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・第五十五話「蛮姫苦悩し皆と話す事」
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「……最悪じゃ」
さしも豪胆なアルキリーレも、チェス盤の外から駒を毟り取られるような逆転窮地に、フロレンシア郊外で血腥い戦場跡の夜風に吹かれながら苦虫を噛み潰していた。
ネアンパニウム・アクアリア占拠により大量の物資を会得した東吼軍は今や現地調達の頸木から解き放たれて全兵力を結集している。
皇帝メールジュク一世率いる本軍、陸軍長官ズイミシュト率いる第二軍はそれぞれ定数の二万八千と二万一千から攻城戦で兵を減らして二万六千と二万まで落ち込んでいたが、ここに殆ど無傷のまま第三軍と軍大臣アドミリハを見捨てて脱出した皇子将軍マイスィルの騎兵部隊とそれについて脱出した若干数の第三軍残党、アルキリーレが味方の犠牲を低減する為とレーマリア兵の気質の問題もあり撃砕は出来たが殲滅は出来なかった第一軍の残党、更に惨たらしい事に陥落したアクアリアとネアンパニウムで逃げられず捕虜となった者の内人質を取れる敗残兵が肉の盾めいて強制的に徴用された戦奴歩兵、これらを加え減った数を補うどころか本軍と第二軍は寧ろ大きく数を増した。
兵数は膨大。故に皇帝メールジュク一世は、逃げ戻ってきた味方敗残兵と人質を取った捕虜敗残兵に恐ろしい事をした。味方敗残兵には敗北への懲罰と今度こそ最後まで戦うかを問う為に、己が生き延び為に他者を殺し皇帝に仕えられるかを問う為に、そしてその両者達に、共に戦力となり得るかどうかと確かめる為に、部隊毎に互いに殺し合わせ、生き残った者のみを戦奴歩兵として戦力に加えたのだ。
それを行って尚、東吼軍総戦力はこの段階でも実に六万二千五百を数えたという。それが一団となって進撃すれば、阻止する事はレーマリアの戦力では至難極まる。
(こいつらは、何の為に死んだのか)
その容赦の無い敵の数を偵察結果から受け取ったアルキリーレは物思う。
血腥い戦場の風。昔は己が勝ち戦の後であれば芳しくすら思えたそれに、勝ち戦であっても心が痛む。今のアルキリーレは、そこに女の為に普段の倍以上に力を出した愛すべき男達と……思えば敵兵とはいえアルキリーレとしては別段直接恨みのある訳でもない、祖国ではレーマリア程には和気藹々とはしていまいが北摩程に殺伐とはしていなかろう普通の家庭生活もあっただろう男達の人生だったものがぶちまけられている事を身にしみて理解しているからだ。かつて愛を知らず、どうでもよかった自分以外の戦士達の命が、今は苦しく突き刺さる。
そんな命を塵の様に磨り潰す帝国に従い死んだ東吼の兵士達と、そんな非道な帝国に敗北すればここでの壮烈な戦死が無意味となってしまうレーマリアの兵士達と……
「チェースト! 情けないだらしない! 死者ば悼んなら死者に報いんな最低ぞ!」
直後アルキリーレは焼きを揺るがして怒号した。負けた時の事等考えて何とする。死者に報いられぬ事を恐れるくらいなら勝たねばならんのだ!
そう己に喝を入れ、アルキリーレは必死に軍事的思考力を回転させた。
今レーマリアの戦力は、野戦軍は女性中隊込みで二万千五百。首都ルームにいる第三国家軍団残存部隊が女性中隊が語っていた男性志願兵により増強されて三千五百。フロレンシアに残った地方軍団の残存部隊が三千あるが、これはフロレンシアから全住民を首都ルームへ総避難させなければ動かせない。それは残存物資と兵站に強い負担を掛ける事になる。国境を固める残りの国家軍団は南黒と西馳の軍勢を阻む為に動かせなくなった。しかも、もし両地方が本気で属州奪回に動いたら最悪敗れてそのまま本土まで攻め込まれる危険すらあるのだ。
制圧されたアクアリアとネアンパニウムから脱出出来た戦力は……双方合わせて三千と行った所か。海軍の残存部隊も大幅に減った領海を守っているが……
野戦兵力はアクアリア・ネアンパニウム脱出兵力を加え二万四千五百。
首都ルームに籠城か首都郊外で決戦する場合第三国家軍団を加えて二万八千。
フロレンシアから住民を避難させてフロレンシアの兵力も首都決戦員加えれば三万一千と一応過去最大兵力となる。但し、二万八千の場合首都籠城も可能だが、三万一千の場合住民も合わせると籠城は兵糧的に不可能だ。
何より二万八千でも三万一千でも、敵兵力は此方の倍以上で、ここまでの戦で勝ち進んできた手勢は兎も角、負けて落ち延びてきた兵達が何処まで踏ん張れるか。だからといって東吼皇帝のような真似をする心算は無いが。
「こいで、どげんかせんか……」
噛み締めるように唸る。更にアルキリーレの心には先の戦いで溜まった澱がある。
(……これは軟弱な感傷か、それとも心の芽生えか……)
先の戦い。重連弩機を手にして撃ちまくった時。確かに車撃ちという新戦術を確立したという思いと、レオルロの発明が我が手で活躍したという感慨、不利なレーマリアにはこれが必要だという考えがあったのだが。
……この武器は余りにも卑劣なほど一方的に殺せすぎるという、恐怖と嫌悪に近い感情もまた己の内にあった事をアルキリーレは認めた。
歯車を回し、引金を引き、動かすだけで人が死ぬ。人が。
(嗚呼!私はそれをかつてただ単に敵と呼んでいたのに!)
アントニクスに語った、昔より戦いの中での殺しに罪悪感を感じ、速さが衰えているという自覚。それが、戦場でたっぷりの血を浴びて更に重くのしかかっている。
弱兵のレーマリアを背負い己が命賭けて戦わねば国が滅び好ましい男共も平和に守られた女達も皆死ぬか塗炭の苦しみに堕ちる。そう思えばこそこれまでその新しい弱点にそこまで縛られる事無く戦ってこいれた。
だが己の手で鉈薙刀を振るうのとあれは違うと感じた。直接己の手に敵の体を感じるか否かという意味で投斧とどう違うと己に問うたが、やはり己の手で振るって投擲した武器と、まるで走るだけのような足の動作と指先の動きだけでの殺戮には、己が非文明的な北摩人だからそう感じるのか、それとも殺し合ってばかりの真性の北摩人ならばそう感じず様々な文化や文明や人の心に触れてきた己だからこそ感じるのか、いずれにせよ確かな違和感を覚えて。
「……いけんのう、厄介な。今更哀れも駄目だも俺にあるとか。情けない……」
覚えた違和感が拡大する。お前は、直接手に掛ければよいとでも思っているのかと。数えきれぬほどその手とその命令で殺し多事には罪の意識を覚えぬ心かと。
罪の意識を覚えてしまえば誰も救えぬと胸の内に吼えれば、己を恐怖する東吼兵の目が蘇る。罪を罪とも思わぬ、そんな恐ろしい己を……いつか味方すらああいう目で見る日が絶対に来ないという保障があるだろうか?
だが同時に過去を思う。バルミニウス・ゲツマン・ヘルラスとして戦うより前、己は誰にも顧みられる事なき無価値な存在に過ぎなかったではないか。唯美しいだけの女などこの世には幾らでも居る。戦わぬ己に己として何の値打ちがあろうか。
「……ええい!」
アルキリーレは僅かの間顔を覆った。気合声を発し、心を封じる。男装をしていた頃のように、己の心を封じるのは得意なのだ。
