お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

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第5章 二人だけの秘密

どこか遠くへ

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「……え?」

 次の日の朝、別邸の戸狩とがりから電話を受けたレオは、戸惑うような声を発した。

「屋敷に、直接いらっしゃるのですか?」

 なんでも、結月の両親が、直接こちらに訪ねてくるらしい。

 あの二人が、この屋敷に来るのは、かなりまれなことだ。現にレオが執事になってからの約二ヶ月、一度たりとも訪れてはいない。

『はい、土曜の午後二時頃、そちらに伺うとのことです』

「……かしこまりました。では、そのように他の使用人たちにも伝えておきます」

 ガチャリと受話器を戻すと、レオは電話の前で考え込む。

 珍しいこともあるものだ。普段は放ったらかしのあの両親が、わざわざ結月に会いに来るなんて……

 今回の進路の件も、もしかしたら、会うことすらなく、電話で受させる大学を伝えてくるかもしれないとすら思っていたのだが

「さすがに、考えすぎか……」

 少し腑に落ちないながらも、レオは胸の内ポケットから手帳を取り出すと、その予定を書き込み始めた。

 親が娘に会いに来る。本来ならそれは、当たり前のことなのだから──




 ✣✣✣


 ──コンコンコン

 その後レオは、二階の結月の部屋に向かうと、重い両開きの扉を数回ノックした。

 今の時刻は、朝の6時過ぎ。

 昨日から結月の身の回りの世話を全て引き受けたレオは、約束通り結月を起こしに来た。

「どうぞ」

 しかし、結月はもう起きているらしい。中からは、いつもと変わらない柔らかな声が返ってきた。

(やっぱり、起きてたか……)

 昨日、あれだけ恥ずかしがっていたくらいだ。
 そんな気はしていた。

 正直、あの愛らしい寝顔を見れないのは少し残念な気もしたが、レオにとって、これは想定内のこと。

「失礼致します」

 その後、一礼し中に入ると、結月は既に制服に着替えた後だった。

 夏仕様の桜色のセーラ服に、薄手のカーディガンを羽織った結月は、とても愛らしく爽やかだ。

「おはようございます、お嬢様。今日は、やけにお早いお目覚めですね」

「え? そ、そうね。……目が覚めてしまって」

 頬を染め恥じらう姿を見れば、目が覚めたのではなく、執事に寝姿を見られるのを恥じて、自ら起きたと言うのが正しいだろう。

 両親の重圧からか、貞操観念はそこそこ高い結月。そういう所は、それなりにしっかりしているようだった。

「では、御髪を整えましょう。こちらへどうぞ」
「えぇ、お願い」

 レオがドレッサー前に誘導すると、結月は昨晩とは打って変わって、素直にイスに腰掛けてくれた。

 どうやら、髪に触れることは、受け入れてくれるたらしい。レオは、普段付けている白い手袋を外すと、くしをとり、昨晩同様、丁寧に髪をときはじめた。

「五十嵐って、相変わらず器用ね。髪の結い方とか、どこで学んだの?」

「これは独学ですよ。フランスにいた頃、友人に髪の長い男がいたので練習台になってもらいました」

「へー……」

 鏡の中で、結月が感心する。

 するとふと、執事になるために、ガムシャラに勉強していた時のことを思い出した。

 ほんの数年で、レオは執事として一通りのスキルは身につけてきた。それも、結月の執事として、必要になりそうなことばかり。

「あ、そう言えば」
「?」

 すると、先の電話のことを思い出し、レオが再び結月に話しかけた。

「先日、お話されていた進路相談の件ですが、今週の土曜日、旦那様と奥様が、こちらにいらっしゃるそうです」

「え?」

 少しだけ声を重くすると、その言葉に、結月が表情を強ばらせた。

「屋敷に……来るの? お父様とお母様が?」

「はい」

「…………そ、そう」

 鏡の中には、酷く戸惑った表情で俯く結月の姿。

 無理もない。何を告げられるか分からないうえに、滅多に訪れない両親が、わざわざ屋敷にくると言うのだから……

「大丈夫ですか?」

「え、あ……大丈夫。来てくれるなんて思ってなかったから、ちょっとびっくりしちゃって……あの、お食事はどうされるのかしら?」

 くるりと振り返り、結月がレオを見上げる。どこか期待が入り交じる表情。だが、それを見て、レオはさらに胸を痛める。

「……お食事は、お召し上がりにならないそうです。二時頃いらっしゃった後、すぐに別邸に戻るそうで」

「……そう」

 レオが、申し訳なさそうにそう言うと、結月は一言だけ返し、また鏡に向き直った。

 その寂しそうな姿に、心の奥底からは、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。

 昔から、何も変わらない。

 アイツらは、今でも結月のことを、ただのとしか思っていない。

 だけど、あんな親でも、結月にとっては、唯一無二の親で、そんな両親に気にいられようと、結月は今でも、あの親の言いつけを必死に守り続けてる。

(お前には、俺がいるのに……)

 髪を梳く手を止めると、レオは唇をぐっと噛み締めた。

 もう、あの頃とは違う。

 背も伸びた。力もついた。生きるために必要な知恵やお金は蓄えて来た。

 もう、あの頃みたいに、親の元でしか生きられない「子供」じゃない。

 それなのに──

「五十嵐? どうしたの?」
「……!」

 手を止めたまま動かないレオを不思議におもったのか、結月が鏡越しに問いかけてきた。

「手が、止まってるみたいだけど?」
「ぁ……いえ」

 その声に我に返り、レオはまた手を動かしはじめると、サイドで編み込み、丁寧に髪をまとめ上げた。

「終わりましたよ」

「ありがとう。あとは自分で出来るから、もう下がっていいわよ」

「かしこまりました。では、また朝食の準備が出来しだい部屋に参ります」

「えぇ」

 いつも通り柔らかく一礼すると、その後レオは部屋から出ていった。

 だが、パタン──と扉を閉めると、その前で小さく息をつき、レオは再び重い扉を見つめた。

 先程の悲しげな表情には、酷く胸を締め付けられた。

 どうして、あいつらは、結月を悲しませることしか出来ないのだろう。

 せっかく会いに来るのなら、一緒に食事くらいとってもいいだろうに、あの親は、昔から結月と食事をとろうとはせず、それどころか、結月を苦しめていることにすら、全く気づかない。

(あんな顔、させるくらいなら……)

 あれから結月が、あの頃の記憶を思い出す気配は、一切なかった。

 だけど、あの親に期待して、何度と裏切られるくらいなら、もう、いっその事、奪ってしまいたい。

 あの親の手の届かない──どこか遠くへ。


 微かに芽生えた感情は、酷くよこしまなものだった。

 それは、何度思ったかしれない感情。

 このまま結月を、この愛しい人を、奪い去ってしまいたいと──

 だけど、もしも今、自分が結月を連れ去って、何もかも打ち明けたら、結月はどうするのだろう。

 たとえ記憶が戻らなくても、たとえ、お嬢様と執事としての関係だとしても

 また俺を


 ────愛してくれるだろうか?
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