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第3章 独占欲の行方
お嬢様の憂鬱
しおりを挟む「はぁ……」
その後、教室に入り、席についた結月は深いため息をついていた。
(……どうしよう)
やってしまった!
執事や使用人に、ワガママは言わないように心がけてきたのに、いくら執事が悪いとはいえ、あのように声を荒らげて怒鳴りつけてしまった。
しかも、他の生徒たちが行きかう、ロータリーのど真ん中で!!
(恥ずかしい……っ)
つい感情的になってしまい、結月は自分のはしたない行動を反省する。
あんなに声を荒らげたのは、どのくらいぶりだろうか?
結月は基本的に、ほとんど怒らない。それなのに、五十嵐の言葉を聞いてついムキになってしまった。
(今日からってことは、帰りも五十嵐が迎えに来るってことよね?)
そして『あんなふうに怒鳴りつけたあとに、どんな顔して会えばいいのか?』と結月は、悩む。
しかも、車の中は、二人きりの密室状態。
重い!
絶対、空気が重い!
もう、想像するだけで、胃が痛くなりそう!!
「はぁ……」
再度ため息をつくと、結月は、窓際の席から外を見つめた。
使用人達とは、仲良くしたい。
それは、五十嵐だって同じだ。
それなのに……
(五十嵐、私のこと嫌いなのかしら?)
嫌われるようなことをした覚えはないし、ここ一ヶ月、良好な関係を築けていた。
それが、斎藤がいなくなった途端、あんなことをしてくるなんて……
もしかしたら、元気づけようとしてチョコを差し出してきたのかもしれないが、この女子校は、かなり校則に厳しい。
お菓子なんて厳禁だし、もし先生に見つかったら大変なところだ。
そして、その規則は、五十嵐だって、知っているはずだった。
(五十嵐が何を考えてるのか、よく分からないわ……)
もしかしたら、本当に嫌われてしまったのだろうか。そう思うと、また涙が出そうになる。
だが、今からホームルームが始まる。
結月は、微かに滲む涙を拭おうと、ブレザーのポケットから、ハンカチを取り出そうとした。
カサ──
「?」
だが、その瞬間、ハンカチと一緒に、なにか別のものが指先に触れた。
(え?……なに?)
身に覚えのない感触に、結月は、なにかしら?……と、ポケットから、それを取り出す。
すると、そこに現れたのは、先程、五十嵐が差し出してきた──チョコレート!
「ひっ!?」
瞬間、結月は小さく悲鳴をあげた。
(な、なんで!? なんで、チョコが入ってるの!? ていうか、どうやって入れたの!?)
ポケットにチョコを入れられた感覚なんて、一切なかった!
もしこれが、先程のいざこざの最中に入れられたのだとしたら、スリレベルで手先が器用だ!!
(う、うそ、どうしよう……! お菓子を持ってきたなんて、先生にバレたりしたら)
未だかつて、結月は校則を破ったことがなかった。
それなのに、このことが先生にバレたりしたら、きっと、両親にも──
「阿須加さん!」
「きゃっ!?」
瞬間、名前を呼ばれ、結月は跳ね上がった。
慌てて、チョコレートをポケットの中に隠すと、結月は、声をかけてきた相手を恐る恐る見上げる。
だが、どうやら先生ではなかったようで、結月の元には、女生徒が二人パタパタと駆け寄ってきた。
「ごきげんよう、阿須加さん!」
「ご、ごきげんよう」
「ねぇ、少し聞いてもよろしいかしら? あれ? なんか目赤いけど、大丈夫?」
「え!? あ、だ、大丈夫よ! ちょっと目にゴミが入って」
涙目の結月に気づき、女生徒の一人が心配そうに覗き込んできた。
だが、まさか『執事にいじめられました!』なんていえるはずがない。
「そ、それより、聞きたいことって?」
「あ、そうそう! さっき若い男性と一緒だったでしょ? いつもの運転手の方はどうなさったの?」
「あ、それは……」
その言葉に、結月は再び斎藤を思い浮かべた。
(斎藤、本当にどうしちゃったのかしら? 挨拶もなく辞めるなんて、やっぱりおかしいわ。身体を悪くしたとか、そんなんじゃないといいけど……)
斎藤とは、もう長い付き合いだ。
体調を崩したのでは?
