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・第三十四話「闘技場事件後始末の事(後編)」

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 ガチャッ。

 扉を開けて現れたのは、赤毛をひっつめて結ったややふくよかな中年の女性だった。胴はずんぐりしているが、目鼻立ちは表情は如何にも気が強そうだがすっと整っていて胸回りも胴に対して大きく、若い頃は美人だったのではないかと思わせる。如何にも主婦然とした格好で三角巾被ってエプロンを着け、背中に庭掃除等に用いると思しき屑籠を背負ってそこに本だの巻物を沢山突っ込んでおり、手には片手に松明、片手にごん太の麺棒。エプロンを結んだ紐に、鞘突きのペティナイフ。

「えっ? 誰じゃ?」

 アルキリーレが一瞬当惑する程場違いな人物と見えた。

「……母上マードレ!?」
「母ァ!?」

 だが直後チェレンティが呻くように発した言葉には、当惑どころか驚愕であった。

(ルレジア、ええと、ルレジア・ボルゾ!? チェレンティの母親!? いや、少しは聞いていたが、その、イメージが……!?)

 闘技場コロセウムに行く前にあり程度調べていた分と、闘技場コロセウムから移動する間に少し聞いた分と、ボルゾ家の家庭の事情をアルキリーレは以前より詳しくは知っていた。一時期威迫者マヒアスに乗っ取られそうになって、酷く苦労させられていた事。そこから来る薄幸の女性というイメージと、眼前に現れた姿が正反対で。

「この馬鹿ったれっ!!」
「ぐはあっ!?」
「殴ったーっ!?」

 麺棒を握ったままの拳でルレジアがチェレンティを、アルキリーレとて暗器を隠しているからと警戒していた相手をつかつかと近づいて無造作にぶん殴り抜いた!モロに食らって床に沈むチェレンティ! アルキリーレ、驚愕!

(((アルキリーレがあんなに驚くの初めて見た!?)))

 豪胆なアルキリーレの狼狽ギャグ顔に、カエストゥス・ペルロ・レオルロの男三人は驚愕した。いや、ルレジアさんの行いにも驚いたがそれ以上に。

 尚この場にいる男あと一人のチェレンティはぶっ飛ばされてそれどころでは無かった。床を転げ回った後、頬と顎を押さえて悶絶している。少なくとも頬の内側を切って血が出たのは明白で、下手すれば歯か顎にダメージが入ったかもしれない。

「……アンタがアタシの事、気遣って、悲しく思って、だから世の中を変えようとしたのは分かる。分かるがこんな人様に迷惑掛けていい訳があるか馬鹿息子・・・・!」

 チェレンティの陰謀を母親が叱る子供の悪事として問答無用に収めてしまう理不尽で一方的だが母親らしい言葉を降らせると、ルレシアはカエストゥスとペルロの二人に向き直った。

執政官コンスルさん、教帝さん。言われたとおり息子は説得するよ。チェレチェレンティ、こうなったら大人しくできる限り協力して死刑にならないように取引をし。アンタはきっとお国の役に立つ子なんだから。……そして、説得するように言われてきたアタシだが、息子が死刑に値する事をした事は知ってる。だが、アタシは母親だ。息子を守れる限り守る。アタシが背負ってるコイツは、息子が丹精込めて集めた東吼トルク相手の情報、威迫者マヒアス共の名簿だ。今後のお国の政治に必要不可欠なもんだろ。息子の命を助けてくれるんならこいつを大人しく渡すしアタシが代わりに死んでやったっていい。だが息子を死刑にするんなら、この場で背負った書類に松明突っ込んで、あんたらを麺棒でどついた後喉突いて死んでやるが、さあ、どうするね」
「ちょっ……」
「おい、どうするんだ我が友」

 チェレンティを説き伏せる為の手段として呼んだ筈の相手に、気がつけばこっちが説き伏せられそうになっている。それも結構力業的に。カエストゥスは慌て、慌てるカエストゥスに困惑顔でペルロは問うた。

「っ、母上マードレ……」

 床で悶絶しながらという格好の付かない姿勢だが、チェレンティが呻いた。

「男としての誇りが死にそうです……」
「この程度で死ぬくらいの誇りなら、ぶち殺してやった方が慈悲ってもんさ!」

 抗議はルレシアにべもなく拒絶された。流石にカエストゥスもペルロもレオルロもチェレンティの事が可哀想になった。

「……アンタがアタシの事、ずっと気にしてて、その分も頑張ろうとしてたのは、アタシが誰より知ってるよ。だからアタシも発奮して元気になったんだ」
母上マードレ……ッ」

