お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

文字の大きさ
上 下
64 / 289
第7章 夢の中の男の子

俺の知らない君の全て

しおりを挟む
 陽がとっぷり暮れた頃に、クライヴとリラの父であるチャールズ・アリエスは屋敷に戻ってきた。
 何やら憑き物が取れたようにチャールズは穏やかな笑みを浮かべていた。

 リラはふたりが何を話したのか少し気になったものの、男同士の会話を尋ねるなど不躾だろうと思い尋ねることはなかった。



 晩餐後。
 リラとクライヴはチャールズの執務室に案内された。
 要件はもちろん、チャールズが婚約証書に署名するためであった。

 チャールズは執務机の正面のソファに座るようにふたりを促した。

「リラ、クライヴ様と一緒にいて幸せかい。」

 チャールズは、真剣に真っ直ぐな瞳でリラに尋ねた。
 おそらくこれはリラへの最後の確認なのだろう。

 この婚約証書にチャールズがサインすれば、後戻りはできず、クライヴとの婚約そして結婚はより約束されたものになる。

「はい、お父様。クライヴ様といて、とても幸せです。」

 リラは緊張しながらも、真っ直ぐ瞳でチャールズにそう答えた。
 リラに迷いはなかった。

 誰かといて、これほどまでに心が動かされることなど初めてだった。
 おそらくこれからもクライヴ以外の人間にこれほど心を動かされることはないだろう。
 リラは素直にそう思えたのだった。

「そうか。リラ、幸せになってくれ。忙しいとは思うが、我が家にも領地にもいつでも遊びにきて構わないからな。」

 チャールズは立ち上がり、執務机に向かうとササッと机に置かれた羽ペンで二枚の婚約証書に自身の名前を記し、横に家紋の捺印を行うと一枚をクライヴに手渡した。

「クライヴ様、大変お待たせいたしました。こちらでよろしいでしょうか。」

「ありがとうございます。義父上《ちちうえ》。」

 『義父上』その言葉を受けチャールズは照れくさそうに優しく微笑んだ。

「こちらこそ、義息子《むすこ》になってくださってありがとうございます。」



 翌朝。
 ふたりは街の外れの墓地を訪れた。
 これからの門出を母に報告ためだった。

「クライヴ様、わざわざこちらにお越しいただきましてありがとうございます。」

 リラは墓跡を花を供えながら、クライヴに礼を言った。

「いや、いずれ訪れたいとは思っていた。」

 クライヴのその言葉にリラは目頭が熱くなった。

「俺も手を合わせていいだろうか。」

「はい。もちろんです。」

 リラは、手を合わせ終わるとクライヴにその場を譲った。
 暫くクライヴは目を瞑り手を合わせていた。



 クライヴが祈り終わると、ふたりはそのまま馬車に乗りアクイラ国皇城へと出発した。

 アクイラ国までは橋を渡ればすぐであるが、皇城までは馬車で三日であった。
 リラは、これから待ち構える出来事に不安を抱えながら移り行く景色を眺めていた。

 皇城についたら、まず最初はアクイラ国皇と皇后への挨拶だろう。
 それから婚約式の打ち合わせ、結婚までのスケジュールの相談などやることは山積みである。

 リラの希望としては、領地でやり残した仕事や学園の卒業式もあるため、挨拶が終わったら一度領地に帰りたいと思っていた。

(色々、クライヴ様と相談しなくては…。)

「リラ、改めて礼を言わせてくれ。」

 物思いに耽るリラにクライヴはリラの左手を取り、薬指をなぞりながら話しかけた。

「婚約に了承、いや、妻になってくれる決断をしてくれてありがとう。」

 そう言うとクライヴはその手に口付けをした。

「リラの家族はいいな。ルーカスは面白いし、チャールズはとても優しく、心温かい家族だよ。今まで出逢ったどんな貴族よりも素晴らしい家族に思えた。」

 クライヴはもの寂しげな表情を浮かべた。

「リラに、あらかじめ謝っておきたいことがある。」

 リラは、いつになく頼りないクライヴの表情にドキリッとした。



 一体、今からどんな言葉が紡がれるのだろうか。

(まさか、未だにアクイラ国皇に了承を得ていないのかしら…。)

