お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

文字の大きさ
上 下
97 / 289
第10章 餅津木家とお嬢様

婚約者と執事

しおりを挟む


(……ダメだわ。やっぱり思い出せない)

 それから暫く、結月は冬弥と話をしながら、ずっとモチヅキ君のことを考えていた。

 目の前の"餅津木 冬弥"が、あの夢の中のモチヅキ君なのか? それをずっと思い出そうとするが、軽く頭が痛くなるだけで、手がかりになりそうなことは何一つ思い出せなかった。

(あ、そうだ。もしかしたら、誕生日を聞けば、思い出せるかも?)

 前に、夢の中で聞きそびれた、モチヅキ君の誕生日。それを思い出して、結月は、なにか手がかりになるのではと、冬弥に話しかけた。

「あの、冬弥さんの誕生日はいつですか?」

「誕生日? 8月19日だけど」

「8月19日……夏生まれなんですね」

「あぁ、冬弥なんて名前だからね。冬生まれと、よく間違えられるよ。うちの親父、周りと同じものが嫌いでね。"夏に生まれても冬も制するような男になれ"とかいって、うちの兄弟、みんな生まれとは、逆の季節の名前が付いてるんだ。だから、春馬兄さんは秋生まれ!」

「あ、確かに、そうですね」

 雑談を交わしながら、結月は、モチヅキ君の誕生日が、8月19日だったかを思い出そうとする。

 だが……

(うーん、やっぱりダメ。誕生日をきいても思い出せない)

 いくら記憶喪失とはいえ、思い出したくても思い出せないのは、やはり辛いものがある。

 思わず、シュンとして俯けば、背後に控えていたメイドが、目の前のテーブルに、綺麗に盛り付けられたロブスターを運んできた。

 そして、その皿を見つめながら、結月は思う。

 もし、あのモチヅキ君が冬弥なら、きっと自分は幸せなはずだ。

 なぜなら、と結婚できるのだから──

「それより、どうして誕生日なんて」

「あ、ごめんなさい。昔あったことがあると言っていたので、思い出そうと思ったのですが……なかなか思い出せなくて」

「…………」

 結月が申し訳なさそうにそう言うと、その後、冬弥は結月の手をとり、そっと握りしめてきた。

「結月さん。無理に思い出さなくてもいいよ。僕は昔の記憶がなくても、今でも、結月さんが好きだから」

「え? 今でも?」

「そうさ。今も、そして、これからもね」

「……あの、一つお聞きしてもいいですか? 8年前に私たちは、何か約束をしていませんでしたか? 」

「…………」

 そう言って結月が冬弥を見つめれば、冬弥は結月の手を握る力を微かに強めた。

「知りたいなら教えてあげるよ。僕たちは昔、をした仲だ」

「え? 結婚?」

「あぁ、幼い頃、僕達は、お互いに好きあっていたんだ。でも、結月さんが階段から落ちて記憶喪失になってしまって、婚約の件は一度、白紙に戻ったんだ。でも、もういいじゃないか、昔のことは。これで全て、元通りになったんだから──」

 すると冬弥は、そのまま結月を抱きよせた。

 だが、その言葉を聞いて、結月は困惑する。

(結婚の……約束? じゃぁ、やっぱり冬弥さんが、モチヅキ君?)

 全て、元通り。
 確かに、その通りなのかもしれない。

 記憶はなくても、幼い頃自分は、確かにモチヅキ君のことが好きだった。

 それは、きっと間違いじゃない。

 なら、"お互いに好きあっていた"と言っていた冬弥は、きっと、モチヅキ君で間違いないはずで───

(あれ……なんで?)

 だが、その瞬間思い出したのは、なぜか自分の"執事"の姿だった。

 優しく微笑む姿に無性に胸が締め付けられた。

 自分が好きなのはモチヅキくんで、今日、その"モチヅキくん初恋の人"と再会した。

 しかも、婚約者として──

 それはきっと、幼い頃の自分にとっては、とてもとても幸せなことで。

 それなのに──

(なんで、私……五十嵐のこと……っ)

