91 / 289
第10章 餅津木家とお嬢様
執事とモチヅキ君
しおりを挟む「旦那様、お車の用意ができました」
阿須加家の別邸にて、スーツを着た洋介に強面の男が声をかけた。
男の名は、黒沢 人志。
色黒で厳つい風貌のこの男は、ここ10年ほど洋介の秘書として働いてきた男だった。
「お嬢様は、もう屋敷を出られたそうです」
「そうか……」
黒沢が声をかけると、洋介と美結は餅津木家のパーティーに向かうため、車の中に乗り込んだ。
そして、その後、ゆっくりと車が動き出すと
「どうしたんだ美結、浮かない顔をして」
「…………」
自分の真横で、どこか不機嫌そうにする妻の姿を見て、洋介が問いかける。
しっかりとモスグリーンのドレスを着て着飾ったにも関わらず、美結のその表情は、全く晴れやかには見えなかった。
「別に。ただ、これから結月の顔を見るのかと思うと……」
「お前は相変わらず、結月が嫌いだな」
軽く失笑して洋介がそういえば、美結は車窓から外を見つめた。
「結月、着てくるかしら……あのドレス」
「着てくるさ。とても喜んでいたと言っていたじゃないか」
「えぇ……わざわざ電話でお礼まで言われたわ。馬鹿な子ね。なんの疑いも持たず素直に喜んで……大体結月は、もっと清楚なドレスの方が似合うのよ。あんな派手なドレス」
「まぁ、そう言うな。相手の好みに合わせるのは当然のことだろう」
その言葉に、足を組み、窓の外を見つめている美結は、その瞳をさらに細める。
「まるで貢ぎ物ね。それに、まさかあんな条件だすなんて思わなかったわ」
「あんな条件?」
「物事には、順序ってものがあるでしょ」
「あぁ、あの話か。今更、何を言うんだ。お前だって忘れたわけじゃないだろう。私たちがどれほど苦労したか、これも結月のためだ。それに、また8年前のようになっても困る」
「…………」
8年前──その夫の言葉に、美結は深くため息をつくと
「結月が記憶喪失になってよかったわね。餅津木とのことなんて、もうすっかり忘れてるんだから……」
「そうだな。おかげで、今度こそ正式に、餅津木家と婚約させることが出来る」
「洋介……私、あなたと結婚したことは後悔してないけど、この阿須加に嫁いだことは、死ぬほど後悔してるわ」
「それはまた、えらい言われようだな」
走る車は、パーティ会場に向かう。
✣✣✣
そして、その頃──洋介たちよりも先にホテルに到着した結月とレオは、丁度、地下駐車場に車を停めたところだった。
阿須加家が経営するホテルの中でも、まだ新しいこのホテルは、宿泊は勿論、結婚式にも利用される高級感溢れるホテルで、中にはレストランやバー、更には美容室やプールまで。
そして、そのホテルを貸し切って、本日行われるのが、餅津木グループの長男・春馬の誕生パーティだ。
今年28歳になるの春馬は、数年前、銀行頭取の娘と結婚し、今は一児の父らしい。
急成長中の大手企業の次期社長のパーティーともなると招かれるゲストも錚々たるメンバーで、結月は執事から受け取った来客リストを見つめながら、顔を顰めていた。
「さすがに餅津木家のパーティーともなると、規模が大きいわね」
「幸蔵様(春馬の父)は、とてもやり手の方らしいですから、きっとお知り合いやご友人の方も多いのでしょう。それに、次期社長として春馬様の顔を覚えてもらうためもあるかと、盛大に祝うのは当然です」
「そうねぇ」
「それより、先にロビーに向かいましょうか。直に、旦那様たちも到着するはずです」
「えぇ……」
結月がそう言うと、レオは車から降り、そのまま後部座席の扉を開けた。
いつものように手を差し出すと、結月はその手を取り、車からおりる。
「きゃッ──」
「!?」
だが、その瞬間、バランスを崩した結月をみて、レオは咄嗟に自分の腕の中に引き込んだ。
倒れそうになった身体を難なく受け止めると、結月の体は、すっぽりレオの胸の中に収まってしまった。
思ったより、密着してしまった身体に動揺する。
