130 / 289
第13章 誰もいない屋敷の中で
涙
しおりを挟むしばらく触れあっていた唇が離れると、また近い距離で目が合った。
見つめた先では、あふれんばかりに涙を溜めた結月の綺麗な瞳が見えた。
まるで、助けを求めように「拐って」と言った結月に、胸を締め付けられた。
もう二度と、こんな風に泣かせたくない。苦しくて、辛いだけの涙なんて、もう流させたくない。
レオは、そう決意すると、慰めるように、また結月の目元に口付けた。
涙をそっと拭うように、唇が頬を這うと、その感触に、結月がくすぐったそうに声を漏らす。
「ん……五十嵐、なに……してるの?」
「何って、慰めてるんですよ」
「ん、待って……もう、大丈夫……だから」
「大丈夫ではないでしょう。こんなに泣いて……それに、まだ消毒が終わっていませんよ」
「……え?」
消毒──その言葉に、結月は目を見開いた。
何をするのかと、執事に目を向ければ、執事の唇は、そのまま結月の肩に移動した。
冬弥が触れた方の肩。
這う唇は、首筋を伝い移動し、それと同時に、結月の胸元のボタンを一つだけ外し肩を露出させたレオは、結月の細い肩に、強く吸い付いた。
「ひゃ、ぁ……っ」
突然の事に、驚いた結月が顔を真っ赤にしてレオの服を掴む。だが、昼のことがあるからか、レオもやめる気にはなれない。
自分以外の男が、結月に触れた。
それも、あの餅津木 冬弥が……
その光景を思い出すだけで、腸が煮えくり返りそうになる。
でも──
「その肩、誰にも、見られないようにしてくださいね」
「……え?」
唇が離れたと同時に囁かれ、結月は自分の肩に目を向けた。
すると、そこには、赤く跡が残っていた。
結月とて、それが何かわからないわけではない。有栖川から借りた本の中でも、時折でてきた、それは──
「俺のものだっていう、印」
「……っ」
追い打ちをかけるようにレオが微笑めば、結月は更に赤くなった。
自分の存在を主張するようにつけられた──キスマークの跡。そして、その言葉と行動に、自然と体が熱くなる。
「わ、私……五十嵐のものなの?」
だが、結月が戸惑いつつ問いかけると、レオはその後、数秒だけ沈黙したあと
「……なんで疑問系?」
「え、あ! 別に嫌とかじゃなくて!? その……まだ、実感がないというか、昨日の今日で、色々ありすぎて、頭が追いつかなくて……っ」
気持ちは間違いなく、この関係を望んでいた。
この人に愛されたいと願っていた。
だけど、何故この執事が、自分を愛してくれているのか、結月には、まだよく分からなかった。
……というよりは、自分に自信がないと言った方がいいのかもしれない。
「五十嵐は、本当に私の事……」
「当たり前だろ。好きだし、誰よりも愛してる。だから、結月は俺のだけものだよ。そして、俺の全ても、結月だけのもの」
「……っ」
全て──そう言われて、自然と胸が高鳴った。
好きな人が、自分の全てを、委ねようしてくれる。その言葉に、全身が火照るように熱くなれば、恥じらい赤くなる結月に、レオは、再びキスを落とす。
まるで、その言葉に偽りはないと示すように、優しく口付けられる。
甘く心地よい感触。だが、それも次第に激しいものに変わり、呼吸は更に荒くなる。
昨夜と同じように、キスだけで翻弄されてしまう。
恥ずかしさでいっぱいになり、ふと唇が離れたのち、めがあえば、結月は、見られたくないとばかりに、レオの背に腕を回し、そのままキュッと抱きついた。
レオの胸に顔をうずめ、静かに目を閉じれば、その奥からは、トクトクと心臓の音が聞こえてくる。
今、この屋敷の中で、一番安心する音。
だけど、前に聞いた時よりも、心なしか早いのはきのせいだろうか?
(五十嵐も……ドキドキしてるのかしら?)
自分と同じように、気持ちが通じたことを、喜んでいるのだろうか?
そう思うと、叶わないと思っていた恋が実ったのだと改めて実感し、結月かまた涙を流せば、そんな結月を、レオが優しく抱き返す。
「……大分、お疲れのようですね」
呼吸を荒くし、ぐったりする結月をみて、レオが問いかけた。
ムリもない。昨夜から今日にかけて、結月には、たくさん無理をさせた。
数えきれないくらいキスをした。
今までの8年間を、埋めるくらいのキスを──
それに、今はもう、環境も状況も、自分たちの関係も、何もかも変わってしまった。
まだ、この余韻に浸っていたい気持ちもあるにはあるが、結月のことを思えば、今日は、早く休ませてあげた方がいい。
心も、身体も──
「ホットチョコレートをお持ち致しします。それを飲んだら、今日はもう休んでください」
そう囁いたのち、レオは優しく微笑むと、名残惜しそうに、結月から離れた。
だが……
「お仕置き、しないの?」
「……っ」
瞬間、寂しそうに見上げてきた結月に驚いたのは、レオの方。
元から、お仕置なんてするつもりはなかった。
だが、そんなふうに煽られると……
「……して、ほしいの?」
「え? あ、そ、そうじゃなくて……! ただ昼間の言葉、本気みたいだったし……叱られるくらいはするねかなと」
「そりゃ、叱りたくもなるよ。あんな所見せられたら……でも、酷いことするって言ったのは、嘘だよ」
「え?」
「あー言っておけば、多少は危機感を持つと思ったんだけど、どうやら、意味がなかったみたいだな。指一本どころか、肩に触れられて、自分から手をとるなんて」
「……っ」
深く、ため息を漏らしたレオをみて、結月は申し訳なさでいっぱいになった。
確かに、ことごとく約束を破ってしまった。
呆れられるのも、無理はない。
「ご……ごめんなさい」
「反省してる?」
「うん」
「そう……ならいいよ。でも、次からは今日以上に気をつけて。結月は今、正式に冬弥《アイツ》の恋人になったから、次はどんな手を使ってくるか分からないから」
「ぁ……」
一気に現実に引き戻される。冬弥と恋人同士になったということは、つまりそういうことなのだと……
「うん……気をつける」
「そうしてくれると助かる。結月に、もしもの事があったら、冬弥のこと殺したくなりそうだから」
「え!?」
瞬間、聞こえてきた言葉に、結月は耳を疑った。
「な、何言ってるの!? だめよ! それだけは絶対にダメ!」
「冗談だよ」
「冗談!? 本当に冗談よね!? 目が笑ってないけど」
「あはは、じゃぁ、俺を殺人犯にしないように、結月自身も気をつけてね」
「……っ」
とんでもない脅しを、かけられた。
いや、きっと、これも冗談だ。
うん、そのはず……
「それと、俺は好きな子の初めてを、お仕置なんて形で奪ったりはしないよ」
「え?」
「だから、あまり可愛いこと言わないで。これ以上煽られると、我慢できなくなりそうだ」
「……ッ」
欲情的な瞳に、見つめられたかと思えば、そのまま、耳元で囁かれた。
だが、我慢できなくなりそう──その言葉の意味を理解した結月は、更に顔を真っ赤にする。
「あ、煽ってなんか!」
「煽ってるだろ。お仕置きして欲しいなんて」
「し、して欲しいなんて言ってないわ!」
言ってない!
『しないの?』とは聞いたけど
『して欲しい』とは、断じて言っていない!
「……ふふ」
「わ、笑わないで……っ」
「ごめん、可愛すぎて」
すると、レオは、クスクスと今なも漏れそうな声を必死にこらえながら、優しくいたわるように、結月の髪を撫でた。
このまま、何もかも自分のものに出来たら、良かった。
本来なら、キスマーク一つで、我慢できるようなものじゃない。
でも、やっと思いが通じた。
記憶を思い出すことはなかったけど、それでも結月は、自分との未来を選んでくれた。
状況が許すなら、このまま押し倒していたかもしれない。昨夜みたいに……
でも、話し込んでいたせいか、いつもより時間をオーバーしていた。
あまり長くこの部屋にこもっていると、メイドが心配してやってくる可能性がある。
こうなった以上、いつもと違う行動は、極力避けた方がいい。
でも……
「結月。もしまた、この屋敷で二人っきりになることがあったら、その時は──覚悟していて」
「え……?」
なにを?──と、一瞬意味がわからず首を傾げたが、先の言葉から、あることを察した結月は、再び慌て始める。
「か、覚悟って……っ」
「分からない年じゃないだろ。あんな官能小説、読んでるくらいだし」
「へ!? あ、あれは……っ」
「はは……では、私は一度、仕事に戻りますので」
すると、慌てる結月をよそに、あっさり執事モードにきりかえたレオは「すぐに戻ります」と結月に耳打ちして、部屋から出ていった。
一人きりになった部屋で、結月は自分の両頬に手を添えると、熱くなった頬を必死に冷まそうと、目を瞑る。
だが、手も熱くなっているせいか、熱はいっこうに引く気配がなく……
「私……とんでもないこと、しちゃった」
選ばなくてはならない道を選ばず、選んではいけない道を選んでしまった。
拐って欲しいなんて──とんでもないことを言ってしまった。
でも──
「……もう、忘れなくていいのかな」
この気持ちを、五十嵐に、隠す必要も、忘れる必要もない。
「五十嵐……っ」
すると、今まで押さえ込んでいた感情が解き放たれるように、結月は、執事の名を呟いた。
選んだ道は、茨の道かもしれない。
それでも、この道を選びたかった。
五十嵐に愛されて生きる道を、選びたかった。
「好きよ、五十嵐……大好き……っ」
本人の前で決して言えない愛の言葉を、何度と繰り返しながら、結月の頬には、また涙が伝った。
それは、苦しみや悲しみではなく、喜びに溢れた、優しく暖かな涙だった。
1
お気に入りに追加
58
あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。


セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる