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第6章 執事の休息
独占欲とヤキモチ
しおりを挟むそれから、暫くがたった7月上旬──
梅雨があけ、夏の日差しが燦々と照り始めたころ、結月は矢野に勉強を見てもらったあと、一人机に向かっていた。
沢山ある書類や冊子を見つめながら、うーんと唸る結月を横目に流しながら、レオは部屋中央の丸テーブルでお茶を淹れると、いつものように声をかける。
「お嬢様、お茶の用意が整いましたが」
「ありがとう」
そう言って、窓際の机から立ち上がると、結月はレオが引いたイスに腰掛け、淹れたばかりのミルクティーを手に取る。
「先程から、なにを悩んでいらっしゃるのですか?」
すると、一息ついた結月をみつめ、その斜め前からレオが問いかける。
両親が来て、進路を自分で決めていいと言われてから、結月は、よくこうして机に向かっては一人考え事をすることがあった。
「うーん。それがねぇ、進路を決めたのはいいけど、どこの大学を受験するかまでは、まだ決ってなくて……」
見れば、机の上には近隣の大学のパンフレットが十数冊並んでいた。
あれから、就職か進学かで悩み、社会に出るにはまだ未熟だからと、大学へ進み学ぶことを選んだ結月。
進路相談のプリントも、無事『進学』で提出したはいいが、この時期に受験先が決まってないのはよくないからと、夏休みが始まる前に受験する大学を決めておくよう、先生から言われたらしい。
「また、女子大ですか?」
「いいえ。せっかくだし、今度は共学にしようと思って。私、ずっと女子校だったから」
小学校は共学だったらしいが、中学高校は親によって、女子校に行かされた。
余計な虫がつかないようにだが、付き合う友人も親に制限され、ほとんど自由がなかった結月は『箱入り』と言うよりは『檻に囚われている』と言った方がいい。
それでも、今までとは違い『自分で決めていい』と言ってくれたことが、嬉しかったのだろう。あの日から結月は、どこか無邪気な笑顔を見せるようになっていた。
(大学……か)
机の上に広がったパンフレットを見て、レオは目を細める。
少しはあの親も、心を入れかえたのだろうか?
もし、そうなら──
「ねぇ、もし経済学を学ぶとしたら、どこがいいのかしら?」
「え?」
すると、結月がミルクティーを飲みながらボソリと呟いて、レオは首を傾げる。
「経済学?」
「えぇ、自分で決めていいとは言われたけど、どの道、お父様の決めた相手と結婚しなきゃならないし、夫のサポートするなら、経済学くらいは学んでいたほうがいいのかなって」
「…………」
阿須加家は従来、男が家を継ぐらしい。
それ故に、いつかは婿をとり、その夫が今、経営しているホテルも継ぐことなる。結月はそれを見越した上で、先の進路を決めているのだろうが……
(夫のサポート……ね)
結月のいう「夫」が自分ではないことに微かな苛立ちを感じ、レオは小さく眉根をよせた。
記憶がないとはいえ、自分以外の男のために大学を選んでいるのかと思うと、さすがに穏やかではいられない。
だが、まだ居もしない婚約者に嫉妬とは
(……俺、こんなに独占欲強かったっけ?)
もっと余裕のある男でいられたらいいのに、結月のこととなると、冷静でいられなくなる。
だが、今のレオはあくまでも執事。
そんな小さな嫉妬心を隠しながらも、レオは結月の机に移動し、パンフレットをひと揃い手して戻ると、一冊一冊、丁寧に説明し始めた。
「とりあえず、お嬢様の偏差値がいかほどかにもよりますが、桜聖福祉大学と宇佐木大学は隣町の大学ですから、ここから通うのは、さすがに遠すぎますね。いくらなんでも一人暮らしなんて、旦那様は許さないでしょうし」
「あ、確かにそうね。なら、やっぱり星ケ峯にある大学に限られるのかしら?」
「そうですね。この町の大学で女子大を除き経済学を学ぶなら……大体、この三校かと?」
「……へー」
沢山あるパンフレットの中から、あっさり三校にまで的を絞った執事をみて、結月が感心する。
「五十嵐って、大学にも詳しいのね」
「……いえ、そういうわけでは」
別に詳しいわけじゃない。
結月のために、わざわざ調べたのだ。
ここら一体の大学を──
「それより、共学に行って、本当に大丈夫ですか?」
「え?」
「いえ、お嬢様は、あまり男性と接する機会がなかったようですし、流されやすい上に、いつもぼーっとしてらっしゃるので、少し心配だなーと」
「ちょ、失礼ね。ぼーっとなんてしてないわ!」
歯に衣を着せずズバリと言い放った執事に、結月は反論がする。だが、レオは「してますよ 」とにこやかにあしらうと、空になったティーカップに、二杯目のミルクティーを注いでくれた。
(私……そんなに、ボーッとしてるかしら?)
