お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜

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第2章 執事と眠り姫

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「「お帰りなさいませ、お嬢様」」

 その日の夕方、結月が屋敷に帰宅すると、レオとメイドの矢野やの恵美めぐみの三人が、深々と頭を下げた。

 午前中、噴水の掃除をしていたレオ。

 あの後、シャワーを浴び、身支度を整えたレオは、またいつもの燕尾服に身を包み、にっこりと笑顔で結月を出迎えた。

 そして、黒の燕尾服とは対象的なアイボリーのブレザーと桜色のスカート。

 学校指定の上品な制服を身につけた結月は、手にした鞄をレオに手渡しながら、にこやかに帰宅の挨拶をする。

「ただいま」

「学校は、いかがでしたか?」

「えぇ、茶道の先生に、手つきが良いと褒められたわ。でも長時間、着物を着ていると、やっぱり疲れるわね」

 学校の話をしながら、結月は苦笑いを浮かべた。

 結月が通う女子校は、お金持ちの娘たちが通う、いわゆるお嬢様学校。

 その選択教科には、茶道や華道だけでなく、声楽やピアノ、ダンスといった、女性らしさを身につけるための教科が一通り揃っていた。

 そして、この学校を選んだのも『将来、素敵な女性になれるように、女性としての品位を身につけておきなさい』と、結月のが選んだ。

 子供の頃から、何を決めるにも結月の意思は尊重されない。

 全ては、阿須加家のため。

 そして、それは、今もずっと──



 ✣

 ✣

 ✣



「後ほど、お茶をお持ち致します。なにか、ご所望がございますか?」

 自室につくと、結月の鞄を所定の場所に戻しながら、執事が声をかけてきた。

 結月は、その言葉に、再び執事を見つめる。

「そうね。じゃぁ、ミルクティーを頂けるかしら?」

「かしこまりました」

 お嬢様の返答に、執事が胸元に手を添え、微笑する。

 その仕草や振る舞いは、とても優雅なもので、まだ若いのに、五十嵐は、どこのベテランの執事にも引けを取らない。

 ──コンコンコン

「失礼致します」

 すると、今度は部屋の入口から、メイドの恵美が声をかけてきた。

 それを見たレオは、結月に一礼し、部屋を出てると、今度は、恵美が結月の前に立つ。

「お嬢様、お着替えをお手伝い致します」

「ありがとう」

 執事が出ていったのを見届け、カーテンを閉めると、恵美は続けて、結月の制服に手をかけた。

 もう、着替えを手伝ってもらう年でもないのだが、長年の習慣とは恐ろしいものだ。

 するりとシャツを滑らせ、結月はブレザーを脱ぐと、リボンを外し、シャツのボタンを一つ一つ外した。

 脱いだ服を恵美に手渡し、逆に手渡された白のブラウスと黒のロングスカートを着ると、少しだけ乱れた髪を整える。

 すると、着替えを終えるのを見届けた恵美は、脱いだ制服をかごにいれると、また一礼したのち、部屋をでていった。

 そして、部屋の中に一人になった結月は、小さくため息をついたあと、自分の机の前に立った。

 朝しまい忘れていたのか、例の"空っぽの箱"が目に付いて、結月はそれを手にベッドに腰掛けると、そのままポスッとベッドの上に横になった。

 昨夜、夜更かしをしたせいか?
 はたまた、授業で着物を着ていたせいか?

 気だるい身体に、フカフカのベッドが、やけに気持ちよかった。

 だが、結月は一度目を閉じると、その後、ゆっくりと目を開け、手にした箱を見つめた。

(……この箱、一体なんなのかしら?)

 この前、五十嵐に問われて、何も答えられなかった。

 どうして、この箱が大切なのか?

 だけど、この箱をは、今でも、よく覚えてる。

 それは──8年前。
 結月がまだ、10歳だったころ。


✣✣✣


『結月様は、花かんむりを作ったことはございますか?』

 この屋敷には、白木しらきさんというメイドがいて、その人は、私が赤ちゃんの時から、ずっと側にいてくれた人だった。

『お花で、"かんむり"をつくるの?』

『そうですよ。作り方、教えてさしあげますね?』

 白木さんは、悪いことをしたら、とても厳しかったけど、なにより優しくて温かい人だった。

 庭先に咲いていた花を二人で摘んで、花かんむりをつくってみたり、お花の話や星の話。

 他にも、世界各国の物語やおとぎ話を読み聞かせてくれて、白木さんは、私にとって、まさに母親のような人だった。

 だけど、ある時──

『お父様、どうして!!』 

 私は、屋敷の階段から落ちて、怪我をしたらしい。

 だけど、落ちたことも、怪我をしたことも一切記憶になくて、目が覚めたら病院のベッドの上だった。

 頭に包帯を巻いて、久しぶりに屋敷に帰る。

 すると、ずっと側にいてくれた白木さんは、もう父と母に、辞めさせられたあとだった。

『どうして! どうして、白木さんを辞めさせちゃったの!?』

『結月、お前は一週間も目を覚まさなかったんだ! 阿須加家の大事な娘に怪我を負わせた。あんなメイド、もう必要ない!』

『そうよ、結月。メイドの変わりなんていくらでもいるじゃない。また、新しいメイドを雇ってあげるわ』

『……っ』

 久しぶりにあった父と母が、私を宥めながら声を荒らげた。

 全く聞く耳をもたない両親に、目には自然と涙が浮かんだ。

『代わり、なんて……っ』

 代わりなんていない。

 白木さんの代わりなんて、いるはずない!

『お願い! 白木さんをやめさせないでッ!!』

 父の服にしがみつきながら、必死になって訴えた。だけど

『結月、いい加減にしなさい!!』

『ッ……』

 次の瞬間、怒号のような父の声が響いて、幼い私は、身をすくめた。

『まさか結月が、こんなワガママな娘に育っていたなんて、あのメイドに任せたのは失敗だったな』

『結月、あなたは将来、この阿須加家を背負って立つ人間なのよ、分かってるの?』

『……っ』

 声が震えた。

 それでも、なんとか伝えようとした。

 白木さんは悪くないと。

 だけど──

『しかし、怪我をしたのが頭で良かった』

『……え?』

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 ……なにが、良かったの?

 怪我をしたのに?

『もし、顔や身体に傷でも残っていたら、を失うところだったな』

『……っ』

 女としての価値。
 その言葉を聞いた瞬間、愕然とした。

 子供が、怪我をして悲しむわけでもなく、目が覚めて喜ぶわけでもなく、ただ、その『価値』を失わなかったことに喜んでいるのが分かった瞬間、もうなんの言葉も出せなくなった。

『いいか、結月。お前は将来、私の会社を大きくするために、金持ちの立派な男と結婚するんだ。だから、いつか私が見つけてきた男に気に入られるよう、しっかり女を磨いておきなさい』

『…………』

 その後は、もう諦めたように、呆然と返事をしただけだった。

 頬を撫でる父の手が、こんなにも気持ち悪いと思ったことはなかった。

 娘として生まれてきたその時から、私の未来は決められてしまったのだろう。

 将来、この阿須加家を継ぐために、父の選んだ立派な男と結婚する。

 その両親の願いを叶えるのが、私の

 そして、いつも放ったらかしにしてるくせに、都合のいい時だけ『親』になる。

 娘の気持ちなど一切考えず、ただ言たいことだけ言って従わせる。
 
 そんな愛情の欠片もない人たちが──私の『両親』だった。


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