お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

文字の大きさ
上 下
49 / 289
第6章 執事の休息

独占欲とヤキモチ

しおりを挟む

 それから、暫くがたった7月上旬──

 梅雨があけ、夏の日差しが燦々と照り始めたころ、結月は矢野やのに勉強を見てもらったあと、一人机に向かっていた。

 沢山ある書類や冊子を見つめながら、うーんとうなる結月を横目に流しながら、レオは部屋中央の丸テーブルでお茶を淹れると、いつものように声をかける。

「お嬢様、お茶の用意が整いましたが」
「ありがとう」

 そう言って、窓際の机から立ち上がると、結月はレオが引いたイスに腰掛け、淹れたばかりのミルクティーを手に取る。

「先程から、なにを悩んでいらっしゃるのですか?」

 すると、一息ついた結月をみつめ、その斜め前からレオが問いかける。

 両親が来て、進路を自分で決めていいと言われてから、結月は、よくこうして机に向かっては一人考え事をすることがあった。

「うーん。それがねぇ、進路を決めたのはいいけど、どこの大学を受験するかまでは、まだ決ってなくて……」

 見れば、机の上には近隣の大学のパンフレットが十数冊並んでいた。

 あれから、就職か進学かで悩み、社会に出るにはまだ未熟だからと、大学へ進み学ぶことを選んだ結月。

 進路相談のプリントも、無事『進学』で提出したはいいが、この時期に受験先が決まってないのはよくないからと、夏休みが始まる前に受験する大学を決めておくよう、先生から言われたらしい。

「また、女子大ですか?」

「いいえ。せっかくだし、今度は共学にしようと思って。私、ずっと女子校だったから」

 小学校は共学だったらしいが、中学高校は親によって、女子校に行かされた。

 余計な虫がつかないようにだが、付き合う友人も親に制限され、ほとんど自由がなかった結月は『箱入り』と言うよりは『檻に囚われている』と言った方がいい。

 それでも、今までとは違い『自分で決めていい』と言ってくれたことが、嬉しかったのだろう。あの日から結月は、どこか無邪気な笑顔を見せるようになっていた。

(大学……か)

 机の上に広がったパンフレットを見て、レオは目を細める。

 少しはあの親も、心を入れかえたのだろうか?
 もし、そうなら──

「ねぇ、もし経済学を学ぶとしたら、どこがいいのかしら?」

「え?」

 すると、結月がミルクティーを飲みながらボソリと呟いて、レオは首を傾げる。

「経済学?」

「えぇ、自分で決めていいとは言われたけど、どの道、お父様の決めた相手と結婚しなきゃならないし、夫のサポートするなら、経済学くらいは学んでいたほうがいいのかなって」

「…………」

 阿須加家は従来、男が家を継ぐらしい。

 それ故に、いつかは婿むこをとり、その夫が今、経営しているホテルも継ぐことなる。結月はそれを見越した上で、先の進路を決めているのだろうが……

(夫のサポート……ね)

 結月のいう「夫」が自分ではないことに微かな苛立ちを感じ、レオは小さく眉根をよせた。

 記憶がないとはいえ、自分以外の男のために大学を選んでいるのかと思うと、さすがに穏やかではいられない。

 だが、まだ居もしない婚約者に嫉妬とは

(……俺、こんなに独占欲強かったっけ?)

 もっと余裕のある男でいられたらいいのに、結月のこととなると、冷静でいられなくなる。

 だが、今のレオはあくまでも執事。

 そんな小さな嫉妬心を隠しながらも、レオは結月の机に移動し、パンフレットをひと揃い手して戻ると、一冊一冊、丁寧に説明し始めた。

「とりあえず、お嬢様の偏差値がいかほどかにもよりますが、桜聖おうせい福祉大学と宇佐木うさぎ大学は隣町の大学ですから、ここから通うのは、さすがに遠すぎますね。いくらなんでも一人暮らしなんて、旦那様は許さないでしょうし」

「あ、確かにそうね。なら、やっぱり星ケ峯ほしがみねにある大学に限られるのかしら?」

「そうですね。この町の大学で女子大を除き経済学を学ぶなら……大体、この三校かと?」

「……へー」

 沢山あるパンフレットの中から、あっさり三校にまで的を絞った執事をみて、結月が感心する。

「五十嵐って、大学にも詳しいのね」
「……いえ、そういうわけでは」

 別に詳しいわけじゃない。
 結月のために、わざわざ調べたのだ。

 ここら一体の大学を──

「それより、共学に行って、本当に大丈夫ですか?」

「え?」

「いえ、お嬢様は、あまり男性と接する機会がなかったようですし、流されやすい上に、いつもぼーっとしてらっしゃるので、少し心配だなーと」

「ちょ、失礼ね。ぼーっとなんてしてないわ!」

 歯に衣を着せずズバリと言い放った執事に、結月は反論がする。だが、レオは「してますよ 」とにこやかにあしらうと、空になったティーカップに、二杯目のミルクティーを注いでくれた。

(私……そんなに、ボーッとしてるかしら?)

 確かに、男性と接する機会は少なかったかもしれない。だが、主人に向かって「ぼーとしてる」とは、なかなかに毒舌な執事だとも思う。

「あ、そういえば……五十嵐は、明日はお休みだったわね?」

 すると、ふと明日の予定を思い出し、結月がまたレオに問いかけた。

 執事とはいえ、休みがないわけではない。
 そして、明日は日曜日。

 学校がない日に限るが、レオもたまに休みをもらい、外出することがあった。

「はい。明日は屋敷を空けますが、大丈夫でしょうか?」

「えぇ、大丈夫よ。特に予定もないし、ゆっくりしてきてね」

「ありがとうございます。お嬢様の身の回りのことは、全て相原あいはらに頼んでありますので、お困りの際は相原にお尋ね下さい」

「えぇ、わかったわ」

 そう返すと、結月はまたティーカップに口をつける。
 ほんのり甘いミルクティーは、適度に温かく、口に含むと、どこか優しい味と香りがした。

 五十嵐が淹れてくれたお茶は、いつも美味しい。

 本場イギリスで執事の仕事を学んできただけあり、お茶の淹れ方だけでなく、ポットを傾けるその手つきですら、とても優雅で、その洗練された姿は、見ていて惚れ惚れする程だった。

 だが、明日は休み。

 ならば、こうして五十嵐が淹れてくれたお茶を、明日は飲めないかと思うと、すこし残念な気もした。

(そう言えば、五十嵐って、休みの日は何をしてるのかしら?)

 ミルクティーを飲みながら、そっと五十嵐を盗み見る。
 たまに休みを取ると、五十嵐は一日屋敷を空けることがあった。夕方には帰ってくるが、最近はいつも側にいるからか、いないとすこし落ち着かない。

(ご両親はフランスにいるって言ってたし、やっぱり、に会いに行ってるのかしら?)

 遠距離らしいが、五十嵐には結婚を前提にお付き合いしている「彼女」がいるらしい。

 なら、休みの日くらい、その彼女と、二人きりで会っているかもしれない。

(五十嵐みたいな人とお付き合いしたら、きっと幸せなんだろうなぁ……)

 漠然と、そんなことを考えて、結月は頬を赤らめる。
 イタズラ好きなのか、たまにからかわれたりもするが、それでも五十嵐は、いつも優しかった。

 語りかける時も、髪を梳く時も、手を引いてエスコートしてくれる時も、まるで、壊れ物を扱うように優しく接してくれる。

 彼女でもない自分に、これだけ優しいのだ。
 なら、彼女に触れる時は、もっと──


「お嬢様」
「……え?」

 不意に呼びかけられ視線をあげると、頬に手を添えられ、そっと顔をもちあげられた。

 するとそれは、ほんの一瞬の出来事で、レオの整った顔が眼前まで迫ると、二人の唇が、ゆっくりと触れ合──

「ほら、ボーッとしてるじゃないですか」
「ッ!?」

 だが、そう思われた瞬間、唇まで、あと数センチほどの距離を残して、レオがクスリと笑った。

 少し身動けば、今にも触れてしまいそうな……そんな近い距離で目が合えば、結月は、執事のありえない行動に困惑する。

「な、な、なにして……!?」

「あと、3cm程でしたね。共学に行きたいなら、もう少しご自分の身を守れるようになってからにしてください。そんなことでは、あっという間に奪われてしまうかもしれませんよ」

「……っ」

 ──流されやすい上に、ぼーっとしてる。

 先程の苦言を思い出して、結月はより顔を真っ赤し、俯いた。だが、それと同時に

(び、びっくりした。本当に、キスされるのかと……っ)

 触れかけた唇が熱い。
 心臓の音もうるさい。

 そしてそれは、距離が遠のき、頬に触れた手が離れても、おさまることはなく──

「顔、真っ赤ですよ。何もしてないのに」

「な、何もしてないって……っ」

「あはは」

 だが、そう言って笑う執事の顔は、とても楽しそうで

(なんだか、五十嵐がきてから、ドキドキさせられてばっかりだわ……)

 執事相手に、こんなにドキドキしてはいけないはずなのに──

 そんなことを考えつつも、今日もお嬢様は、意地悪な執事に翻弄させられてばかりなのだった。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...