。それに近いうち、この屋敷の使用人は、全て追い出す」

「え?」

「元からそのつもりで、この屋敷にきたんだ。そのために、執事の仕事だけじゃなく、屋敷で求められる技術は全て身につけてきた。斉藤さんや矢野さんを、辞めるよう仕向けたのも、俺だよ。だから、使用人の仕事を引き継ぐのも、全て計画通り──だから、結月は何も心配しなくていい。あとは、全部俺がやるから……」

「……っ」

 そう言って、髪を撫でたあと、レオはまた結月に口付けた。

 心配しなくていいと、俺は平気だからと、訴えかけるように、優しく、そっと……

 だけど、そんなレオに、結月は納得していないような顔をしていた。




 ✣

 ✣

 ✣




 その後、深夜2時がすぎた頃、結月は一人目を覚ました。

 寒い中、ベッドから出ると、薄手の毛布を羽織り、自分の部屋から出る。

 二階の廊下を進み、突き当たりにある窓の前に立つと、そこから使用人たちがいる別棟の方を見つめた。

 埋まっている部屋は、三部屋。

 二部屋は、電気がきえているが、一部屋だけ、まだ明るかった。

(五十嵐……まだ、起きてるのかしら?)

 執事は、自分の前では、いつも変わらない姿でいる。平気そうに振舞ってる。

 だけど、最近よくレオが、別館に呼び出されているのを、結月は知っていた。

『休んでいる』なんていいながら、休めていない。

「どうして、私なんかのために……そこまで、してくれるの?」

 遠く、愛しい人の部屋をみつめながら、結月は呟いた。

 自分は、五十嵐のことを、なにも覚えていない。その上、思い出せもしない。

 なんで、そんな薄情な女のために、そこまでできるのか?

「……五十嵐は、私の……どこを好きになったの?」

 冷たいガラス窓に振れて、結月は悲しそうに呟いた。

 就寝前、何度と口付けられた唇には、今もまだ、彼の感触が残ってる。

 心配する私を、五十嵐は、いつもキスをして黙らせる。

 心配することですら、許してくれない。

 大丈夫といって、無理ばかりで


 だけど、それも全部




 私のため──…



(……使用人を、全部追い出すって言ってた)


 ならば、近いうちに、恵美さんも、いなくなる。

 でも、それも、私のためなのだろう。

 私が、この屋敷にから、安心して出て行けるように──…

「全部、私のため……っ」

 私のために、五十嵐は執事になって、戻ってきてくれた。

 だけど、どうして、そうまでして、私を愛してくれるの?

 知りたい。
 思い出したい。

 五十嵐のこと──

 あなたと出会った時のことも
 あなたを、好きになった時のことも

 そして、あなたと初めて

 キスをした時のことも──…


 全部、全部、思い出したい。


 でも、五十嵐は教えてくれない。

 無理に思い出さなくていいと、いつも、甘やかしてばかりで──…


「……っ」

 瞬間、結月はくるりと踵を返すと、また自分の部屋へと戻った。

 部屋のナイトライトだけつけると、ほのかに明かりが灯る中、結月は、自分の机の上に、手がかりになりそうなものを、次々と並べていく。

 8年前の記憶に、つながりそうなもの。

 五十嵐がきてから、何かしら、疑問や違和感を感じたもの。

 幼い頃から読んでいた植物図鑑をとりだすと、結月は『ヤマユリの花』のページを開いた。

 他にもある。

 記憶をなくしたあと、机の中でみつけた『空っぽの箱』

 そして、なぜか『ルナ』と名付けてしまったぬいぐるみ。

 そして、夢の中にでてきた『モチヅキくん』

 あとは……?


「思い出さなきゃ……っ」

 8年前、何があったのか?
 空白の時間に、私は何をしていたのか?

「思い、出して……っ」

 お願い──きっと、その記憶は、私にとって、忘れたくなかった、大切な記憶だから。


「待っててね、五十嵐。必ず、思い出すから……っ」

 12月に入った、その日の月は、ひどく朧気だった。

 それは、まるで、結月の記憶のように──霞がかった上弦の月。


 そして、それは、結月が高校を卒業するまで、残り"3ヶ月"を切った

 寒い寒い、夜のことだった。



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