お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

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第10章 餅津木家とお嬢様

執事とモチヅキ君

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「旦那様、お車の用意ができました」

 阿須加家の別邸にて、スーツを着た洋介に強面の男が声をかけた。

 男の名は、黒沢くろさわ 人志ひとし
 色黒で厳つい風貌のこの男は、ここ10年ほど洋介の秘書として働いてきた男だった。

「お嬢様は、もう屋敷を出られたそうです」
「そうか……」

 黒沢が声をかけると、洋介と美結は餅津木家のパーティーに向かうため、車の中に乗り込んだ。

 そして、その後、ゆっくりと車が動き出すと

「どうしたんだ美結、浮かない顔をして」
「…………」

 自分の真横で、どこか不機嫌そうにする妻の姿を見て、洋介が問いかける。

 しっかりとモスグリーンのドレスを着て着飾ったにも関わらず、美結のその表情は、全く晴れやかには見えなかった。

「別に。ただ、これから結月の顔を見るのかと思うと……」

「お前は相変わらず、結月が嫌いだな」

 軽く失笑して洋介がそういえば、美結は車窓から外を見つめた。

「結月、着てくるかしら……あのドレス」

「着てくるさ。とても喜んでいたと言っていたじゃないか」

「えぇ……わざわざ電話でお礼まで言われたわ。馬鹿な子ね。なんの疑いも持たず素直に喜んで……大体結月は、もっと清楚なドレスの方が似合うのよ。あんな派手なドレス」

「まぁ、そう言うな。に合わせるのは当然のことだろう」

 その言葉に、足を組み、窓の外を見つめている美結は、その瞳をさらに細める。

「まるで貢ぎ物ね。それに、まさかあんな条件だすなんて思わなかったわ」

「あんな条件?」

「物事には、順序ってものがあるでしょ」

「あぁ、あの話か。今更、何を言うんだ。お前だって忘れたわけじゃないだろう。私たちがどれほど苦労したか、これも結月のためだ。それに、また8年前のようになっても困る」

「…………」

 8年前──その夫の言葉に、美結は深くため息をつくと

「結月がになってよかったわね。餅津木とのことなんて、もうすっかり忘れてるんだから……」

「そうだな。おかげで、今度こそ正式に、餅津木家と婚約させることが出来る」

「洋介……私、あなたと結婚したことは後悔してないけど、この阿須加に嫁いだことは、死ぬほど後悔してるわ」

「それはまた、えらい言われようだな」

 走る車は、パーティ会場に向かう。




 ✣✣✣



 そして、その頃──洋介たちよりも先にホテルに到着した結月とレオは、丁度、地下駐車場に車を停めたところだった。

 阿須加家が経営するホテルの中でも、まだ新しいこのホテルは、宿泊は勿論、結婚式にも利用される高級感溢れるホテルで、中にはレストランやバー、更には美容室やプールまで。

 そして、そのホテルを貸し切って、本日行われるのが、餅津木グループの長男・春馬の誕生パーティだ。
 今年28歳になるの春馬は、数年前、銀行頭取の娘と結婚し、今は一児の父らしい。

 急成長中の大手企業の次期社長のパーティーともなると招かれるゲストも錚々たるメンバーで、結月は執事から受け取った来客リストを見つめながら、顔を顰めていた。

「さすがに餅津木家のパーティーともなると、規模が大きいわね」

「幸蔵様(春馬の父)は、とてもやり手の方らしいですから、きっとお知り合いやご友人の方も多いのでしょう。それに、次期社長として春馬様の顔を覚えてもらうためもあるかと、盛大に祝うのは当然です」