確かに、男性と接する機会は少なかったかもしれない。だが、主人に向かって「ぼーとしてる」とは、なかなかに毒舌な執事だとも思う。
「あ、そういえば……五十嵐は、明日はお休みだったわね?」
すると、ふと明日の予定を思い出し、結月がまたレオに問いかけた。
執事とはいえ、休みがないわけではない。
そして、明日は日曜日。
学校がない日に限るが、レオもたまに休みをもらい、外出することがあった。
「はい。明日は屋敷を空けますが、大丈夫でしょうか?」
「えぇ、大丈夫よ。特に予定もないし、ゆっくりしてきてね」
「ありがとうございます。お嬢様の身の回りのことは、全て相原に頼んでありますので、お困りの際は相原にお尋ね下さい」
「えぇ、わかったわ」
そう返すと、結月はまたティーカップに口をつける。
ほんのり甘いミルクティーは、適度に温かく、口に含むと、どこか優しい味と香りがした。
五十嵐が淹れてくれたお茶は、いつも美味しい。
本場イギリスで執事の仕事を学んできただけあり、お茶の淹れ方だけでなく、ポットを傾けるその手つきですら、とても優雅で、その洗練された姿は、見ていて惚れ惚れする程だった。
だが、明日は休み。
ならば、こうして五十嵐が淹れてくれたお茶を、明日は飲めないかと思うと、すこし残念な気もした。
(そう言えば、五十嵐って、休みの日は何をしてるのかしら?)
ミルクティーを飲みながら、そっと五十嵐を盗み見る。
たまに休みを取ると、五十嵐は一日屋敷を空けることがあった。夕方には帰ってくるが、最近はいつも側にいるからか、いないとすこし落ち着かない。
(ご両親はフランスにいるって言ってたし、やっぱり、彼女に会いに行ってるのかしら?)
遠距離らしいが、五十嵐には結婚を前提にお付き合いしている「彼女」がいるらしい。
なら、休みの日くらい、その彼女と、二人きりで会っているかもしれない。
(五十嵐みたいな人とお付き合いしたら、きっと幸せなんだろうなぁ……)
漠然と、そんなことを考えて、結月は頬を赤らめる。
イタズラ好きなのか、たまにからかわれたりもするが、それでも五十嵐は、いつも優しかった。
語りかける時も、髪を梳く時も、手を引いてエスコートしてくれる時も、まるで、壊れ物を扱うように優しく接してくれる。
彼女でもない自分に、これだけ優しいのだ。
なら、彼女に触れる時は、もっと──
「お嬢様」
「……え?」
不意に呼びかけられ視線をあげると、頬に手を添えられ、そっと顔をもちあげられた。
するとそれは、ほんの一瞬の出来事で、レオの整った顔が眼前まで迫ると、二人の唇が、ゆっくりと触れ合──
「ほら、ボーッとしてるじゃないですか」
「ッ!?」
だが、そう思われた瞬間、唇まで、あと数センチほどの距離を残して、レオがクスリと笑った。
少し身動けば、今にも触れてしまいそうな……そんな近い距離で目が合えば、結月は、執事のありえない行動に困惑する。
「な、な、なにして……!?」
「あと、3cm程でしたね。共学に行きたいなら、もう少しご自分の身を守れるようになってからにしてください。そんなことでは、あっという間に奪われてしまうかもしれませんよ」
「……っ」
──流されやすい上に、ぼーっとしてる。
先程の苦言を思い出して、結月はより顔を真っ赤し、俯いた。だが、それと同時に
(び、びっくりした。本当に、キスされるのかと……っ)
触れかけた唇が熱い。
心臓の音もうるさい。
そしてそれは、距離が遠のき、頬に触れた手が離れても、おさまることはなく──
「顔、真っ赤ですよ。何もしてないのに」
「な、何もしてないって……っ」
「あはは」
だが、そう言って笑う執事の顔は、とても楽しそうで
(なんだか、五十嵐がきてから、ドキドキさせられてばっかりだわ……)
執事相手に、こんなにドキドキしてはいけないはずなのに──
そんなことを考えつつも、今日もお嬢様は、意地悪な執事に翻弄させられてばかりなのだった。
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