お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

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第13章 誰もいない屋敷の中で

嵐の前の静けさ

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 カチコチ──と、時計の音が響く。

 静かな静かな屋敷の中。結月はディナーを終え、お風呂に入ると、その後部屋に戻り、机の上に置いていた文庫本を手に取った。

 明日、冬弥をこの屋敷に招く。

 それもあってか、今日は帰ってきてから、ずっと有栖川から借りた文庫本を読んでいた。

 本のタイトルは「嫌いな婚約者を好きになるまで」

 親が勝手に決めてきた婚約者。毛嫌いしていたはずのその男性を主人公が好きになり、結ばれるまでを描いた物語だ。

 まさに、今の結月と同じ立場の主人公。

 だが、やはり本の中の出来事。それを、上手く自分に変換することができない。

(……うーん。結局、婚約者のいい所が見えてきて、自然と好きになる感じなのね)

 自然と好きになれるなら、苦労はしない。

 なにより、それが出来なくて、藁をも掴むおもいで、本を借りてきたのだ。

(冬弥さんの……いい所って、どこかしら?)

 本を手にしたまま、結月は自分のベッドの上に腰かけた。天蓋付きの大きなベッド。その上で、パラパラとページをめくりながら、結月は本の中の婚約者を、冬弥に照らし合せた。

 だが、結月はまだ、冬弥とまともに話したことがなかった。話したといえば、あの誕生日パーティーの夜と、先日の電話くらい。

(昔の冬弥さんのことを思い出せば、いいところも、見つかるかしら?)

 ベッドに、ごろんと横になり、結月はそっと目を閉じると、昔の冬弥──いや、モチヅキくんのことを思い出す。

 ゆっくり、ゆっくり、蓋を開けて、自分の底に眠った記憶を、引きずり出すように

(モチヅキくんは、どんな人だった?)

 朧気に思い出すのは、黒髪の男の子。

『結月──』

 そう言って、自分を呼ぶ声が、すごく優しかったのは覚えてる。

 会えば、色んな話をしてくれた。

 私と違って、凄く落ち着いていて、だけど、たまに、意地悪な時もあって

(あ、そうだわ……たしかモチヅキくんと、よく裏庭の温室で遊んでいた気がする)

 まだ、あの温室が綺麗だった頃、こっそりあの中で遊んでいたことを思い出す。

 二人きりで、誰にも見つからないように。まるで、鬼ごっこや、かくれんぼでもしているみたいに……

(あれ? でも、なんで隠れていたのかしら)

 冬弥さんは、父の友人の幸蔵さんの息子。

 なら、親や使用人に見つからないように、こっそり、遊ぶ必要なんてないはずなのに──

(……ダメだわ。まだ、はっきり思い出せない)

 自分の曖昧な記憶に、ガッカリする。
 抜けたピースが、なかなか埋まらない。

『……それにしても、今日は、やけに静かね』

 恵美や愛理がいないからか、屋敷の中が、普段よりも静かに感じた。

 窓ガラスを揺らす、風の音すらない。それはまるで、嵐の前の静けさを思わせる程の

 ──静かすぎる夜。

(……すこし、不気味なくらいね)

 明日、冬弥に会うからか、静けさに比例して気持ちも重くなる。

 不安で、不安で、仕方ない。
 そして、こんな時に思い出すのは

「五十嵐……っ」

 声にもならない声で、執事の名を呼んだ。
 不安な時ほど、彼に傍にいてほしくなる。

 執事相手に、こんなことを思ってはいけないのに、未だに、好きという気持ちがなくならない。

(……忘れなきゃ)

 早く忘れて、楽になれたらいいのに──






 ✣

 ✣

 ✣




(……しまった。少し遅くなった)

 その後、レオは、結月の部屋に向かっていた。

 今日は、一人しかいないからか、ディナーの片付けに思ったより時間がかかってしまった。

 コツコツと靴の音を響かせて、足早に結月の部屋へと向かう。

 きっと、もうお風呂から上がって、部屋でくつろいでいるだろう。だが早く髪を乾かしてあげないと、風邪をひかせてしまうかもしれない。

 ──コンコンコン。

「お嬢様」

 扉を数回ノックして、部屋の中に声をかけた。

 だが、中から返事が来ることはなく、レオはいつものように、こっそり扉を開け、中を確認すると、ベッドの上では、静かに寝息を立てている結月の姿があった。

(……髪も、ろくに乾かさずに寝たのか?)

