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第13章 誰もいない屋敷の中で
プロポーズ
しおりを挟む「申し訳ありません、冬弥さん。遅くなってしまって……」
その後、冬弥を応接室に通すと、数分遅れて結月がやってきた。
いつもより可愛らしく着飾り、にこやかに挨拶をする結月。だが、その後結月は、頑なに執事とは目を合わせようとしなかった。
目をあわせてしまうと、先程キスされたことを思い出してしまう。やっと静まった頬に、また熱を持たせるわけにはいかない……と、結月は平静を保ちつつ、冬弥の前に立つ。
すると、そんな結月の前に、冬弥はサッとバラの花束を差し出してきた。
「謝る必要はないよ。俺のために、こんなに可愛らしく着飾って来てくれたなんて、嬉しいな」
「まぁ、お心が寛大で。バラの花も、いつもありがとうございます」
ふわりと微笑んで、お礼をいうと、結月は、冬弥の手に触れないよう細心の注意をはらいながら花束を受け取った。
そして、そのバラの花からは、まるで香水のような品のある香りが漂ってくる。
だが、この香りを嗅ぐ度に思い出すのは、ヤマユリをプレゼントしてくれたモチヅキくんの姿だった。
モチヅキ君が冬弥なら、結月がヤマユリを好きなのを知っているはずだった。それなのに、どうして、ヤマユリを送ってくれないの?
結月は、バラの花束を貰う度に、そう思っていた。
だが、今の季節、ヤマユリは咲かないらしい。
執事にそれを聞いてからは、冬弥がバラの花をプレゼントするのにも納得していた。
咲かない花は、どうしたって、プレゼント出来ないから──
✣
✣
✣
「……ということが、あってね」
「まぁ、そうなんですね」
その後、結月と冬弥は、ゆったりとソファーに腰掛け、一時間ほど話をはずませていた。
上座にある一人がけのソファーに座る冬弥。そして、その斜め向かいの三人がけのソファーに結月が座り、二人は、運ばれてきたデザートやお茶を嗜みながら、穏やかな話をする。
だが、ニコニコしながらも、結月の心はあまり穏やかではなかった。なぜなら、今この部屋には、冬弥だけでなく、執事の五十嵐もいるから。
(……なんか、すごく居心地が悪いわ)
まるで、夫と浮気相手が、鉢合わせしたかのような居心地の悪さ。
まさに、不貞を働いている妻のような、そんな重苦しさを感じた。
ん? この場合、浮気相手は執事になるのか?
そんなことを考えながら、結月は背後に立つ執事を、チラリと流しみた。
先程自分にキスをして、冬弥に、指一本触れさせるなと命じてきた執事。だが、それが、まるで嘘のように、彼は普段通りだった。
どうして、あんなに平然としていられるのだろう。自分の主人にキスをしただけでなく、今は、その婚約者が、目の前にいるというのに……
(五十嵐、ずっと部屋にいるのかしら?)
この状況が、ずっとは、辛い。
だが、前のパーティーの日に、勝手にお酒を飲まされたのもあり、室内で冬弥と二人きりになるのが怖いという気持ちもあった。
だが、なにはともあれ、これは居心地が悪すぎる!
「結月さん?」
「は、はい!」
すると、突然名前を呼ばれ、結月は、慌てて冬弥を見つめた。
(ダメよ、結月。今は、冬弥さんとの話に集中しなくちゃ……っ)
婚約者を招いておいて、上の空では、失礼極まりない。すると、そんな結月を見て、今度は冬弥が話しかけてきた。
「結月さん、隣にいってもいいかな?」
「……え?」
隣に──その言葉に、結月はじわりと汗をかいた。
それは、結月の隣に座りたいとの申し入れ。結月は、軽く戸惑いつつも、自分が座っている三人がけソファーに、そっと目を向けた。
何を躊躇しているのか。元から、断る選択肢などない。だって、相手は婚約者なのだから……
「ど……どうぞ」
必死に笑顔を向けて、冬弥の言葉に同意する。だが、どことなく背後から冷たい視線を感じるのは、きっと気のせいじゃない。
結月は、それを気にしつつも、冬弥を受け入れると、その後、立ち上がった冬弥は、すぐさま結月の隣に腰掛けてきた。
距離にして、30センチほど。
気を抜けば、すぐに触れられる距離。
「ところで、君の執事は、ずっとここにいるのかな?」
「え?」
すると、冬弥も気になっていたらしい。
あからさまに迷惑そうな顔をして、執事に視線を向けた。
「あ、それは……っ」
「なぁ、そこの君も、優秀な執事だって言うなら、察してくれないかな? できるなら、結月さんと二人っきりで話をしたいんだけど」
「申し訳ございません。お気持ちは分かりますが、お嬢様から、片時も離れることがなきよう仰《おお》せつかっておりますので」
(え!? 私、そんなこと言ってない!)
とはいえ『そばに居てくれたら安心する』とは言ったし、言ったようなものなのかもしれない。
だが、それはそれとして、一足触発の空気を漂わせる執事と婚約者。この状況、ますます居づらくなってきた!
「そうか……結月さんは、まだこの前のことを疑っているんだね」
すると、今度は、冬弥がため息混じりにそう言った。この前のこととは、例のお酒のことだろう。そして、ため息を着く冬弥は、不思議と落ち込んでいるように見えた。
「あれは、ホテル側のミスだと、君も聞いているだろう」
「そ、そうですが……」
「俺の事、信じられないの? 昔、結婚の約束までした仲なのに」
「……っ」
その身を切るような悲痛な声に、結月は胸を痛めた。
自分は、確かにモチヅキくんと約束をした。
そして、それが「結婚」の約束だったのだろう。
それなのに自分は、その約束を──忘れてしまった。
(……冬弥さんも、辛いわよね)
結婚を約束した相手に忘れられ、お酒を無理やり飲ませた酷い男だと疑われているなんて、きっと辛いに決まってる。
「あの、ごめんなさい……」
「いや、いいんだ。実際に、飲ませてしまったのは事実だしね。でも、これだけは忘れないで欲しい。俺は、君のことが好きだ。だから、必ず、君を幸せにすると誓う。結月さん、俺と──」
「!?」
瞬間、冬弥の手が、結月の手の上に伸びてきた。そして、結月の手に冬弥の手が重なる瞬間、結月は、咄嗟にその手を引っ込めた。
「あ……」
「……!」
だが、あからさまに避けたその仕草に、冬弥は
(この女、俺とは手も繋ぎたくないってか)
まさか、手を繋いだら、執事からお仕置されるなんて夢にも思わない冬弥は、拒絶した結月に酷く腹を立てた。
しかも、プロポーズの言葉を遮っただけでなく、手を取ることすら、拒絶されるとは!?
「あ、あの……これは、その、ごめんなさい。(でも、触られたら、五十嵐が……っ)」
「いやいや、いいよ。俺もつい、気が早まってしまって…… (こいつ、いつか絶対泣かす!)」
そして、そんな二人の姿を、傍らに立つ執事は、楽しそうに見つめていた。
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