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第9章 執事の悩みごと
シャトー・メルロー
しおりを挟む「レオ、お昼食べたあとは、どうするの?」
縁側でルナとじゃれついているレオに、ルイが声をかければ、レオは顔だけ向けて振り向いた。
時刻を見れば、もう、お昼。
ルイは昼食の準備を始める前にと、レオに午後の予定を尋ねた。
「夕方までいたいなら、いても構わないけど?」
「いや、今日は昼を食べたら、すぐに帰るよ。もしかしたら、結月が落ち込んでるかもしれないから」
「落ち込んでる?」
「あぁ、今日話すって言ってたからな。矢野さんが、メイドの仕事を辞めるって」
その言葉に、ルイは納得したように目を細めた。
家族のように慕っていた屋敷の使用人。それも、結月が幼い頃から一緒にいた矢野だ。
結月の心中を察すれば、レオが帰ると言ったのも頷ける。
「そっか。それは早く帰らなきゃいけないね。執事さんとしては……」
「ルイには感謝してるよ。矢野さんに、いい転職先見つけてくれたんだから」
「優秀な人だったから、案外楽だったよ。先方も、ちょうど講師が辞めて困ってたみたいだし」
ルイが矢野のために見つけてきたのは、塾講師の仕事だった。
学歴もあり、結月の家庭教師の経験もあったからか、案外あっさり決まり、矢野は9月末をメドに退職する予定だ。
「矢野さんの息子くん、大学行けるといいね」
「浩史くんか。そうだな。……あ、ルイにも何か礼をしたい。何がいい?」
「え? いいよ別に。お礼なんて」
「そういうわけにはいかない」
「うーん、相変わらず律儀だなー、レオは」
その後、ルイは、ふむと考える。レオにしてほしい頼み事──すると、それから暫くして
「あ! なら、ワインがいいな」
「ワイン?」
「うん。執事さんならワインの管理や買い付けも仕事のうちでしょ? 欲しいワインがあるから、探してきてよ」
「銘柄は?」
「シャトー・メルローって言う、フランス産の赤ワイン。年代は別に問わないよ」
「一人で飲むのか?」
「いや、今ちょっと、気になる子がいてね。その子を口説くのに使おうかなって」
「…………」
予想外の言葉に、レオは一驚する。
無理もない。今、ルイは、女の子を口説《くど》くのに酒の力を使おうとしているわけだ。
だが、とにもかくにも──
「気になる子って?」
「あー、僕、今アルバイトでモデルの仕事してるでしょ。そこでカメラマンの見習い、やってる子」
「へー……」
「レオもそうだけど、僕、弱いんだよね。自分の夢に向かって必死に頑張ってる子」
そう言って、微笑むルイは、本気で恋をしているような、そんな目をしていて、レオもまた、クスリと笑みを浮かべた。
「本気なのか? でも、お前が口説けば、たいていの女はOKするだろ」
「まぁ、たいていはね。でも、その子は今までとは違うっていうか」
「?」
どうやら上手くいっていないのか、今度は深くため息をついたルイにレオは首を傾げる。
「どう、違うんだ?」
「紺野ちゃんさ。僕のこと"被写体"としかみてないんだよね」
「ぶはっ!」
瞬間、レオが吹き出した。
「被写体って……!」
「笑わないでよ」
「いや、悪い。だが、ルイが女に苦労するとは思わなかった。その綺麗な顔が、逆に仇《あだ》になったな」
「ホント、身体しか求められないって、悲しいよねー」
言い方は卑猥だが、まさに(被写体として)身体しか求められていないわけで、レオは、そんなルイを少しだけ哀れむ。
フランスにいた頃、ガールフレンドには一切困らなかったルイが、ここまで悩み、そして、真剣に思いを寄せている女の子。
それを思うと、その『紺野ちゃん』と言う女性が少しだけ気になった。だが……
「でも、だからって、ワインで酔わせて、なにするつもりだ?」
「え?」
その後、神妙な面持ちで、レオがルイを見つめれば、その表情に、ルイは何かを察したらしい。呆れたように笑いながら
「うわ、なにそれ! まるで、僕が女の子を酔わせて、酷いことしようとしてるみたい」
「違うのか?」
「違うよ。ワインは料理に使うんだよ」
「あぁ、料理にか」
「そ! 彼女、今一人暮らししてるみたいだから、今のうちに、胃袋つかんどこうとおもってね」
「……胃袋って」
ルイの言葉に、レオはルナを撫でながら、絶句する。
夢に向かって、一心不乱に頑張っている女の子。一人暮らしで朝から晩まで仕事をしているなら、乱れた食生活を送っている可能性が高い。
そんな彼女の弱みにつこ込んで、愛情のこもった美味しい手料理を振る舞い、胃袋から掴もうとするルイ。
「お前、容赦ないな……っ」
「レオにだけは、言われたくないな~」
そう言って、楽しそうに頬杖をついて笑うルイは、その後、座卓の上にあったメモ帳に手を伸ばすと、さっき頼んだワインの名称を書き、それをレオに手渡す。
「あと、一応付け加えると、シャトー・メルローは、あまり女の子にすすめていいお酒じゃないよ。甘くて口当たりがいいし、一見ジュースみたいだけど、かなりアルコール度数が高いからね。お酒に弱い子が飲んだら、すぐ意識飛ばしちゃうよ」
「へー……」
ルイから、手渡されたメモに視線を落とすと、レオは再びその名称を呟く。
(シャトー・メルロー……ね)
✣✣✣
※補足※
『シャトー・メルロー』は、私が勝手に考えた架空のお酒です。度数高めのワインということで、念のため悪い事を考える人が出ないよう、存在しないワインの名称にしています。
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