お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

文字の大きさ
上 下
29 / 289
第4章 執事の策略

しおりを挟む

 6月下旬──

 シトシトと雨が降り続く平日の午後。レオは阿須加の屋敷から数キロ離れた、とある豪邸の前に立っていた。

 今、結月が住まう西洋風の古びた屋敷とは違い、比較的、近代的な外観をしたその建物は、結月の両親「阿須加あすか  洋介ようすけ」と「阿須加あすか  美結みゆ」が暮らす別邸だった。

 なんでも、洋介が経営しているホテルからは、この別邸の方が近いらしく、結月が産まれてしばらくは、あの屋敷に一緒に住んでいたそうだが、こちらの別邸が建った後は、結月だけあちらに置き去りにして、夫婦だけでこちらに移り住んできたと聞いている。


 ✣✣✣


 ──ピンポーン。

 玄関の前に立ち、インターフォンを鳴らせば、中からメイドが一人顔を出した。

 軽く挨拶を交わしたのち、レオは中に入ると、廊下を進んだ先にある大広間の前へと通された。

「奥様、執事の五十嵐が参りました」

 ドアを鳴らした後、メイドが尋ねると、中から社長夫人でもある結月の母親・美結みゆが「どうぞ」と声をかけてきた。

 そして、中に入れば、そこには豪華絢爛なリビングが広がっていた。

 白い大理石の床には、触り心地の良さそうな絨毯が敷かれていて、壁には有名画家の絵画が飾られていた。そして、テーブル前のあるベルベット調のソファーに座って足を組む美結は、レオを見るなり高らかに声をあげた。

「いらっしゃい、五十嵐。執事の仕事は、もう慣れた?」

 美結は、現在49歳。それなりの年にも関わらず、赤いネイルに派手な服装、そして、その口調や外見を見れば、あまり落ち着きがあるご婦人には見えなかった。

 結月の父、阿須加 洋介と、その妻である美結の出会いは、異業種交流会として行われたパーティーでのことだったらしい。

 美結は元々は一般企業に勤めていた社会人で、ホテル経営の社長を見事につかまえ、玉の輿にのってからは、専業主婦で悠々自適な生活を送っていた。

 そして、レオが4月に阿須加の屋敷の来てから早二カ月──改めて、結月の母親をみて、レオは失笑する。

 穏やかな結月と比べて、派手な印象の母親。

 もし、この母親に育てられていたら、結月もこうなっていたのだろうか。そう思うと、何ともいえず、複雑な気持ちになってくる。

「ご無沙汰しております、奥様。屋敷の方は問題ありません。業務は全て覚えましたので」

「そう。若いのに五十嵐は優秀ね。あの子の執事にしとくにはもったいないくらいだわ」

 テーブルに置かれたハーブティーを飲みながら、美結がクスリと笑った。そして、美結は、メイドにお茶のお代わりをねだりながら

「そういえば、洋介が、人件費が浮いてよかったと喜んでいたわ。斎藤には困っていたの。これも全て、あなたのおかげね」

「…………」

 そして、その言葉に、レオは斎藤の事を思いうかべる。

 結月の運転手である斎藤さいとう 源次郎げんじろうは、先月、突然退職した。

 まさかその件に、レオが絡んでいたなんて、結月は、想像もしていないだろう。

「ありがとうございます。お褒めに預かり光栄でございます」

 いつも通り、にこやかな笑顔を浮かべ一礼すると、レオは、続けて今日の要件を伝え始める。

「奥様、先日お話した屋敷の件についてですが、やはり大分老朽化が進んでいるようで、可能であれば、リフォームを検討された方が宜しいかと」

「あー、そんなこといってたわね。あの屋敷、もう古いから」

 一見、豪華なあの屋敷も、メイドや執事たちのおかげで手入れは行き届いているものの、屋根や外壁など、業者に依頼しなくてはならないところは、ほとんど手付かず状態だった。

 そして、レオの仕事の一つとして、その屋敷の管理やメンテナンスも含まれている。

 雇い主によって、執事がどこまで管理するかは異なるが、この阿須加家では、月に一回、屋敷の資産状況などを報告をする際に、結月の身の回りのことについても、全て報告することになっていた。

