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・第六十一話「決戦の事(絶体絶命編)」

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 ヒイイイイイーッ! ヒイイイイイーッ!ヒイイイイイーッ!

 不吉極まりない悲鳴めいた鏑矢が、最前線の方角から鳴り響いた。

 ヒイイイイイーッ! ヒイイイイイーッ!ヒイイイイイーッ!

 不吉極まりない悲鳴じみた鏑矢が、更に気球の方向から鳴り響いた。

 その鏑矢の音の意味はごく一部の者しか知らぬ。即ち最前線でそれを成らす立場にあったアントニクスらアルキリーレの供回り、観測を行う気球兵、そして気球からの情報を伝える立場であるレオルロ、情報を受け取る立場であるカエストゥス、ペルロ、チェレンティのみだ。

「ッ……!?」

 カエストゥスが顔面を蒼白にして立ち上がった。その鏑矢の意味が機密とされたのは、気球兵はレオルロにしか情報を伝える手段を持たず、アルキリーレの供回りはそれを発さねばならぬ状況では他に情報を伝播する余裕は無く、そして、その情報は指揮官層には確実に伝わらなければならないが全軍に伝われば全軍が界を招きかねないものだからだ。

 即ちアルキリーレ負傷。それも伝えねばならぬ程の重傷。それは同時に皇帝スルタン討ち取ったりの報告が無い以上、アルキリーレ隊による皇帝スルタン打倒が頓挫したことも示していた。

「我が友!」

 ペルロがカエストゥスの手を掴んだ。即座に決断を求める、その目には戦の機微は分からぬままだが殉教すら厭わぬ炎が瞬時に点っていた。

「分かっている!助けるぞ!」

 カエストゥスの表情に僅かの迷いも無い。即座に全軍で突撃する。それは女のみを案じる男の心が全てであったが、戦下手のままだが乾坤一擲の攻勢が限界点に達した以上押し返される前に次の手を打たねば終わりだというタイミングに偶然にも合っていた。

「……アントニクスはまだ生きている、幾らかは持たせると! 行く道はある、事前に俺がアルキリーレともしもの時を相談した! あいつはもしもの時は逃げていいと行っていたが、冗談じゃ無いと聞き出して……」

 チェレンティも必死だった。謀略家で将の器では無くとも、それ故に出来る事として情報を管理し、アルキリーレと近しく話し少しでもその軍略を得ようとしていた。

「だが、俺達で突破出来るかどうか、出来たとして間に合うか……!)

 しかしアルキリーレが語ったそれは、アルキリーレがもう一人いれば出来たであろう真ゲキロだ。アントニクスは今鏑矢を鳴らしたようにアルキリーレの守りに必要な人材だし隊の指揮能力ではアルキリーレに劣る為別動は難しい。

 果たして自分達や兵でこのルートを踏破出来るか? だがそれでも行かねば……

「道があるんだね!? そこを走ればいいんだね!?」

 チェレンティの不安を払うように叫んだのはレオルロだ。レオルロは気球の制御の傍ら弄くり回していた、第三国家軍団レギオーが運んできた幌を被せた何か・・に駆け寄った。良く見るとそれは、何時の間にか幌の隙間から煙と湯気を吐いていた。

「こんな事もあろうかと、準備していたものがある! 操作に上手く連携できてある程度頭が切れる奴が僕込みで四人要る、正直まだ未完成もいい所で、一歩間違えば爆発四散して四人とも死ぬ! この面子で動かすしかないけど、失敗したら全員死んでレーマリアも滅亡おしまいだ! どうする!?」
「言うまでも無かろうよ!」

 レオルロの問いに即座にカエストゥスが叫んだ。どっちみち個々で負ければレーマリアは滅ぶ。レーマリアが滅んだ後で執政官コンスルや教帝が生き残って何になろう、女を見捨てて生き残る事に何の意味があろう!

「勿論です! 司祭プリースト達、全軍に伝達を! これより教帝・執政官コンスル自ら出撃し、この決戦に勝利します、と!」
「そこにこう付け加えるべきだな! 全軍我等に続けと!」

 温和なペルロ十八世すら血気を滾らせた。この動きが最後の一手の条件を満たす事を察しチェレンティもまた教帝と執政官コンスルの権限を借りて全軍に号令を飛ばした。

「アルキリーレ!! 今行くぞっ!!!!」

 カエストゥスが、あの争い事を嫌う男が、断固たる決意と共に叫んだ。勇武ヴィルトゥスとして愛を燃やして!