 きっと、いつものうたた寝だろうが、その無防備すぎる姿には、軽くため息が出る。

 確か前にも、こんなことがあった。
 だが、今日は、あの時とは違う。

 なぜなら、今いる使用人は自分だけで、この広い屋敷の中で、二人っきりなのだ。

 それなのに、こんな状況で、こうも無防備な姿を晒しているなんて──

「……襲われても、文句言えないぞ」

 ベッドに歩み寄り、まだ半乾きの結月の髪にふれて、小さく呟いた。

 結月の身の回りの世話をするようになってから、毎夜、髪を乾かしてあげるのが日課になった。

 いつも、くだらない雑談をくりかえしながら丁寧に髪を梳いて、その度、心の中で何度と呟いた。

 俺を、愛して──と。

 だけど、その思いも、やっと報われたらしい。なぜなら、結月は今、自分に思いをよせているから。

「──結月」
「……ん、」

 ベッドに腰かけて、耳元でそっと名を呼べば、眠る結月の長いまつ毛がピクリと反応する。

「好きだよ、結月」
「ん、……っ」

 愛してる──と、甘い言葉を何度と繰り返すと、まるで返事をするようなその仕草に、必死に押さえ込んでいた理性が、少しずつ少しずつ壊されていくのを感じた。

 可愛くて、愛おしくて
 何よりも、誰よりも、大切な女の子。

 傷つけたくないし、壊したくもない。

 だけど今は、早く結月を自分だけのものにしてしまいたいと、そんな邪なことばかり考えてしまう。

(焦ってるのか、俺……)

 明日、結月は、餅津木 冬弥に会う。
 だからかもしれない。

 奪われる前に、奪ってしまいたいなんて──


「……っ」

 だが、唇をキツく噛み締めて、その感情を必死に押し殺すと、レオはその後一旦距離をとり、結月から離れた。

 このまま傍にいたら、本当にどうにかしてしまいそうだ。

 できるなら、このタイミングで、二人きりにはなりたくなかった。結月が自分を好きだとルイに聞かされてから、感情を、思うように制御出来ない。

 もし、この状況で、たがが外れてしまったら、きっと後戻り出来なくなる──

「……あ、そうだ。髪を」

 なんとか感情を沈めたあと、レオは改めて、結月をみつめた。

 まだ、心做しか湿った髪。乾かすなら、一度起こさなくてはいけないだろう。だが、こうも気持ちよさそうに寝ていると、起こすのも可哀想になってくる。

「どうするかな……ん?」

 だが、その瞬間、結月が手にしている文庫本が目に止まった。本を読みながら、寝落ちてしまうのは良くあることだった。

 だが、気になったのは、その本のタイトル。

(なんだ、これ……)

 嫌いな婚約者を好きになるまで──そう書かれた文面を見て、心做しか気持ちが荒む。

 その『婚約者』という言葉に、自ずと冬弥をダブらせからか、レオは、結月の手から、サッと文庫本を抜き取った。

 また、有栖川からかりてきたのだろう。

 美麗なイラストが描かれたその本は、前に結月が読んでいた、お嬢様と執事の小説と同じレーベルの本だと思った。

 少し官能的な恋愛小説。

 パラパラと内容を確認すれば、タイトル通りの甘ったるい男女の恋愛模様が描かれていた。

 名家のお嬢様が、嫌いだったはずの婚約者を次第に好きになり、最終的に結ばれる。

 そんな物語だ。

(なんで、よりによって、こんな……)

 その内容に、軽く苛立ちを覚えた。

 結月がどこまで読んだかは知らないが、[下巻]と表記された、その本の後半には、結ばれた二人が絡み合うシーンもしっかり描写されていた。

 婚約者とお嬢様が、淫らに愛し合うそのシーンに、自然と結月と冬弥を重ねてしまったからか、心の中が、とてつもない不快感に蝕まれる。

「んー……?」
「……!」

 すると、その瞬間、ねむっていた結月が、もぞもぞと目を覚ました。

 本を取り上げられた際に、レオの気配に気づいたのか?
 ベッドの上でむくりと起き上がった結月は、片手で目元を擦りながら、同じくベッドの上に腰かけているレオに声をかけた。

「あ……五十嵐、きてたの? ごめんね、私、うたた寝して……っ!?」

 だが、そういった間際、結月はレオが手にした本を見て、顔を真っ赤にする。

 前に見つかった時も恥ずかしい思いをした。それなのに、また見られてしまうなんて──!

「い、五十嵐……それ、返して!!」

 恥ずかしさのあまり、結月は咄嗟にレオに手をのばした。

「──きゃ、」

 だが、その手をあっさり掴まれると、取り上げようとした文庫本は、二人の手から離れ、パサッとベッドの上に落ちた。

 手を取られ、強引に引き寄せられた結月。そして、近くなったその距離で、再度執事を見あげれば、そこには、いつになく真剣な表情をした彼がいた。

 真っ直ぐに、自分だけに向けられた瞳。

 だけど、その瞳は、どことなく怒っているようにもみえて──

「い、がらし……?」
「………」
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