 好きな人冬弥に抱きしめられているにも関わらず、その腕の中で思い出すのは、なぜか執事のことばかりだった。

 初めは、少し苦手だった。

 執事なのに、全く思い通りにならなくて、その上、よくからかわれては、怒ったり、困ったりさせられた。

 だけど、自分がどんなに怒っても、五十嵐は、いつも笑って傍にいてくれた。

 たくさん笑わせてくれた。

 泣いていたら、慰めてくれて、不安があれば、抱きしめてくれた。

 そうするうちに、代わり映えのしない毎日が、少しずつ色をとり戻っていくように感じた。

 まるで、なくしていた感情を、一つ一つ拾い集めていくみたいに……

 そして、いつしか、五十嵐が傍にいないと、落ち着かなくなった。

 会えない日は『今、何をしているのかな?』そんなことを考えるようになった。

 だけど──

(っ……なんで? 私が……好きなのは……っ)

 自分の感情に、戸惑う。

 目の前には、夢にまで見た"モチヅキ君"がいて、その好きな人に、抱きしめられているのに、全くドキドキしなかった。

 それどころか、逆に心が冷えていくようにも感じた。そして、それにより、自分の今の気持ちを実感する。

(どうしよう、私……もう……っ)

 のだと思った。
 モチヅキくんを、いや、餅津木 冬弥のことを。

 そして、今、好きなのは───


「ッ───!?」

 だが、その瞬間、ぐらりと視界が揺れた。

 咄嗟に冬弥から離れ、ソファーに手をつくと、結月は、もう片方の手で頭をおさえた。

(ッ……なに、急に)

 突然の目眩。グラグラと視界が揺れて、その上、頭も痛いし、気持ちも悪い。

 しかも、何故かとてつもない睡魔に襲われて、結月の身体は、今にも崩れ落ちそうだった。

「結月さん、大丈夫ですか?」

「っ……あの、ごめんなさい……急に気分が」

「それはいけない。疲れてしまったのかもしれませんね。奥の部屋にベッドがありますから、横になってはいかがでしょうか」

「……え、と……っ」

 うまく思考が回らなかった。
 確かに、できるなら今すぐ横になりたい。

 だけど、心の奥で、何かが警鐘を鳴らす。

「ぁ、いぇ……私、もぅ、帰り……ます……五十嵐を、うちの……執事を……呼んで、頂けませんか……?」

 虚ろな思考で結月がなんとか、そう呟けば、その瞬間、冬弥の表情に影がさした。

(ちっ……なかなか、しぶといな。この女)

 結月に分からぬよう軽く舌打ちをしたあと、冬弥は、結月が飲んでいたグラスに目を向ける。

 ゆっくり飲んでいたからか、思ったより時間がかかったが、どうやら、やっと酔いが回ってきたようだった。

 だが、完全に酔い潰すには、もう数口ほどたりないらしい。

 そう思った、冬弥は──

「おい、さっきのボトル持ってこい」

 ソファーにふてぶてしく腰掛けたまま、結月のグラスを頭上に掲げる冬弥は『今すぐ、つぎにこい』とばかりに、背後に控えたメイド達に命令する。

 また、飲ませれば、次は完全に酔って眠ってしまうだろう。

 そう考えながら、手にしたグラスに、ワインが注がれるのを待つ。だがその瞬間

 ──バシャッ!?

「!!?」

 真っ赤なワインは、グラスではなく、冬弥の頭上に降り注いだ。

 ボトルに半分くらい残った赤いワイン。

 それが、まるで滝に打たれるかように、冬弥の頭上から髪をしたたり、顔や肩へと流れ落ち、真新しいシャツやスーツをビショビショに濡らしていく。

「ッ──てめぇ、なにやってんだ!?」

 いきなり頭からワインをぶっかけられ、怒り心頭になった冬弥は、背後に立つ男に罵声をあびせた。

 だが、そこにいたのは、先程、ロブスターを捌くのに苦戦していた青年ではなく

「?……誰だ、お前」

「…………」

 見知らぬスタッフの姿に、冬弥はきつく眉根を寄せた。
 スラリと背が高く、どこか凛々しい顔付きをした黒髪の男。
 だが、その男は、冬弥を客ではなく、まるでゴミでも見るかのような、酷く冷たい目をしていた。

「っ……おい、なんだその目は。お前も、ここのスタッフなんだろ?」

「いいえ」

「はぁ!?」

 するとその男は、空になったボトルを手にしたまま、改めて冬弥を見据え、まるで挑発でもするような不敵な笑みを浮かべた。

「お初にお目にかかります、餅津木 冬弥様。私は──結月お嬢様の"執事"です」


しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...