「なに、雨漏りでもしてるの?」

「いえ、まだ、そこまでは」

「そう。ならしなくていいわ。もし雨漏りでもした時には、五十嵐が直してちょうだい。どうせ、結月がいなくなったら、建て壊す家だもの。今更リフォームするのもね」

「……かしこまりました」

 雇い主の言葉は絶対だ。
 レオは素直に承諾し、一度頭を下げた。

 いなくなったら、建て壊す。そして、その『いなくなったら』は、結月が結婚した後の話。

 だが、それも、いつになるか分からない先の事だ。自分の娘が暮らしている屋敷だというのに、いかに関心がないかが伺える。

「にゃ~」

 だが、その瞬間、レオの足元に一匹の猫がすり寄ってきた。

 ふわふわの毛並みをした、白いペルシャ猫だ。そして、その猫は、レオの足元をすり抜けると、美結の元へと駆け寄っていく。

「……奥様。猫を飼われていたのですか?」

 ソファーから立ち上がり、その猫を抱き寄せる美結を見て、レオが問いかける。

「えぇ、いつもは別の部屋にいるのだけど、今日はたまたまこっちに連れてきたい気分だったのよ」

 毛並みを撫でるその姿は、その猫をとても可愛がっているようにみえた。だが、正直、動物を飼っているとは思わなかった。

 しかも、よりにもよって────猫。

「もしかして、五十嵐は猫が苦手だった?」

「いえ……ただ、奥様は動物アレルギーだと伺っていたものですから」

「あら、誰がそんなこと言ったの? 動物も猫も大好きだし、アレルギーなんてないわよ」

 とんだ誤解だと美結が笑いだした。すると、レオは、ふと自身が飼っている「黒猫」のことを思いだし、そっと美結から視線をそらす。

(動物も猫も……大好き、ね)

 失笑したいのを必死にこらえ、あくまでもポーカーフェイスを貫く。だが、その時──

「っ……!?」

 突然、グイッと顎を掴まれたかと思えば、無理やり美結の方へと顔を向けさせられた。

 近い距離で目が合えば、頬に触れられた指先の感触に、意も知れぬ不快感がせり上がってくる。

「お、奥様?」

「……やっぱり五十嵐は、イイ顔してるわね。私、この顔好きよ。一日中眺めていたいくらいだわ」

 執事な顔をマジマジと見つめ、美結が言い放った言葉に、レオはより嫌悪感を高めた。

 冗談じゃない。こんな女と一日中一緒にいるなんて、考えだけで吐き気がする。

 だが──

「それはそれは、光栄でございます」

 にっこりと笑顔を貼り付けて、あくまでも執事として返せば、美結はその後、機嫌よくレオから離れ、またソファーへと戻っていった。

 外には、雨が降っていた。

 次第に強まり始めたその雨音に、自然と「あの夜」の記憶を思い出し、レオはぎゅっと自身の右手を握りしめた。

 決して、取り乱さぬよう、痛いくらいその拳を握りしめる。

 ここで、しくじるわけにはいかない。
 
 何のために、この街に戻ってきたのか?
 何のために、結月と別れてまで執事になったのか?

 ──心を殺して、無心になれ。

 全ては、結月との「約束」を果たすためだから。

 



 ✣

 ✣

 ✣



「では、五十嵐さん。また何かありましたら、連絡いたしますので」

「はい。わかりました」

 その後、美結との会話を終えると、レオはメイドの戸狩とがりと庶務的な話を交わしたあと、その別邸を後にした。

 玄関先に立つと、先ほどのことを思いだし、深くため息をついた。

 梅雨時期の強い雨は容赦なくアスファルトを叩きつけ、暗くどんよりとした空は、辺りを暗く沈めていた。

 雨の日は、嫌いだ。
 嫌なことを思い出すから。

 レオは、その後また一つため息をつくと、とりあえず車に戻ろうと傘をさし、ポケットに入れていた懐中時計で時刻を確認する。

 時刻は、まだ3時過ぎ。お嬢様を迎えに行くには、まだ少し早い時間だ。

 でも、きっと今のこの沈んだ気持ちを和らげてくれるのは、彼女しかいなくて……

「早く……会いたい」

 弱い心が、思わず顔を出す。

 だが、小さく呟いたレオのその声は、ザーザーを降りしきる雨の中、静かに掻き消えていった。


しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...