「そうねぇ」

「それより、先にロビーに向かいましょうか。直に、旦那様たちも到着するはずです」

「えぇ……」

 結月がそう言うと、レオは車から降り、そのまま後部座席の扉を開けた。

 いつものように手を差し出すと、結月はその手を取り、車からおりる。

「きゃッ──」
「!?」

 だが、その瞬間、バランスを崩した結月をみて、レオは咄嗟に自分の腕の中に引き込んだ。

 倒れそうになった身体を難なく受け止めると、結月の体は、すっぽりレオの胸の中に収まってしまった。

 思ったより、密着してしまった身体に動揺する。

 赤いドレスを着た結月は、とても色っぽく、大胆に開いた胸元は目のやり場に困るほどだった。

 視線が合えば、化粧をして、いつもより色付いた頬と、艶のある唇が視界に入った。

 普段はつけない香水は、まるで誘うように甘い香りを漂わし、もし、今の立場が執事ではなく、恋人だったならば、このまま抱きしめて、キスのひとつでもしてしまうかもしれない。

「大丈夫ですか、お嬢様」
「ぇ、えぇ、ごめんなさい」

 だが、そんな感情を必死に押し殺して、あくまでも執事として振る舞うと、結月はレオの胸の中で恥ずかしそうに答えた。

 心なしか赤い頬。
 その可愛らしい姿には、自然と頬が緩む。

「お気をつけください。その靴、いつもよりヒールが細いですから」

「わ、分かってるわ」

「本当に分かっておいでですか? 会場内には一緒に入ることができないので、転びそうになっても、こうして受け止めてあげられませんよ」

「もう、分かってるっていってるじゃない! 今は、五十嵐がいるから気を抜いていただけで」

(俺がいるから……か)

 そんな可愛らしい事をいわれたら、このままどこかへ連れ去ってしまいたくなる。

 早く思い出してほしい。
 また、あの頃みたいに名前で呼んで欲しい。

 そうすれば、心置きなく
 あいつらから奪うことができるのに──

 そう思うと、繋がったままの手に自然と力がこもった。

「五十嵐?」

「いえ……相変わらず、お嬢様は可愛いことをおっしゃいますね。俺がいるからだなんて……それに、今日は可愛いだけでなく、とても綺麗で、見惚れてしまいそうです」

「ッ……あ、ありがとう。でも、そんなこと面と向かって言わなくていいわ」

「なぜですか? 素直にそう思ったから、そう申したまでですが」

「は、恥ずかしいからに決まってるでしょ。わざわざ言わなくていいって言ってるの!」

「ふふ、それは失礼致しました。ですが、そうして恥じらう姿を見せられると、益々いじめたくなってしまいますね」

「ッ……」

 いつもより距離が近いせいか、声も近い。さざ波のように低く穏やかな声が、耳元で語りかけてくる。

「っ~~~もう、またそうやってからかって! 彼女に言いつけるわよ!」

「言いつけたければ、どうぞ?」

「なにそれ、またヤキモチ妬かれて知らないわよ」

「むしろ妬いて欲しいですね。きっと可愛い」

「人をダシに使わないで。五十嵐は、本当に彼女一筋って感じね」

「そうですね。前にも申し上げましたが、この世界の誰よりも愛していますよ。だから、絶対に

「……!」

 瞬間、繋がった手に、また力がこもって、結月は頬を赤らめた。

 見つめる瞳が、あまりにも真剣なものだから、時々錯覚してしまいそうになる。

 その言葉が全部。
 自分に向けられているものじゃないかって……

「そ、そう。あの、もう大丈夫だから、はなして……っ」

「はい。では、また転びそうになった時は、私の腕に掴まってください」

「もう、転びません!」

 結月が、恥じらいながらそう言って、その後レオが手を離すと、結月は、その離れた手をキュッと握りしめた。

(どうして、こんなに……ドキドキするのかしら……っ)

 不意に、幼い頃を思いだした。モチヅキ君と一緒に過ごしていた、あの8年前の事。

『──結月』

 そういって、モチヅキ君に名前を呼ばれるのが嬉しかった。

 声を聞く度に、ドキドキして、たまにしか会えなかったけど、ほんの数時間でも、傍にいられるだけで幸せだった。

 でも、それはきっと、モチヅキ君に『恋』をしていたから。それなのに……

(そんなはずないわ……)

 五十嵐は『執事』だ。だから、そんなはずはない。ドキドキするのは、この気持ちは──そうじゃない。

 だって、私の好きな人は、今もずっと

 のはずだから──
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