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第13章 誰もいない屋敷の中で
交際
しおりを挟む「例えば、いつも君の傍にいる、あの執事とか?」
その質問に、結月は言葉を詰まらせた。
──疑われてる。自分の気持ちを。
だが、ここで、本当のことがバレてしまったら、この縁談がどうなるか分からないし、何より五十嵐は、クビになってしまう。
「なにを仰ってるんですか。五十嵐は、私にとって、ただの執事です。彼を、異性として意識したことは一度もありませんし、他に好きな方がいる訳でもありません。ただ、本当に男性に触れられるのは慣れてないのです。ずっと女子校に通っていて、屋敷からも、あまり出ない生活をしてきましたから……」
決して顔に出さぬよう、平静を装い言葉を返した。あたかも、それが真実であるかのように。
すると、それからしばらくして、冬弥が、ホッとしたように笑いだす。
「あはは! 確かに、そうですよね。使用人なんて、好きになる訳がない! それに、女子校生活が長ければ、異性に慣れていないのは当たり前ですね。まさに箱入り娘。ご両親からを、大切に育てられてきたんですね」
「………はい」
大切に育てられてきた──その言葉に、微かに不満を抱きながらも、笑ってやり過ごした。
絶対に、気取られぬように。
だけど、こうして笑っている自分は、幼い頃から、ずっと両親に言われつづけきた"淑女"では、なくなっている気がした。
五十嵐がきてから、少しずつ嘘が上手くなっていく。
それを思えば、自分はもう、両親が理想としている娘ではないのかもしれない。
「では、そうであるなら、ここで、正式に交際を申し込んでも問題はありませんね」
「……え?」
だが、その後、冬弥が言った言葉に、結月は瞠目する。
(……交際?)
その言葉に戦慄していると、冬弥は『同意するなら手を取れ』と言わんばかりに、スッと手を差し出してきた。
そして、その姿を見て、結月は口をきつく結び、微かに生まれた動揺にたえる。
心臓は、恐ろしいくらい冷えていた。
この手を取るのを、全身が拒絶してる。
だけど、ここでどうするべきかなんて、もう──決まってる。
「はい……もちろんです」
無理やり笑顔を貼り付けると、結月もまた、自らの手を差し出した。
泣きそうな心を、必死に押さえ込みながら、親に望まれたシナリオ通りに行動する。
だけど、その瞬間、思い出したのは
『約束ですよ。お嬢様は、俺だけのものですから』
そう言って口付けた、執事の姿だった。
もし叶うなら、あの言葉の通り、彼だけのもこになってしまいたかった。
でも……
(ごめんなさい、五十嵐……私、やっぱり……あなたのものには、なれない……っ)
静かに目を閉じると、結月は、冬弥としっかりと手を繋ぎ合わせた。
願いは──叶わない。
きっと自分は、いつまでたっても、自由にはなれない。
✣✣✣
その後、冬弥との別れを済ませ、一日が終わる頃には、もうぐったりしていた。
広々とした浴槽の中、乳白色の湯船に浸かり身体を癒す結月は、無言のまま、深くため息ばかりついていた。
重い気持ちのまま、ただただ一日を振り返れる。
あのあと、冬弥を見送るころには夕方になっていて、その後、夕食をとり、なんとか無事にこの日を終えた。
いや、正式に交際を申し込まれたのだ。ある意味、無事とは言えないかもしれない。
それに──
(約束……やぶっちゃった)
執事との約束を破ってしまい、結月は不安げな表情を浮かべた。
指一本触れさせるなと言われた、あの約束を、結月は破ってしまった。しかも、指一本どころか、肩に触れられ、自ら手をとってしまった。
もし、あんな所を、執事に見られていたら。
(良かった。五十嵐が、そばにいなくて……っ)
あの場に、執事がいなかったことに、結月は深く安堵する。
昨夜から、何度したのか分からないくらいキスをされた。だが、さすがにこれ以上のことをされたら、取り返しがつかなくなる。
なぜなら、自分はもう、冬弥の恋人になってしまったから……
「……あ、そうね……私、冬弥さんの……恋人に……なったのね?」
すると、まるで、他人事のように結月が呟いた。
実感がない。喜びも、ときめきもない。
あるのは、どんよりと暗い気持ちだけで……
(あ、そういえば、恋人同士って……)
ふと、執事と話したことを思い出して、結月の気持ちは、更に暗くなる。
あれは、二回目に公園に行く前のこと。『デートをしよう』と言い出した執事に『普通の恋人同士は、どんなデートをするのか』と、聞いたことがあった。
すると、執事は
『そうですね。普通の恋人同士なら、手を繋いだり、食事をしたり、夢や将来についてかたりあったり、あとは……キスをしたりでしょうか?』
そう、言っていた。
結月は、湯船の中で小さく膝を抱えると、溢れそうになり涙を必死に堪えた。
「そう……私はそれを……これから、冬弥さんとしなくてはならないのね……っ」
手を繋ぐのも、食事をするのも、夢や将来を語り合うのも、そして、その先も全て、好きでもない人と経験していかなくてはならないのだと──
✣
✣
✣
「──お嬢様」
その後、お風呂から上がり、部屋に戻ると、部屋の前には、既に執事がいた。
きっと、待っていてくれたのだろう。
普段と変わらない、凛々しい姿の執事。
だが、その顔を見ると、否応にも昨夜のことを思い出してしまう。
「遅かったですね。浴室で、倒れているのではないかと、心配しておりました」
「あ……ごめんね、大丈夫よ」
考え事をしていたせいか、いつもより長湯になってしまった。
だが、結月は、あくまでも普段通り話すと、その後、執事が、部屋の扉を開けてくれた。
「どうぞ……」
中に──と言われ、結月は意を決して中に入った。
中に入れば、また執事と二人きり。
静まりかえる部屋の中は、既にカーテンが閉まっていて、月すら見えなかった。
その後、結月が部屋の中を進み、ドレッサーの前に立つと、あとから来た執事が、そっと椅子を引いてくれた。
(言わなきゃ、五十嵐に……)
その椅子に腰掛けたあと、結月は小さく唇を噛み締めた。
いうなら、このタイミングしかない。
しっかり、伝えないといけない。
冬弥さんと、正式に付き合うことになったから、あなたのことは、選べないと──
「お嬢様、今日は、お疲れでしょう。あとで、ホットチョコレートでも、お持ち致しましょうか?」
「え? あ、そうね……おねがい」
だが、緊張する結月とは対象に、執事は髪を乾かしながら、優しく語りかけてきた。
普段と変わらない声。
怒ってる様子もない。
なにより、ホットチョコレートは、最近の結月のお気に入りだった。
五十嵐がいれてくれたホットチョコレートは、とても甘くて、優しい味がする。
だから、疲れている時や、眠れない時に飲むと、不思議と安心して、寝つきが良くなる。
(五十嵐は……やっぱり、優しい)
執事の優しいところが、好き。
でも、それは、仕事だから優しくくれるのだと、ずっと思ってた。自分が、お嬢様だから……
でも、昨夜、五十嵐の気持ちを知って、それが全部、愛情からくるものだったとわかった。
今こうして、髪をすいてくれるのも
宝物のように、触れてくれるのも
全部全部、自分を愛してくれているからだって。
それなのに──
「お嬢様。肩は、いかがいたしましょうか?」
「……え?」
だが、その瞬間、執事の手が肩に触れた。
昼間、冬弥に触れられた方の──肩に。
「か……肩?」
「はい。消毒しておきますか? 餅津木冬弥に──触れられたところ」
「!?」
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