 だが、続くルレシアの言葉は、彼女の力の理由で、そして、明らかにチェレンティにとっての救いであった。チェレンティが野心に突き進んだ理由、荒んだ家庭の克服は、野望が及ばずとも成し遂げられていた、確かに良き事も出来ていたんのだ、と。

「分かりました。この身を委ねます」

 力の抜けた表情でチェレンティはもがく事を止めて床に横たわった。

 だが、直後、この混沌とした状況に最大の異常事態がぶちかまされたのだった。

「おや、お嬢ちゃん、あんたどうしたんだい!?」

 ルレシアがはっと気づいて心配を口にする。アルキリーレの顔を見てだ。

「「「!?」」」
「……!」

 それを見て、カエストゥスもペルロもレオルロも驚愕した。チェレンティもだ。

 ……アルキリーレは、泣いていた。ハラハラと涙を流して、悔しげに、悲しげに、切なげに……己が惨めである事に改めて気づかされたと、奥歯を食いしばって涙をこぼしていた。

私はあたやだいにも守ってもろた事なんち無かった。父も兄も私をあたよったくっか無視するかしかせんかった。母様かかさーにも、なんも守ってくれんかった。母は、父にたるっ事だけば恐れて、あたいたれてもずっと隠れっいた……」

 皆、息を呑んだ。アルキリーレは言っていた。チェレンティは己に似ていると。だから、チェレンティには彼の身を案じてくれる母が居たのに、己の事を案じてくれる人が本当に誰もいなかった事……実の母ですら! ……改めて気づかされたそれが、男装の偽王として繕い続けた口調すら揺らぐ程にアルキリーレを打ちのめしたのだ。

「羨ましか、妬ましか……私はあたや浅ましか、恥ずかしか……」

 アルキリーレは不意に襲ってきた感情の奔流に、耐えきれず顔を覆った。直後。

「「「アルキリーレっ!!」」」

 アルキリーレは抱きしめられた。カエストゥスの手によって。ペルロの手によって。レオルロの手によって。つまりその、三人が反射的にいっぺんに抱きしめようと突っ込んだのだ。結果。

「ぐふっ!?」
「「「ああっ!?」」」

 三人に纏めて強く抱きしめられたアルキリーレは、精神集中が乱れて神秘による身体能力強化を行う余裕も無かっただけに、押し競饅頭の中心に潰れる格好になって呻いた。これにはカエストゥス、ペルロ、レオルロ三人そろって悲鳴である。

「やれやれ、全く何やってんだい」
「彼女が苦しんでるだろ、離してやれ、ほら、順番に」

 男共がしないなら自分が抱きしめようと思っていたが三人が先走り過ぎた結果にルレシアが呆れ、生まれたての小鹿めいた状態で何とか立ち上がったチェレンティが交通整理めいて男三人を引きはがす中。

「ふ、ふふ、あははっ……!」

 アルキリーレは、今度は笑った。やけくそでも狂気でもない。ただ、悲嘆に暮れた先に、感情が高ぶりすぎたタイミングでこの滑稽が来て、思わず笑ってしまって。押し競饅頭めいた体温とこの滑稽な状況が、とても面白く暖かく、悲しみを祓ってくれて、おかしくてたまらなかったのだ。

「あははっ、はあ……ありがとうなあいがとごあす

 だからこの滑稽さが今は、アルキリーレを癒した。後半笑いすぎで息が詰まって出た涙を拭うと、慌てて離れた皆に対してアルキリーレは礼を言い。

 そんな彼女の姿は、その場の男達にそれぞれ異なった消えない印象を残した。

 それにより彼女と彼らの関係はここから先更に変化していく事になるのだが。

「……一先ずチェレンティ君とそれに付き従った者達の処遇については、命を留め、罪を償うとしてもその才を生かす形という事で」

 ペルロは一先ず場をそう纏めた。アルキリーレが戦闘をする精神状態で無い今、その、なんだ。恥ずかしながらだがペルロとカエストゥスとレオルロが束になって掛かってもルレジアおばさんに勝てる気がしないのだ。麺棒で三人ともどたまを張り倒されてしまうと、割と切実に理解出来た。

「ああ」

 カエストゥスがそれに頷き。

「……感謝する」
「あんがとうねえ」

 チェレンティも答え、すぐにルレシアが続いた事に恥ずかしそうにした。

 かくして闘技場コロセウム事件に関しては、チェレンティ等については恩赦と司法取引を最大限活用する事、労働奉仕刑能力に合う労役をさせる刑を基本方針として対応する事が決定されたのであった。


 ここからは、歴史と運命が新たな戦い、迫り来る不可避の東吼トルク帝国との戦争に進んでいくまでの束の間。

 男達と女の交流の物語が暫時続く事となる。
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