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第10章 餅津木家とお嬢様
婚約者
しおりを挟むその後、両親と合流すると、結月はレオと別れパーティー会場の中へと入った。
広々とした会場は、すでに沢山の人で賑わっていて、男性も女性も煌びやかに着飾っていた。
パーティー開始の時刻になれば、開会の挨拶が始まり、来賓や恩師による祝辞が一通り済むと、そのあと会食が始まった。
だが、テーブル席で、両親の横に座り食事をとる結月は、どこか気乗りしない表情を浮かべていた。
(なんだか落ち着かない……)
両親とともにいるのもだが、傍らに執事がいないせいか、どうも落ち着かない。
いつも食事時には、五十嵐が側にいた。
だが、さすがに今日は、そういう訳にもいかず、目の前には豪勢な料理が並んでいるにもかかわらず、緊張や不安からか、味がよく分からなかった。
「結月、春馬くんに挨拶に行くぞ」
「は、はい……」
すると、父親の洋介にそう促され、結月は席を立つと、両親と共に、今回の主役である春馬の元へ向かった。
ワイン片手に春馬と雑談をしていた、有名企業の跡取りと入れ替わりに、洋介が春馬の前に立つと、ちょうど春馬の父、幸蔵も話に加わってきた。
「阿須加さん、今日はわざわざお越し頂き、ありがとうございます!」
「いぇ、この度はおめでとうございます」
「ありがとうございます。そう言えば、春馬と会うのは初めてでしたね。改めて紹介します。長男の春馬です。ゆくゆくは、うちの会社を継ぐことになります」
幸蔵が、息子の春馬を紹介すると、春馬は一歩前に出て、洋介と握手を交した。
「初めまして阿須加さん。父から、よくお話は伺っております」
「初めまして。驚いたな。若い頃のお父さんにそっくりだ」
「はい、よく言われます。あ、紹介します、妻の美由紀と、息子の一馬です」
春馬がそう言うと、その背後で若い女性と幼い男の子をぺこりと頭を下げた。
綺麗な奥さんと、その横にいると礼儀正しい息子の姿を見て、結月は感心する。
特に息子の方は、まだ幼稚園生くらいだ。それなのに、この大人たちがひしめく会場内で、騒ぐことなく妙な落ち着きを払っていた。
(……しっかりした子ね)
「結月、あなたもご挨拶なさい」
すると、母親の美結が結月に話を振ってきて、結月は美結と共に、春馬の前で丁寧に挨拶をする。
「初めまして、春馬さん。妻の美結と、娘の結月です」
「この度はお招き下さり、誠にありがとうございます」
深く頭を下げると、それを見た幸蔵が、また口を挟む。
「いやー、とても美しいお嬢さんだ」
「幸蔵さんこそ、しっかりした息子さんと、お孫さんをお持ちで、羨ましい限りだ」
「うちはまだまだですよ。春馬もまだ半人前で、一馬もまだ5歳です。でも、跡取り問題には、当面悩まずにすむので助かりましたね」
「ということは、春馬くんの次は一馬くんに?」
「ゆくゆくは。まぁ、まだまだ先の話ですがね。でも、今のうちに、このような場にも慣れさせようと思いまして……あ、それと先日、三男の秋彦にも、息子が産まれましてね」
「それは、めでたい! また男の子とは、餅津木家は安泰ですね!」
「うちは昔から男の子ばかりなんです。ですから、きっと結月さんと冬弥の間にも、元気な男の子が生まれますよ」
「……!」
瞬間、結月は耳を疑った。
たんたんと語られるその会話の中に、突如入り込んできた、予期せぬ言葉。
(と、とうや……?)
その名前と子供の話に、ただただ困惑する。すると、寝耳に水といった結月の様子に、幸蔵は
「あー、結月さんは、まだ聞いていなかったのかな。冬弥!」
「……!」
瞬間、幸蔵が目配せをすると、少し離れた場所から一人の男性が、こちらに歩み寄ってきた。
背の高い黒髪の男性。
どこか目付きの鋭いその青年が、結月の目の前まで来ると、父の洋介が、改めて冬弥のことを紹介する。
「結月、彼は餅津木 冬弥くん。お前の婚約者だ」
✣
✣
✣
「五十嵐、お前も吸うか?」
一方、結月と離れ、ホテル内のロビーで待機していたレオは、洋介の運転手でもある黒沢から、煙草を一本差し出されていた。
よくある銘柄の煙草だ。
それを、まるで一服するか?とでも言うように差し出してくる黒沢をみて、レオは
「いえ、今は勤務中ですので……」
そう言って、あっさり受け流すと、黒沢は「お前さん、若いのに真面目だな~」などと、軽く笑い飛ばしながら、自分の煙草に火をつける。そして
「五十嵐、お前、生まれはフランスなのか?」
「え?」
「帰国子女だって聞いたぞ」
「誰からですか?」
「奥様からだよ。えらく気にいられたもんだな。お嬢様が結婚したら、お前のこと、うちのホテルで働かせようとか言ってたぞ」
「……は?」
思わず、低い声を発した。
結月が結婚したら──その発言ですら嫌気がさすくらいなのに、あのホテルで働けだなんて
「ご冗談を。私はホテルマンには向いてませんよ」
「そうか? 執事なんてやってるんだから、ホテルマンだって向いてるだろ。いいじゃないか、主人がその後も使ってやるって言ってくれてるんだ。それに、お嬢様も今頃、婚約者を紹介されてる頃だろう。若いからって悠長に構えてたら、仕事なくなるぞ」
「……!?」
だが、その言葉に、レオは瞠目した。
婚約者──黒沢は、確かにそう言ったから。
「婚約者って……」
「あー、お前さん、聞いてなかったのか? 今日のパーティーに結月様が招かれたのは、餅津木家の四男、冬弥様と正式に婚約させるためだ」
「……っ」
その言葉に、じわりと汗をかく。
餅津木家には、息子が四人いる。
長男の春馬、次男の夏輝、三男の秋彦、四男の冬弥。
上の三人は全て既婚者。四男の冬弥のことは多少気がかりではあったが、パーティーのリストに冬弥の名前がなかったため、不参加なのだろうと思っていた。
(……餅津木 冬弥。たしか年齢は、俺と同じ二十歳だったな)
年頃も、結月と近い。
それに、もしこんな人の多い場所で婚約者なんて紹介されたら、結月はきっと断われない。
いや、元より断る選択肢なんて、あの親は持たせてくれないだろう。
(じゃぁ、あの質のいいドレスをあつらえたのも、婚約者に会わせるために──)
そのために、自分が動かされていたのかと思うと、腸が煮えくり返りそうだったが、何より今気がかりなのは、結月のことだった。
(いよいよ、か……)
いつかは、こんな日が来るとは思っていた。
愛しい人が、他人のものになるかもしれない日。
だが、例え分かっていたとしても、耐えられるものではなかった。
(っ……結月)
ついに、差し迫ってきた『結婚』という二文字。
レオは、きつく拳を握りしめると、またひとつ強い決意を宿すのだった。
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