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第5章 二人だけの秘密
デート
しおりを挟む「お嬢様、大丈夫ですか?」
その後──ポロポロと静かに涙を流す結月に、レオがハンカチを差し出しながら語りかけた。
「ごめんなさい。こんな所で泣くなんて、はしたないわね……っ」
すると結月は、素直にハンカチを受け取り、恥ずかしさから、目元を隠しながら声を震わせる。
公園の中に、あまり人はいなかった。
だが、人前で泣くのは恥ずべきことだと、結月は両親から厳しく躾られていた。
女性らしく、常に品位の高い女性を目指すなら、涙なんて見せるべきではないと。
それなのに、制服姿のまま、しかも、こんな公園の中で泣いてしまうなんて──
「泣くほど、嬉しかったのですか?」
「えっ?」
不意に問われた質問に、結月は目を丸くした。
涙目のまま執事を見上げれば、彼もまた自分をみつめていて、そのどこか優しい表情に、結月の顔は瞬時に赤くなる。
「ち、違いますっ! 嬉しかったとか、そんなんじゃ……っ」
咄嗟に顔をそらし、結月は、否定の言葉を口にする。
だが、その言葉も徐々に語尾が弱まり始め、次第に、素直な言葉をつむぎ始めた。
「いぇ、あの……違わ、ないわ。……嬉しかった、です……っ」
頬を染め、恥ずかしそうに呟く結月。
そして、それを見て、今度はレオがクスリと微笑む。
まさか、そんな言葉が返ってくるなんて、思ってもいなかったから──
(……可愛いな)
不覚にも緩んだ口元を押さえると、レオは咄嗟に結月から顔を背けた。
顔を真っ赤にして、涙目で見つめる結月の姿が、あまりにも可愛いくて、今まで冷静だったはずの身体は、一気に熱をあげ、鼓動はドクドクと早まりはじめる。
無理もない。自分の好きな女が、涙目で「嬉しかった」などと言っているのだ。
可愛くないわけがない!
(このまま抱きしめたら、どうなるんだろう……っ)
不意にそんなことが過ぎって、自分の理性が限界寸前なのが伺えた。だが、今の自分はあくまでも執事で、どうしたって超えてはならない一線がある。
手に触れる。
髪に触れる。
涙を拭う。
までは、ギリギリOKだとしても、抱きしめるのは、完全にアウトだ!
(……なにこれ、なんの修行?)
好きな女が目の前にいて、こんな顔をしているのに、一切、手を出せないなんて、執事とは思っていた以上にハードな役回りだとおもった。
だが、今やっと、結月が心を開きかけているのだ。そんな中、抱きしめでもしたら、信用を得るどころか、警戒心と不信感がMAXになってしまう。
(落ち着け。今の結月に、俺の記憶はないんだから……)
レオは一度深呼吸をし、波打つ感情を必死になって抑え込む。だが……
「あの、ありがとう。そんなこと言ってくれたの、五十嵐が初めてよ」
「…………っ」
だが、その無けなしの理性に一気に追い打ちをかけるように、結月がふわりと笑った。それをみてレオは
「あの、お嬢様。一度、抱きしめても宜しいでしょうか?」
「え?」
✣
✣
✣
「ふふ、驚いたわ。いきなり抱きしめてもいいだなんて!」
その後、泣き止んだ結月と公園の中を探索しながら、二人は何気ない話に花を咲かせていた。
「五十嵐も、冗談をいうのね!」
(冗談じゃないんだけど……)
思わず出た本音を、あっさり冗談扱いされ、レオは苦笑いを浮かべていた。
だが、さっきとは一変、清々しい表情でレオの前を歩く結月をみれば、そんなモヤモヤした気持ちも、明後日《あさって》へと消え去る。
二人歩幅に合わせながら、池の周りの遊歩道をゆっくり歩いていくと、道中、何組かのカップルや老夫婦とすれ違った。
腕を組みながら、すれ違うカップルを横目に流しながら、自分たちは今、周りからどんな風に見られているのだろうか?
そんなことが、ふと過ぎった。
文字通り、お嬢様と、その付き人なのか? はたまた、少しくらいは、恋人同士に見えているのか?
「ねぇ、五十嵐」
「?」
すると、結月が突然立ちどまり、池の中をのぞき込んだ。真面目な顔をして池を見つめる結月に、レオは何事かと首を傾げる。
「どうしました?」
「あの、この池に人面魚はいるのかしら?」
「………………」
んん!? どうした、いきなり!?
ていうか、どこから出てきた、その人面魚!?
