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第4章 執事の策略
雨
しおりを挟む6月下旬──
シトシトと雨が降り続く平日の午後。レオは阿須加の屋敷から数キロ離れた、とある豪邸の前に立っていた。
今、結月が住まう西洋風の古びた屋敷とは違い、比較的、近代的な外観をしたその建物は、結月の両親「阿須加 洋介」と「阿須加 美結」が暮らす別邸だった。
なんでも、洋介が経営しているホテルからは、この別邸の方が近いらしく、結月が産まれてしばらくは、あの屋敷に一緒に住んでいたそうだが、こちらの別邸が建った後は、結月だけあちらに置き去りにして、夫婦だけでこちらに移り住んできたと聞いている。
✣✣✣
──ピンポーン。
玄関の前に立ち、インターフォンを鳴らせば、中からメイドが一人顔を出した。
軽く挨拶を交わしたのち、レオは中に入ると、廊下を進んだ先にある大広間の前へと通された。
「奥様、執事の五十嵐が参りました」
ドアを鳴らした後、メイドが尋ねると、中から社長夫人でもある結月の母親・美結が「どうぞ」と声をかけてきた。
そして、中に入れば、そこには豪華絢爛なリビングが広がっていた。
白い大理石の床には、触り心地の良さそうな絨毯が敷かれていて、壁には有名画家の絵画が飾られていた。そして、テーブル前のあるベルベット調のソファーに座って足を組む美結は、レオを見るなり高らかに声をあげた。
「いらっしゃい、五十嵐。執事の仕事は、もう慣れた?」
美結は、現在49歳。それなりの年にも関わらず、赤いネイルに派手な服装、そして、その口調や外見を見れば、あまり落ち着きがあるご婦人には見えなかった。
結月の父、阿須加 洋介と、その妻である美結の出会いは、異業種交流会として行われたパーティーでのことだったらしい。
美結は元々は一般企業に勤めていた社会人で、ホテル経営の社長を見事につかまえ、玉の輿にのってからは、専業主婦で悠々自適な生活を送っていた。
そして、レオが4月に阿須加の屋敷の来てから早二カ月──改めて、結月の母親をみて、レオは失笑する。
穏やかな結月と比べて、派手な印象の母親。
もし、この母親に育てられていたら、結月もこうなっていたのだろうか。そう思うと、何ともいえず、複雑な気持ちになってくる。
「ご無沙汰しております、奥様。屋敷の方は問題ありません。業務は全て覚えましたので」
「そう。若いのに五十嵐は優秀ね。あの子の執事にしとくにはもったいないくらいだわ」
テーブルに置かれたハーブティーを飲みながら、美結がクスリと笑った。そして、美結は、メイドにお茶のお代わりをねだりながら
「そういえば、洋介が、人件費が浮いてよかったと喜んでいたわ。斎藤には困っていたの。これも全て、あなたのおかげね」
「…………」
そして、その言葉に、レオは斎藤の事を思いうかべる。
結月の運転手である斎藤 源次郎は、先月、突然退職した。
まさかその件に、レオが絡んでいたなんて、結月は、想像もしていないだろう。
「ありがとうございます。お褒めに預かり光栄でございます」
いつも通り、にこやかな笑顔を浮かべ一礼すると、レオは、続けて今日の要件を伝え始める。
「奥様、先日お話した屋敷の件についてですが、やはり大分老朽化が進んでいるようで、可能であれば、リフォームを検討された方が宜しいかと」
「あー、そんなこといってたわね。あの屋敷、もう古いから」
一見、豪華なあの屋敷も、メイドや執事たちのおかげで手入れは行き届いているものの、屋根や外壁など、業者に依頼しなくてはならないところは、ほとんど手付かず状態だった。
そして、レオの仕事の一つとして、その屋敷の管理やメンテナンスも含まれている。
雇い主によって、執事がどこまで管理するかは異なるが、この阿須加家では、月に一回、屋敷の資産状況などを報告をする際に、結月の身の回りのことについても、全て報告することになっていた。
「なに、雨漏りでもしてるの?」
