お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

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第5章 二人だけの秘密

父親

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「斎藤はな、ずっと辞めたがっていたんだよ」

「え?」

「そうよ、去年の暮あたりに、いきなり『辞めたい』とか言い出して。でも羽田のこともあったし、どうせ後一年で定年なんだから、結月が高校卒業するまで働いてっていったのよ。でも『頼むから、早く辞めさせてくれ』ですって。長年雇ってやった恩も忘れて困ったものだったわ」

「…………」

 まるで、想像もしていなかった話に、結月は愕然がくぜんとする。

 斎藤が辞めたがっていたなんて、知らなかった。

 いつも、にこやかに笑って送り迎えをしてくれて、執事不在の数ヶ月間、屋敷に寝泊まりしてまで、自分のために尽くしてくれていた。

 それなのに……

「あの、どうして……辞めたいなんて……っ」

 結月が震える声で、そう言うと

「さぁ? 結月の世話するのが、苦痛だったんじゃない?」

「……っ」

 その美結の返答に、結月は唇をきゅっと噛み締めた。

 きっと結月は今、自分を責めているのかもしれない。その悲しそうな表情をみて、レオは申し訳なさでいっぱいになる。

 できるなら、そんな話、結月の耳には入れたくなかった。

「それより、今夜の予定が急にキャンセルになってしまってね。久しぶりに、結月と一緒に夕食をとろうと思うんだが……」

「え?」

 だが、その後、突然飛び出してきた言葉に、結月とレオは瞠目する。

 一緒に、食事??

「急な変更で申し訳ないが、大丈夫かな? 五十嵐くん」

「……はい。ディナーのメニューさえ任せて頂けましたら、こちらは問題なく」

「そうか、あと進路のことだが、それは、

「え……?」

 立て続けに告げられる、ありえない回答に結月は困惑する。

 きっと、また親の決めた進路をすすまさせられると思っていた。それがまさか「自分で決めていい」と言われるなんて……

「あの、でも、今までは……っ」

 信じ難い言葉に、結月は恐る恐る父をみつめた。
 だが、洋介は

「どうした。なにか不満でもあるのか?」

「ぁ、いえ……っ」

 いつもと違う父の態度に戸惑いながらも、結月は、その後、素直に「ありがとうございます」と口にした。


 ✣✣✣


 そして、それから暫く話をしたあと、少し早めの夕食を摂ると、夜になり、結月は両親は見送った。

 時刻は7時過ぎ──屋敷の玄関ホールで、結月を始めとした使用人たちが頭を下げると、洋介と美結は、雨の中、屋敷をでていった。

 バタンと扉が閉まると、まるで緊張の糸が切れたように、屋敷の中はいつもの安堵感に包まれる。

「ぶ、無事に、お帰りになりましたね……!」

 恵美が結月に声をかけると、結月もホッと胸を撫でおろした。

「みんな、今日はありがとう」

「いいえ! それよりよかったですね! 旦那様たちと一緒にお食事が出来て」

「えぇ……そうね。愛理さんの料理、とても美味しいと二人とも褒めていたわ」

「ありがとうございます。しかし、急に予定が変わって驚きました。念の為、仕込んでおいて正解でした」

「えぇ、それと、矢野もありがとう。急に残業することになってゴメンね?」

「いいえ、お気になさらずに……家族水入らずで久しぶりに食事を摂れたのです。よかったではありませんか」

「えぇ……」

 結月が、みんなをみつめ柔らかく微笑むと、恵美、愛理、矢野の三人は、後片付けをするため、また自分たちの持ち場に戻っていった。

「ねぇ、五十嵐」

 すると、二人だけになったロビーで、結月がレオに尋ねる。

「あれ、どういうことだと思う? 本当に、自分で決めていいのかしら?」

「…………」

 全く想像もしていなかった話に、心が追いつかずにいた。そして、それはレオだって同じだった。

 だが、今日の洋介の言動は、まさに「父親」のそれで……

「そのように申されておりましたから、決めて良いのかと」

「そうよね。──嬉しい。お父様たち、少しは私のこと、娘として認めてくださったのかしら……っ」

「…………」

 じわりと目尻に涙を浮かべた結月をみて、レオは口篭る。

 本当に、嬉しいのだろう。

 今まで見向きもしなかった両親が、屋敷に訪れ一緒に食事をとり、更には、進路のことも自分で決めていいと言ってくれたのだから。

「お嬢様は、その……行きたい大学とかあるのですか?」

 複雑な心境ながらも、レオが問いかける。
 すると、結月は

「うーん、まだ何も考えてないけど、せっかくお父様があのように言って下さったんだもの! 自分の将来のこと、ちゃんと考えてみるわ」

 満面の笑みで、そう言う結月。
 レオはそれを見て、心にもない笑顔を浮かべると

「……そうですか。よかったですね」

 と、苦々しく言葉を放った。





 ✣

 ✣

 ✣



「それで、どうだったの?」

 その後、帰りの車の中では、洋介と美結が、話し込んでいた。

 散々、屋敷での愚痴をこぼした後、美結が尋ねれば、洋介は淡々と話し始める。

「あぁ、しばらく見ない間に、いい女に育ったもんだ。品もあるし、スタイルもいい。食事のマナーや礼儀作法も申し分ないし、あれならどこに出しても問題ないだろう」

 久しぶりに屋敷に来て、その成長を確認した娘は、とても聡明に育っていた。

 愛らしい顔立ちに、白くきめ細やかな肌に、女性らしい柔らかな体つき。

 少し茶色がかった黒髪は、とても艶やかで、食事をする際のマナーも誰が仕込んだかは知らないが、とても優雅で美しいものだった。

「進路、勝手に決めていいだなんて、よく言うわ」

「いいじゃないか。たまには親らしいことしておかないと、前みたいに、反抗でもされたらたまらないからな」

「それで、どうするの? 、進めるの?」

 美結が、再度問いかける。すると洋介は、口角をあげ

「あぁ、あれだけいい女に育ったんだ。きっとも、我々の条件を飲んでくれることだろう」


 雨が降る中──車の中では、怪しい会話が繰り広げられていた。

 だが、そんな両親の会話を、結月とレオが知ることはなく、朝から降る強い雨は、そのあとも、ただひたすら降り続いていた。
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