 元々身分違いの結婚である、結婚証書は発行されているものの未だにアクイラ国皇や皇后の了承を得ていない可能性は十分にあった。
 そうなると、もしかしたら本国に別の婚約者が待っているのかもしれない。

 リラは身震いし、不安に怯えた表情を浮かべた。

 クライヴは、そんなリラの表情を見ると、少しだけ口元を緩めると優しく肩を抱き寄せた。

「結婚については問題ないと思っているのだが、不安なのは俺の家族のことだ。」

「え?」

 リラは意味がわからないといったように小首を傾げた。

「以前にも話した通り、俺は家族と決して良好な関係ではない。母と弟は俺以上に癖のある人間だ。そのことでリラを悩ませるかもしれない。そのことがリラに申し訳なくて。」

 リラは自分が想像したよりも他愛ない内容に拍子抜けしたのか、きょとんっとした表情を浮かべ、吹き出したように笑い出した。

「ふふふっ。ごめんなさい。そんなことを心配されているとは思わなくて。」

 クライヴはリラの反応に驚いた表情を浮かべた。

「大丈夫ですわ。私は、元々片田舎の伯爵家の娘ですわ。皇族に入ることが相応しくないことは重々承知です。鼻から好かれると思っておりません。」

 そうリラは最初から自身がクライヴの家族にすんなり受け入れられるとは思っていなかった。

 リラが一番よくわかっていたのだった。
 この婚約そして結婚が素直に受け入れられるものでないことを…。

 クライヴが直々に選んだとはいえ、リラはアベリア国に対して全く権力のない片田舎の伯爵家の娘である。

 そんな娘を何処の皇族も手放しで喜んで迎えるなど、到底考えられなかった。
 どちらかといえば願い下げという方がしっくりくる。

「けれど、私、クライヴ様と一緒に生きると決めましたの。だから、なんとか相応しくなれるように教養を身につけていこうとは思ってますわ。それをこれからはきちんと伝えていこうと思っておりますの。うふふ。」

 リラは肩をすくめて照れながらもニッコリ笑ってそう言うのだった。

 クライヴはやはり何か腑に落ちない表情を浮かべながらも、リラを強く抱き寄せた。

 クライヴの中では、不安が拭いきれないのだろう。

 リラはクライヴの過去を垣間聞いただけでも、想像を絶していた。
 きっとクライヴはリラが想像に及ばないほどの不便があったに違いなかった。

(これから妻になる私がこの人を支えていかなくては…。)

 リラはそう思いながら、優しくクライヴの腕に頬擦りした。

「さあ!そうと決まればやはり勉強ですわ!」

 リラは気合を入れ直した。
 兎にも角にもクライヴを支えるためにもクライヴの不安を払拭するためにも、自分には教養が必要である、リラはそう思い、目の前の席に置かれたアクイラ国の歴史が書かれた書籍を手に取った。

 そんな真面目なリラにクライヴは退屈そうな表情を一瞬浮かべたかと思うと、ニヤリと意地悪く笑った。

「そうそう、今日からの宿は一緒の部屋を手配するように頼んでおいたから。」

「え!え?え!?」

 リラはあまりの発言に驚き慌てて振り返り、持っていた書籍を落としそうになった。

「どういうことですか!?」

「もう夫婦になったも同然だと思ってね。夫婦は一緒の部屋だろう。」

「え?(いやいや、まだ夫婦どころか婚約もしていませんわ。)」

「嫌だった?」

 クライヴは眉尻をワザとらしく下げて寂しそうにそう言った。

「嫌ではありませんわ。(そんな表情をされては断れないじゃない!!)」

 リラはぶんぶんっと大きく首を横に振った。

「それなら良かった。」

(良かったのだろうか…。)

 異性と寝室を共にするなど、もちろん経験のないリラは顔を真っ紅にしながら目を回していた。

「あ。そうそう。せっかくなら、それ、俺が教えるよ。」

 クライヴは、疲弊したリラを後ろから抱き寄せたまま歴史書のページを捲った。

(このまま勉強など頭に入りませんわ…。)
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...