赤いドレスを着た結月は、とても色っぽく、大胆に開いた胸元は目のやり場に困るほどだった。
視線が合えば、化粧をして、いつもより色付いた頬と、艶のある唇が視界に入った。
普段はつけない香水は、まるで誘うように甘い香りを漂わし、もし、今の立場が執事ではなく、恋人だったならば、このまま抱きしめて、キスのひとつでもしてしまうかもしれない。
「大丈夫ですか、お嬢様」
「ぇ、えぇ、ごめんなさい」
だが、そんな感情を必死に押し殺して、あくまでも執事として振る舞うと、結月はレオの胸の中で恥ずかしそうに答えた。
心なしか赤い頬。
その可愛らしい姿には、自然と頬が緩む。
「お気をつけください。その靴、いつもよりヒールが細いですから」
「わ、分かってるわ」
「本当に分かっておいでですか? 会場内には一緒に入ることができないので、転びそうになっても、こうして受け止めてあげられませんよ」
「もう、分かってるっていってるじゃない! 今は、五十嵐がいるから気を抜いていただけで」
(俺がいるから……か)
そんな可愛らしい事をいわれたら、このままどこかへ連れ去ってしまいたくなる。
早く思い出してほしい。
また、あの頃みたいに名前で呼んで欲しい。
そうすれば、心置きなく
あいつらから奪うことができるのに──
そう思うと、繋がったままの手に自然と力がこもった。
「五十嵐?」
「いえ……相変わらず、お嬢様は可愛いことをおっしゃいますね。俺がいるからだなんて……それに、今日は可愛いだけでなく、とても綺麗で、見惚れてしまいそうです」
「ッ……あ、ありがとう。でも、そんなこと面と向かって言わなくていいわ」
「なぜですか? 素直にそう思ったから、そう申したまでですが」
「は、恥ずかしいからに決まってるでしょ。わざわざ言わなくていいって言ってるの!」
「ふふ、それは失礼致しました。ですが、そうして恥じらう姿を見せられると、益々いじめたくなってしまいますね」
「ッ……」
いつもより距離が近いせいか、声も近い。さざ波のように低く穏やかな声が、耳元で語りかけてくる。
「っ~~~もう、またそうやってからかって! 彼女に言いつけるわよ!」
「言いつけたければ、どうぞ?」
「なにそれ、またヤキモチ妬かれて知らないわよ」
「むしろ妬いて欲しいですね。きっと可愛い」
「人をダシに使わないで。五十嵐は、本当に彼女一筋って感じね」
「そうですね。前にも申し上げましたが、この世界の誰よりも愛していますよ。だから、絶対に誰にも奪われたくはありません」
「……!」
瞬間、繋がった手に、また力がこもって、結月は頬を赤らめた。
見つめる瞳が、あまりにも真剣なものだから、時々錯覚してしまいそうになる。
その言葉が全部。
自分に向けられているものじゃないかって……
「そ、そう。あの、もう大丈夫だから、はなして……っ」
「はい。では、また転びそうになった時は、私の腕に掴まってください」
「もう、転びません!」
結月が、恥じらいながらそう言って、その後レオが手を離すと、結月は、その離れた手をキュッと握りしめた。
(どうして、こんなに……ドキドキするのかしら……っ)
不意に、幼い頃を思いだした。モチヅキ君と一緒に過ごしていた、あの8年前の事。
『──結月』
そういって、モチヅキ君に名前を呼ばれるのが嬉しかった。
声を聞く度に、ドキドキして、たまにしか会えなかったけど、ほんの数時間でも、傍にいられるだけで幸せだった。
でも、それはきっと、モチヅキ君に『恋』をしていたから。それなのに……
(そんなはずないわ……)
五十嵐は『執事』だ。だから、そんなはずはない。ドキドキするのは、この気持ちは──そうじゃない。
だって、私の好きな人は、今もずっと
モチヅキ君のはずだから──
1
お気に入りに追加
58
あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。


セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる