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第8章 執事でなくなる日
恋
しおりを挟むその後、学参コーナーから立ち去った結月は、文庫コーナーの中で顔を赤らめていた。
(っ……懐かしいだなんて、私、何言ってるのかしら)
思わず出てきた言葉に、自分自身で驚き、そして恥らう。
なんで、あんなこと言ったのか自分でもよくわからないが、あんな発言をしていたら、五十嵐にバカにされてもおかしくはない。
(きっと、びっくりしたよね? すごく驚いた顔をしてたし……)
いつも平静な執事が、言葉を失くすほど困惑していた。
無理もない。四月にであってまだ数ヶ月。そんな相手に、いきなり『懐かしい』などと言われたのだ。きっと
(なにいってんだ、こいつ)
──と、思ったに違いない!
(し、しっかりしなきゃ……! こんな発言繰り返してたら、絶対天然だと思われるわ)
だが、熱い頬に手を当て少しだけ冷ますも、心の中は未だドキドキしていた。
(はぁ……どうしたのかしら)
五十嵐が来てから、何かがおかしい。
彼といると不思議と安心したり、ドキドキしたり、胸が苦しくなったり、それまでは全く波がなく穏だった心が、酷く揺さぶられるようになった。
「あ……この本」
すると、ふと見覚えのある文庫本が目に止まって、結月は平台に積み上げられたそれを手にとった。
端正な顔立ちの執事と、可愛らしいお嬢様が一緒に描かれている煌びやかな表紙。そして、そのタイトルには、酷く見覚えがあった。
(これ、確かお嬢様と執事が……)
それは少し前、クラスメイトの有栖川から借りた、あの官能的な文庫本だった。
そして、その内容は、お嬢様と執事が『恋』に落ちるというもの──
「……恋?」
不意に、その小説の内容を思い出して、結月は考えた。
確か、この小説の中のお嬢様も、よく安心したり、ドキドキしたり、胸が苦しくなっていた。
でもそれは、執事のことが、好きだったからで───
(え!? な、ちょ、違うわ! 私は、違う……っ)
瞬間過ぎった言葉に、結月は慌てふためく。
これではまるで、自分が執事に恋をしているみたい。
だが、ない!
それだけは──絶対にありえない。
(今日は、呼び捨てにされてるし、ちょっと変な感じになってるだけよね? だいたい五十嵐には彼女がいるし)
彼女がいる人に恋をする自体、ありえない話だ。何よりも『恋なんて、自分には無意味なもの』ずっと、そう言い聞かせてきた。
今更、その気持ちが変わることは無い。
(落ち着こう。五十嵐はあくまでも執事だもの、恋愛対象にはならないわ)
お嬢様と執事として、そこに築かれるのは『信頼関係』であって『愛』ではない。
それは、きっと"お互い"に、理解している。
「結月……!」
「!」
すると、遅れてやってきたレオが、結月の元に駆け寄り、声をかけた。
どこか真剣な表情をした執事の姿に、結月の心臓が微かに跳ねる。
「な、なに?」
目と目があえば、文庫を持つ手に軽くに力が入った。変なことを考えていたせいで、少しだけ意識してしまう。
「──その本、買うの?」
「へ?」
だが、予期せぬ言葉を発せられ、結月は、再び文庫本に視線をおとす。
そう、この文庫本は、よりにもよって官能的なシーンを読んでいるところを、執事に見つかって、恥ずかしい思いをした、あの小説──
「そんなに気に入ったのか、それ」
「ひゃぁぁ、ち、違います! これは、たまたま見かけて、たまたま手に取っただけで……!」
顔を真っ赤にして、結月は慌てて本を平台に戻した。
あーもう、恥ずかしい!
なんか、色々と恥ずかしい!!
「あの……勘違いしないでね、私……っ」
「別に、そういう本に興味持つのはおかしなことじゃないって言っただろ」
「きょ、興味なんて持ってないわ!」
いやらしい本に興味があるなんて、さすがに、そう思われるのは心外だ!
だが、思わず言葉が強くなると、結月は慌てて口元を押さえた。
こんな公共の場で、声を荒らげるなんて、なんてはしたない。
「あのね、五十嵐……本当にたまたまなの。欲しかったわけじゃ……っ」
「そんなにムキにならなくても、分かってるよ」
頬を染めて、恥じらいの表情を浮かべる結月にレオはクスリと微笑む。
この可愛らしい姿は、見ていて飽きない。だが
(五十嵐……か)
さっきは、すごく驚いたし、なにより嬉しかった。懐かしいと言われて、思い出したのかと思ったから。
でも……
(……そう簡単に思い出すわけないよな)
『五十嵐』と呼ばれて、ハッとした。懐かしいと思ったのは、嘘ではないのかもしれない。
それでも、未だ結月の中にいるのは『レオ』という少年ではなく『五十嵐』と言う名の『執事』だけなのだろう。
(……こんな些細なことで、喜ぶなんて)
思わず、期待にしてしまった自分に失笑しつつも、レオは何事もなかったように、再び結月にといかける。
「そう言えば。その本、最後どうなったの?」
「え?」
結月をからかうには良いネタだが、正直、その本の結末には興味があった。
決して結ばれてはけない、お嬢様と執事という──"禁断の関係"
だからこそ、せめて物語の中くらいは……と、淡い期待をよせる。
「あー、これ?」
すると、結月はすぐさま口を開き
「この物語ね。最後、執事が死んじゃうの」
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