己を強いて気合を入れ、つかつかとアルキリーレは歩んだ。フロレンシア市内に宿泊するレーマリア首脳部と作戦会議を行う為に。
「戦の話ばすっど」
フロレンシア市庁舎内の会議室で待っていたカエストゥス、ペルロ、レオルロ、チェレンティ、アントニクスに、アルキリーレは入るなり軍略について話し始めた。
「俺が考えらるる手は三つじゃっど。一つは軍を三つに分けて一つを隠し、残り二つにより首都ルームとフロレンシアん二箇所でん籠城。どっちかを敵が全員で包囲すりゃ残りが後ろを突いて助ける。敵が二つに分かれ同時に包囲すりゃ、敵ん皇帝がおる所ば隠れた軍が急襲しこいを討つ。二つは属州と領土ん大半ば放棄する事んして第四・第五国家軍団ば呼び寄せてん北西レーマリアのみん保持を目的とした徹底持久抗戦。三つ目は、フロレンシアん住民ば全員首都ルームに逃し地方軍団を合流させた戦力んより敵軍とん野戦決戦にごわす。無論、どれにもリスクはあっどん、これからそいを説明すっによって……」
「アルキリーレ」
それを、カエストゥスが制止した。
「……話がある」
さしも豪胆なアルキリーレも、チェス盤の外から駒を毟り取られるような逆転窮地に、フロレンシア郊外で血腥い戦場跡の夜風に吹かれながら苦虫を噛み潰していた。
ネアンパニウム・アクアリア占拠により大量の物資を会得した東吼軍は今や現地調達の頸木から解き放たれて全兵力を結集している。
皇帝メールジュク一世率いる本軍、陸軍長官ズイミシュト率いる第二軍はそれぞれ定数の二万八千と二万一千から攻城戦で兵を減らして二万六千と二万まで落ち込んでいたが、ここに殆ど無傷のまま第三軍と軍大臣アドミリハを見捨てて脱出した皇子将軍マイスィルの騎兵部隊とそれについて脱出した若干数の第三軍残党、アルキリーレが味方の犠牲を低減する為とレーマリア兵の気質の問題もあり撃砕は出来たが殲滅は出来なかった第一軍の残党、更に惨たらしい事に陥落したアクアリアとネアンパニウムで逃げられず捕虜となった者の内人質を取れる敗残兵が肉の盾めいて強制的に徴用された戦奴歩兵、これらを加え減った数を補うどころか本軍と第二軍は寧ろ大きく数を増した。
兵数は膨大。故に皇帝メールジュク一世は、逃げ戻ってきた味方敗残兵と人質を取った捕虜敗残兵に恐ろしい事をした。味方敗残兵には敗北への懲罰と今度こそ最後まで戦うかを問う為に、己が生き延び為に他者を殺し皇帝に仕えられるかを問う為に、そしてその両者達に、共に戦力となり得るかどうかと確かめる為に、部隊毎に互いに殺し合わせ、生き残った者のみを戦奴歩兵として戦力に加えたのだ。
それを行って尚、東吼軍総戦力はこの段階でも実に六万二千五百を数えたという。それが一団となって進撃すれば、阻止する事はレーマリアの戦力では至難極まる。
(こいつらは、何の為に死んだのか)
その容赦の無い敵の数を偵察結果から受け取ったアルキリーレは物思う。
血腥い戦場の風。昔は己が勝ち戦の後であれば芳しくすら思えたそれに、勝ち戦であっても心が痛む。今のアルキリーレは、そこに女の為に普段の倍以上に力を出した愛すべき男達と……思えば敵兵とはいえアルキリーレとしては別段直接恨みのある訳でもない、祖国ではレーマリア程には和気藹々とはしていまいが北摩程に殺伐とはしていなかろう普通の家庭生活もあっただろう男達の人生だったものがぶちまけられている事を身にしみて理解しているからだ。かつて愛を知らず、どうでもよかった自分以外の戦士達の命が、今は苦しく突き刺さる。
そんな命を塵の様に磨り潰す帝国に従い死んだ東吼の兵士達と、そんな非道な帝国に敗北すればここでの壮烈な戦死が無意味となってしまうレーマリアの兵士達と……
「チェースト! 情けないだらしない! 死者ば悼んなら死者に報いんな最低ぞ!」
直後アルキリーレは焼きを揺るがして怒号した。負けた時の事等考えて何とする。死者に報いられぬ事を恐れるくらいなら勝たねばならんのだ!
