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第8章 執事でなくなる日
解雇
しおりを挟む「ぃ、五十嵐……っ」
「……………」
ぽたぽたと、結月の髪や服から雫が落ちるのを見つめながら、レオは表情を曇らせた。
しまった。
これは完全にやらかした!
「五十嵐、あなたって人は! どうして、いつもいつも、こんな嫌がらせばかりしてくるの!?」
いきなり執事から水をぶっかけられ、お嬢様がわなわなと肩を震わせる。
しかも厄介なのは、これが恒例の嫌がらせだと思われていることだ!
「お、お待ちください、お嬢様! 今のは違います! 決して、嫌がらせをしようとしたわけでは……っ」
「今のは?」
「え?」
「今のってことは、いつものは、やっぱり"嫌がらせ"ということかしら?」
「……………」
その瞬間、レオの表情は、一瞬にして冷えきった。
「えーと……一体なにを、仰っているのか?」
「しらばっくれないで! いつもいつも、ふざけたことばかりして! 私のこと困らせてばっかりじゃない!? だいたい、五十嵐は私の執事でしょ! 私がクビにしたいと思ったら、いつでも五十嵐のことを解雇でき──」
バシャ──!!
「きゃぁぁぁ、冷たい!!」
結月がグチグチと不満をぶつけていると、それを聞いていたレオが、再びホースの先を結月の方にむけた。
明らかに故意にかけられた水は、土砂降りの雨のように降り注ぎ、結月の服をより一層、濡らしてしまう。
「な、何す……っ」
「お嬢様、もう二度とそのようなこと、仰らないでください」
「え?」
「お嬢様にクビにするなんて言われたら、さすがの私も、泣いてしまいますよ?」
そう言って、悲しげに瞳を揺らす執事に、結月は目を見開く。
「な、泣いちゃうの?」
「はい。私がお仕えするのはお嬢様だですから、唯一お慕いする主に見捨てられでもしたら、悲しくて悲しくて、死んでしまうかもしれません」
「…………し」
──死ぬ!?
(じょ……冗談よね?)
だが、なぜだろう。なぜか、冗談と思えない。
と、いうか自分の『クビ』の一言で、執事が命を絶つかもしれないなんて、怖すぎる!!
「じょ……冗談よ、五十嵐。そんなこと思ってないし、二度と言わないから。ごめんね?」
「それは良かった」
結月が恐る恐る謝ると、その後、レオはニッコリ笑ったあと、またホースを頭上にかかげ、人工的な雨を降らし始めた。
「きゃッ……! ま、待って五十嵐、それ以上やったら、服がびしょびしょになっちゃう」
「あはは。もう、そこまで濡らしておいて、なにを仰っているのですか。それに、たまにはいいではありませんか。水遊び、気持ちいいですよ」
「水遊び?」
「はい、今日は天気いいですし。それにほら、虹もでてます」
そう言われ、結月は空を見上げる。だが
「虹? ……が、どこに出てるの?」
「上じゃなくて、下です」
すると、レオは、結月の足元を指さした。
見れば、ホースから撒かれた水しぶきが雨の代わりとなって、二人の足元に1m程の小さな小さな虹を作り出していた。
「まぁ、可愛い~!」
目の前にある小ぶりの虹を見つめ、結月が目を輝かせる。
無邪気に笑い、喜ぶ結月はなんとも愛らしく、その姿を見て、レオは愛おしそうに目を細めた。
(可愛い……)
はしゃぐ姿に、幼い頃、自分の話を楽しそうに聞いていた結月の姿を思いだした。
あれから八年。立場は変わってしまったけれど、無邪気に笑う彼女の笑顔や、自分のこの思いだけは、今でも、変わることはない。
「ふふ、あはは。五十嵐、もういい加減にして……!」
そう言いつつも、水しぶきの中、はしゃぐ結月は、満更でもなさそうだった。
名家のお嬢様だ。
普通の子供が当たり前のようにする遊びを、結月は、あまりやった試しがない。
(たまには、こういうのも……)
──いいかもしれない。
「……!」
「──わっ!?」
だが、そう思った瞬間、レオは慌ててホースを離すと、結月の肩に手を置き、その身体をくるりと半回転させた。
「え? どうしたの? もう、終わり?」
「あ、いえ……」
突然、自分の背後に回った執事を見て、結月はキョトンと首を傾げる。
「あの、お嬢様。できるなら、そのまま真っ直ぐ屋敷の中にお入りください」
「え? なんで?」
「ぁ、その……」
すると、レオは少しバツが悪そうな顔をして
「下着が、透けて……」
「…………」
決してこちらを見ることなく発した執事の言葉に、結月は目を丸くする。
自分の胸元をみれば、白のブラウスがピッタリと身体に張り付き、ピンク色の下着が薄く透けているのが見えた。
あぁ、確かに、これは──
「きゃぁぁぁぁ!! 信じられない! もしかして、こうなるの計算してたの!? いくらなんでも酷すぎるわ!」
「だから、違うと言っているでしょう! とにかく屋敷にお入りください! すぐにお風呂をわかしますから」
背中を押して屋敷へと押しやると、結月は顔を真っ赤にして中へと入っていった。
(あれ、そう言えば……結月、ここに何しにきたんだ?)
しかも、こんな裏庭になんの用があったのかと、肝心の要件を聞き忘れ、レオは深く深く息をつく。
「はぁ……少し、はしゃぎすぎた」
結月とじゃれあうのが、あまりに楽しくて
(まるで……子供みたいだったな)
先程の無邪気な結月を思い出すと、再び笑みが零れた。
たかだか、水遊びひとつで、あんなにも楽しそうに……
(あ……でも、身体はしっかり大人だった)
だが、八年で変わらないものもあれば、大きく変わったところもあるらしい。
レオは、結月の成長をしみじみ感じながら、手早く片付けをすませると、再び屋敷の中へと戻っていった。
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