「ぐっ、こん糞餓鬼へちごがぁっ!」

 最前線、親衛隊イェニチェリに前を固められ、馬を失い、皇帝スルタンはまだ遠い、絶望の戦場でアルキリーレは片手で斧を振るい尚抗っていた。

 落馬の衝撃、絶命した馬が倒れ込んできた事、更に獅子の神秘で己を強化したアルキリーレに勝るとも劣らぬ皇子セフトメリムの異常怪力による強烈な鎖の引っ張りと捻り、加えて獅子の神秘で強化した肉体に合わせた並の倍頑丈な鎧の重量。

 それらが悪夢的な程に利き腕に一点集中し恐らくはセフトメリムの狙った通りに、アルキリーレの右腕は鎧の下で完全に曲がってはいけない方向に曲がるのみならず、折れた骨が肉と肌を裂いて飛び出す開放骨折で大出血を招いていた。

 ギリギリで大きな動脈は破れてはいないが、何時まで持つか。鉈薙刀の柄はへし折れ最後に残った斧を片手で振るい抵抗するが、セフトメリムは棘付鎖分銅をまるでペットの大蛇と踊り遊ぶが如く振るい、アルキリーレの斧より遙かに遠くの間合いから一方的に打ち据えてくる。

「あははははは! 面白いねお姉ちゃん! 遊ぼう遊ぼう! 死にそうになったら言ってね! 捕まえて首輪着けて飼ってあげるから!」

 それでも尚アルキリーレの両足は獅子の速度で疾駆し、一方的な間合いの優位を打ち消しにかかった。それをセフトメリムは棘付鎖分銅で足を払い頭を打ち据え、自らアルキリーレに並ぶ速度で疾駆し、時には絡め取るか打ち倒した後に鎧の隙間に突き込んでトドメを刺す為の刺突短剣を懐から取り出して凄まじい器用さで斧を防ぐ!

貴様きさん、一体っ……!?」

 逃げ出した軟弱者皇子将軍マイスィルより年下に真逆こんな怪物がいるとは!

 最初の奇襲もあるが、下手すればそれが無くても己よりも強いかもしれぬ。しなやかな鎖は衝撃が逃げて斬りづらく、加えて少し斬り欠いても戦力が落ちぬ。驚愕し勝機を見いだせず苦悩するアルキリーレの五感が、微かな香りを捉えた。

「……黒蓮ロトス!?」
「ふふ、その通り! 北摩ホクマ黒蓮ロトス南黒ナンゴク島香プント西馳ザイン煙花カコマセ東吼トルク神麹ハオソ! 他にも色々ヤバい薬を秘密の庭園で育てて調合して体を慣らせて慣らせない奴は死んで慣れた奴同士で殺し合ってボク達武闘僧侶兵カザンフーシーはそうやって生まれたんだ! 神秘や野蛮だけじゃ到達できないこの力と速さと技巧! いいでしょ、獅子のお姉ちゃん。ぞくぞくする? レーマリアの高官共の死体を積み重ねて作ったベッドの上で僕の花嫁にしてあげようか!?」

 ガンギマリ顔で笑うセフトメリム。お飾り指揮官ではない。最強の武闘僧侶兵カザンフーシーとして、こいつは皇帝スルタン後継者争いを勝ち抜く気でいる一匹の猛獣を越えた怪物なのだ!

「そげん事、さすいもんか!」
「えへへ!させないのを、させませーんっ!」
「ぐううっ!」

 セフトメリムの言葉に怒り唸り激しく食らいついていくアルキリーレだが……奇襲の一撃が重い、届かない!

「通すかよおっ!!」

 体勢を崩し呻くアルキリーレを襲わんとする武闘僧侶兵カザンフーシー達をアントニクスが猛然と鉄棍を振るい防ぐ! アルキリーレの負傷と出血で広がりつつある隙と狭まりつつある視界と攻撃範囲をカバーするべく、その巨体で仁王立ちし続ける!

 大鎌使いを砕き、鈎を叩き潰し、円形刃チャクラムを弾き返して逆に相手に命中させる!

「この、程度、っ……!?」
「アントニクス……!」
「あはは!何時まで持つかなーっ!」

 だがそれでも尚、鞭刃ウルミ使いにじわじわ削られていく。加えて恐らく刃に毒が塗ってあるのか、半分とはいえ北摩ホクマ人の血を引くアントニクスの体力が削られ動きが鈍っていく! 

 守られる事など無かっただけに動揺し気遣うアルキリーレ! 嗜虐的に哄笑するするセフトメリム!

「……ふ、これまでか」

 東吼トルク人からすれば寧ろまだ耐える北摩ホクマ人の体力の方こそが異常なのだが、勝負は決まったかと親衛隊イェニチェリの後方で皇帝スルタンは笑った。セフトメリムは後継者としては論外だがこういう時は使いでがある……


 ここまでか。そう思われた時。

 ド……
 ドド……
 ドドド……
「なん、だ……?」

 彼等もまた激闘を繰り広げてきた大半が馬を失った騎兵隊員達が最初に気づいた。

 地響きがした、と。地震か? 否……

「何だ!?」

 直後皇帝も気づいた。否、情勢の変化自体は既に先触れを見ていたのだ。レーマリア軍が全軍で街道側に運動し、側面攻撃を掛けようとしていると。

 だがそれには念入りに対処を命令していた。戦奴歩兵バジバズークと第三軍残党騎兵隊に横隊展開を命令し、督戦射兵ジャンダルマにその場を守らせる。更に言えばその後方にはアルキリーレと戦わなかった正規歩兵ディジェード正規射兵ニザーム軽騎兵アキンジ重騎兵スィパーヒー、残りの獣騎兵が縦横に多重構造を為している。火計からの最精鋭突入という離れ業故に通れた川岸の戦いとは別だ、通れる訳が無い。大体街道側の方が土地が広く大軍を展開できる以上明確に東吼トルク有利の土地なのだ。

 突破出来る筈が。
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