「いえ、まだ、そこまでは」
「そう。ならしなくていいわ。もし雨漏りでもした時には、五十嵐が直してちょうだい。どうせ、結月がいなくなったら、建て壊す家だもの。今更リフォームするのもね」
「……畏まりました」
雇い主の言葉は絶対だ。
レオは素直に承諾し、一度頭を下げた。
いなくなったら、建て壊す。そして、その『いなくなったら』は、結月が結婚した後の話。
だが、それも、いつになるか分からない先の事だ。自分の娘が暮らしている屋敷だというのに、いかに関心がないかが伺える。
「にゃ~」
だが、その瞬間、レオの足元に一匹の猫がすり寄ってきた。
ふわふわの毛並みをした、白いペルシャ猫だ。そして、その猫は、レオの足元をすり抜けると、美結の元へと駆け寄っていく。
「……奥様。猫を飼われていたのですか?」
ソファーから立ち上がり、その猫を抱き寄せる美結を見て、レオが問いかける。
「えぇ、いつもは別の部屋にいるのだけど、今日はたまたまこっちに連れてきたい気分だったのよ」
毛並みを撫でるその姿は、その猫をとても可愛がっているようにみえた。だが、正直、動物を飼っているとは思わなかった。
しかも、よりにもよって────猫。
「もしかして、五十嵐は猫が苦手だった?」
「いえ……ただ、奥様は動物アレルギーだと伺っていたものですから」
「あら、誰がそんなこと言ったの? 動物も猫も大好きだし、アレルギーなんてないわよ」
とんだ誤解だと美結が笑いだした。すると、レオは、ふと自身が飼っている「黒猫」のことを思いだし、そっと美結から視線をそらす。
(動物も猫も……大好き、ね)
失笑したいのを必死にこらえ、あくまでもポーカーフェイスを貫く。だが、その時──
「っ……!?」
突然、グイッと顎を掴まれたかと思えば、無理やり美結の方へと顔を向けさせられた。
近い距離で目が合えば、頬に触れられた指先の感触に、意も知れぬ不快感がせり上がってくる。
「お、奥様?」
「……やっぱり五十嵐は、イイ顔してるわね。私、この顔好きよ。一日中眺めていたいくらいだわ」
執事な顔をマジマジと見つめ、美結が言い放った言葉に、レオはより嫌悪感を高めた。
冗談じゃない。こんな女と一日中一緒にいるなんて、考えだけで吐き気がする。
だが──
「それはそれは、光栄でございます」
にっこりと笑顔を貼り付けて、あくまでも執事として返せば、美結はその後、機嫌よくレオから離れ、またソファーへと戻っていった。
外には、雨が降っていた。
次第に強まり始めたその雨音に、自然と「あの夜」の記憶を思い出し、レオはぎゅっと自身の右手を握りしめた。
決して、取り乱さぬよう、痛いくらいその拳を握りしめる。
ここで、しくじるわけにはいかない。
何のために、この街に戻ってきたのか?
何のために、結月と別れてまで執事になったのか?
──心を殺して、無心になれ。
全ては、結月との「約束」を果たすためだから。
✣
✣
✣
「では、五十嵐さん。また何かありましたら、連絡いたしますので」
「はい。わかりました」
その後、美結との会話を終えると、レオはメイドの戸狩と庶務的な話を交わしたあと、その別邸を後にした。
玄関先に立つと、先ほどのことを思いだし、深くため息をついた。
梅雨時期の強い雨は容赦なくアスファルトを叩きつけ、暗くどんよりとした空は、辺りを暗く沈めていた。
雨の日は、嫌いだ。
嫌なことを思い出すから。
レオは、その後また一つため息をつくと、とりあえず車に戻ろうと傘をさし、ポケットに入れていた懐中時計で時刻を確認する。
時刻は、まだ3時過ぎ。お嬢様を迎えに行くには、まだ少し早い時間だ。
でも、きっと今のこの沈んだ気持ちを和らげてくれるのは、彼女しかいなくて……
「早く……会いたい」
弱い心が、思わず顔を出す。
だが、小さく呟いたレオのその声は、ザーザーを降りしきる雨の中、静かに掻き消えていった。
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