「じ、人面魚……ですか?」
「そうよ。お魚の顔がね、人の顔をしてるんですって」
「それは知ってます」
「いるかしら?」
「いません。そんな話、この池では聞いたことがありません」
デート気分も、いきなり現れた人面魚に一気に吹っ飛ばされた。
だが、なぜそんなことを言い出したのか、その真意が知りたいばかりに、レオは再度問いかけた。
「見たいんですか? 人面魚?」
「うーん……私ね、ほとんど屋敷の中で過ごしてたから、本を読むことが多くて、中でも図鑑が好きだったの。図鑑を見ているとね、屋敷の中にいても、まるで広い外の世界を見ている気分になれたから……」
池の中を見つめ呟いた結月の声は、どこか寂しそうだった。
きっと結月は、自分が知らない外の世界のことを、本を読むことで知ろうとしていたのだろう。
まるで、塔の中に閉じ込められた、お姫様のように──
「花の図鑑とか動物の図鑑とか、いろいろ読んだわ。いつか本物を見れたらいいなとか、思いながら……だけど、図鑑もある程度読んでしまって、たまにマニアックな本に手を出すことがあったの。妖怪図鑑とか! そしたら、思いのほか妖怪に詳しくなってしまって、一反木綿の出身地が鹿児島ってことまで、覚えてしまったわ!」
(なるほど、だから人面魚か……ていうか、妖怪に出身地とかあったのか)
──知らなかった。
だが、正直、妖怪の知識はあまり必要ないと思う。
「あら、あれは何かしら?」
「……!」
すると、今度は、遊歩道の脇道に停るトラックを見て、結月が再び声を上げた。
見れば、そのトラックの前には、パンの種類が書かれたメニュー表が出ていて、中にあるショーケースには、焼きたてのパンが綺麗に陳列されていた。
「あー、あれは、移動販売のパン屋ですよ」
「え、パン屋さんが移動してるの!?」
初めてみたのか、興味津々に問いかけてきた結月をみて、レオは小さく笑みを浮かべた。
(相変わらずだな、こういう世間知らずなところは……)
あの頃もそうだった。屋敷の中からあまりでられなかった結月は、外の世界のことを、あまりよく知らなくて、特段面白くもない、レオの話を楽しそうに聞いていた。
それに、こうして寄り道をしたことすらない結月だ。きっと、移動販売のパン屋を目にする機会も、あまりなかったのだろう。
「食べますか?」
「え、食べる? ここで?」
「はい」
「で、でも……寄り道だけじゃなく、買い食いまでするなんて、そんなはしたないこと……っ」
「たかだかパンを食べるだけで、世界が崩壊するような顔しないでください」
酷く顔を蒼白させる結月を見て、レオがツッコむ。
親の命令は絶対!
それが、いかに結月の体に染み付いているのか、改めて、あの親が憎らしくなった。
「いいじゃないですか、これも社会勉強ですよ」
「ぁ、ちょっ……!」
渋る結月の手を取り、強引にパン屋の前に連れ出すと、中の店主に「いらっしゃい」と声をかけられた。
ショーケースの中には、クロワッサンやあんぱん、ミルクパンにフランスパンなど、たくさんの種類のパンが並んでいて、それはとても香ばしく、美味しそうな香りがした。
「どれがいいですか?」
「ど、どれと言われても……っ」
産まれてこの方、外で売ってるパンなんて食べたことがない。だが、レオに言われ、結月はショーケースの中を覗きこみ、真剣に考えはじめた。
だが、それから暫くして、結月はパン屋の店主に向かって
「あの、外で販売なんてして、衛生的には大丈夫なんですか?」
「え?」
「あの、すみません。この子『超』が着くほど世間知らずなんです。決して悪気はないんです。代わりに謝りますので、どうか許してください!」
真面目な顔をして何を言うかとおもえば、あろうことか、いきなり店主の前で失礼なことを言い出した結月に、レオが慌てて謝罪する。
気になったのかもしれないが、正直、店主に直接聞くのは、やめて欲しい!
だが、そうしてレオが申し訳なさそうな顔をしていると、パン屋の店主は、特段気にする素振りもなく、にこやかに話かけてきた。
「あはは。お嬢ちゃん、もしかして、純心女子(高校)の子かい?」
「はい。そうです」
「珍しいな~、あんなお嬢様学校の子が、うちにパン買いにくるなんて。もしかして、出店や屋台で『たこ焼き』とか『焼きそば』とかも、くったことないのかい?」
「タコヤキ?」
キョトンと首を傾げる結月に、店主は再び笑い出す。
「あはは! たこ焼きを、知らないとはな~。なら、メロンパンは知ってるかい? うちのは外はサクサクしてて、なかはふわふわで、ついでにクリームもぎっしり詰まってるから、食べごたえあるぞ!」
「メロンパン……」
店主に勧められ、そのショーケースの中を見ると、手の平大の大きなメロンパンが、一際目に付く場所に鎮座していた。
もっちりとした生地に、さっくりとしたクッキー生地が重なり、中にはメロン果汁を使用した、メロンクリームが入っているらしい。
「美味しそう……」
「そうですね。ここのパン屋、安くて美味いで有名なんですよ?」
「そうなの? でも、けっこう大きいわ」
「じゃぁ、俺と半分こしますか?」
「半分こ?」
「はい。すみません。じゃぁ、メロンパンを一つ」
「あいよー。100円ねー」
そう言うと、レオは会計をするため、ポケットから財布を取り出した。だが、それを見た結月は
「ちょっと五十嵐、なにしてるの!?」
「何って、お金を……」
「あなたが払う必要はないわ! 私が払います!」
「いいですよ。デートなんですから、甘えてください」
「いいえ、ダメです!」
そう言うと、結月は頑なに拒否をし、自分も財布を取り出しはじめた。
だが、そんな結月を見て、レオは眉を顰めた。
たかだか100円のメロンパンに何を言っているのか?
(素直に甘えればいいのに……)
これも自分の立場が、執事だからなのか?どこか越えられない壁を感じて、レオは不服そうな顔をする。
だが──
「あの、カードでもいいかしら?」
「お嬢様、カードはやめましょう」
100円のメロンパンを、まさかのカード払い!?
レオは「まずは、この世間知らずなところを、何とかしなくては」と、改めて悟ったのだった。
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