事故にあったのでは?
事態が急なことだったからこそ、結月は気が気じゃなかった。
「阿須加さん?」
「……あ、ごめんなさい。斎藤は辞めてしまったの」
「あら、そうだったの。じゃぁ、さっきの方は新しい運転手?」
「いいえ、彼は私の執事よ。斎藤が辞めてしまったから、運転手も兼任することになったみたいで……」
「えぇ!! あの方、阿須加さんの執事なの!? 羨ましい~!!」
「う、羨ましい?」
「だって、あんなに若くてカッコイイ方が執事だなんて! ねぇ、あの方お名前は? 年はいつくなの?」
「な、名前は『五十嵐』で、年は……20歳だったかしら?」
「私達と二つしか違わないじゃない! うちの執事なんて、もうおじいちゃんよ!」
「うちもそうよ。いいわねー、私の屋敷にも若くてハンサムな執事がきてくれないかしら?」
「ねぇ、なんの話ー?」
「阿須加さんの執事の話! 先程のロータリーで見かけたら、とても素敵な方だったの!」
急に執事の話題で盛り上がり始めたクラスメイト達。それを見て、結月は複雑な表情を浮かべた。
いくらお嬢様学校とはいえ、みんながみんなお淑やかなお嬢様ばかりではない。
お年頃というかなんというか、みんな、お洒落にも、恋にも、イケメンにも敏感な普通の女の子だ。
特に女子校は男性がほとんどいない環境だからか、こうして若い男性が現れると、その話題で、一気に持ち切りになる。
しかも、他の生徒の運転手たちは、大抵が30代以上の男性ばかり。だからか、五十嵐のような若い男性は珍しい。
そのうえ、五十嵐は身長も高く、顔立ちも良かった。
ならば、女子の噂の餌食になるのは、ある意味しかたのないことかもしれない。
「年が近い方が執事だなんて、さぞ話も盛り上がりそうね」
「そ、そんなことないわ。私、五十嵐が何を考えているのか、よくわからなくて」
「わからない?」
「えぇ……今までの執事とは、少し違っていて、困っているの」
「あら、そうなの。でも、素敵じゃない! 男性は多少ミステリアスな方が魅力的よ?」
(いや、ミステリアス通り越して、ちょっと怖いというか……!)
勝手に、ポケットにチョコを入れられてたんです!!
お嬢様の生活を円滑に進めるのが仕事のはずの執事が、逆にお嬢様を陥れるという、とんでもない事態になっているんです!!
「あ、そうだわ!」
「?」
だが、そんな中、女生徒の一人が結月の元を離れたかと思えば、自分の机の中から文庫本を取り出してきた。
「この本にでてくる執事が、とてもミステリアスな方でね。どこか五十嵐さんと雰囲気が似ている気がするの。なにかの参考になるかもしれないし、良かったら、貸して差し上げましょうか?」
「え?」
女生徒は、ブックカバーがかけられた文庫本を結月に差し出しながら、にっこりとほほ笑んだ。
すると、その場にいた、もう一人の女子生徒が
「あら、有栖川さん、また、そんな本もってきてるの?」
「またとはなによ。いいじゃない、小説は校則違反ではないわ。それに、これも立派な文学よ!」
二人の会話を聞きながら、結月は目の前の文庫本を見つめた。話を聞けば、五十嵐に似ている執事が出てくるらしい。
(これを読んだから、少しは五十嵐のこと、分かるようになるかしら?)
歩み寄りたいし、嫌われたくはない。
今の結月は、藁にも縋りたい気分だった。
なぜなら、これから長い付き合いになるかもしれないのだ。こんなところで気まづい関係にはなりたくない。
結月はそう思うと、その文庫本を受け取り
「ありがとう。せっかくだし、お借りしてみようかしら」
そう言って、ふわりと微笑んだ。
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