そう己に喝を入れ、アルキリーレは必死に軍事的思考力を回転させた。
今レーマリアの戦力は、野戦軍は女性中隊込みで二万千五百。首都ルームにいる第三国家軍団残存部隊が女性中隊が語っていた男性志願兵により増強されて三千五百。フロレンシアに残った地方軍団の残存部隊が三千あるが、これはフロレンシアから全住民を首都ルームへ総避難させなければ動かせない。それは残存物資と兵站に強い負担を掛ける事になる。国境を固める残りの国家軍団は南黒と西馳の軍勢を阻む為に動かせなくなった。しかも、もし両地方が本気で属州奪回に動いたら最悪敗れてそのまま本土まで攻め込まれる危険すらあるのだ。
制圧されたアクアリアとネアンパニウムから脱出出来た戦力は……双方合わせて三千と行った所か。海軍の残存部隊も大幅に減った領海を守っているが……
野戦兵力はアクアリア・ネアンパニウム脱出兵力を加え二万四千五百。
首都ルームに籠城か首都郊外で決戦する場合第三国家軍団を加えて二万八千。
フロレンシアから住民を避難させてフロレンシアの兵力も首都決戦員加えれば三万一千と一応過去最大兵力となる。但し、二万八千の場合首都籠城も可能だが、三万一千の場合住民も合わせると籠城は兵糧的に不可能だ。
何より二万八千でも三万一千でも、敵兵力は此方の倍以上で、ここまでの戦で勝ち進んできた手勢は兎も角、負けて落ち延びてきた兵達が何処まで踏ん張れるか。だからといって東吼皇帝のような真似をする心算は無いが。
「こいで、どげんかせんか……」
噛み締めるように唸る。更にアルキリーレの心には先の戦いで溜まった澱がある。
(……これは軟弱な感傷か、それとも心の芽生えか……)
先の戦い。重連弩機を手にして撃ちまくった時。確かに車撃ちという新戦術を確立したという思いと、レオルロの発明が我が手で活躍したという感慨、不利なレーマリアにはこれが必要だという考えがあったのだが。
……この武器は余りにも卑劣なほど一方的に殺せすぎるという、恐怖と嫌悪に近い感情もまた己の内にあった事をアルキリーレは認めた。
歯車を回し、引金を引き、動かすだけで人が死ぬ。人が。
(嗚呼!私はそれをかつてただ単に敵と呼んでいたのに!)
アントニクスに語った、昔より戦いの中での殺しに罪悪感を感じ、速さが衰えているという自覚。それが、戦場でたっぷりの血を浴びて更に重くのしかかっている。
弱兵のレーマリアを背負い己が命賭けて戦わねば国が滅び好ましい男共も平和に守られた女達も皆死ぬか塗炭の苦しみに堕ちる。そう思えばこそこれまでその新しい弱点にそこまで縛られる事無く戦ってこいれた。
だが己の手で鉈薙刀を振るうのとあれは違うと感じた。直接己の手に敵の体を感じるか否かという意味で投斧とどう違うと己に問うたが、やはり己の手で振るって投擲した武器と、まるで走るだけのような足の動作と指先の動きだけでの殺戮には、己が非文明的な北摩人だからそう感じるのか、それとも殺し合ってばかりの真性の北摩人ならばそう感じず様々な文化や文明や人の心に触れてきた己だからこそ感じるのか、いずれにせよ確かな違和感を覚えて。
「……いけんのう、厄介な。今更哀れも駄目だも俺にあるとか。情けない……」
覚えた違和感が拡大する。お前は、直接手に掛ければよいとでも思っているのかと。数えきれぬほどその手とその命令で殺し多事には罪の意識を覚えぬ心かと。
罪の意識を覚えてしまえば誰も救えぬと胸の内に吼えれば、己を恐怖する東吼兵の目が蘇る。罪を罪とも思わぬ、そんな恐ろしい己を……いつか味方すらああいう目で見る日が絶対に来ないという保障があるだろうか?
だが同時に過去を思う。バルミニウス・ゲツマン・ヘルラスとして戦うより前、己は誰にも顧みられる事なき無価値な存在に過ぎなかったではないか。唯美しいだけの女などこの世には幾らでも居る。戦わぬ己に己として何の値打ちがあろうか。
「……ええい!」
アルキリーレは僅かの間顔を覆った。気合声を発し、心を封じる。男装をしていた頃のように、己の心を封じるのは得意なのだ。
己を強いて気合を入れ、つかつかとアルキリーレは歩んだ。フロレンシア市内に宿泊するレーマリア首脳部と作戦会議を行う為に。
「戦の話ばすっど」
フロレンシア市庁舎内の会議室で待っていたカエストゥス、ペルロ、レオルロ、チェレンティ、アントニクスに、アルキリーレは入るなり軍略について話し始めた。
「俺が考えらるる手は三つじゃっど。一つは軍を三つに分けて一つを隠し、残り二つにより首都ルームとフロレンシアん二箇所でん籠城。どっちかを敵が全員で包囲すりゃ残りが後ろを突いて助ける。敵が二つに分かれ同時に包囲すりゃ、敵ん皇帝がおる所ば隠れた軍が急襲しこいを討つ。二つは属州と領土ん大半ば放棄する事んして第四・第五国家軍団ば呼び寄せてん北西レーマリアのみん保持を目的とした徹底持久抗戦。三つ目は、フロレンシアん住民ば全員首都ルームに逃し地方軍団を合流させた戦力んより敵軍とん野戦決戦にごわす。無論、どれにもリスクはあっどん、これからそいを説明すっによって……」
「アルキリーレ」
それを、カエストゥスが制止した。
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