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・第十七話「蛮姫入浴し毒牙と戦い己の内面を考えさせられる事(後編)」

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「っ、アルキリーレ!?」

 浴場テルマエから響き渡る悲鳴と水音。聞きつけてカエストゥスは何事があったかと即座に立ち上がり、走り。

「アルキリーうわあああああっ!?」
小僧ちごか!? ば何人も囲っちょるんじゃろうが、おたついとる場合では無か!?」

 浴場に駆けつけたら裸で立つアルキリーレ。咄嗟に両目を隠したカエストゥスは、そのまま濡れた浴場の床で足を滑らせ盛大に転倒した。

「女性との合意の上でしか裸は見ない主義だっ!」
「じゃけ合意するから早よ目ぇ開きぃ!」

 落ち着いて考えれば家に誘った時の会話からも練兵の時の会話からもさして恥じらいのあるタイプでは無かったか、とアルキリーレの一括に思いながらもカエストゥスは目を開いて。

(……なんと)

 思いも寄らぬ光景に息を呑んだ。いや、想像が及ぶべきだったか。

 恥じらいも無く立つアルキリーレの裸身には幾つもの古傷があった。思えば戦乱の地たる北摩ホクマで戦い続けていたならば必然か。寧ろ、顔に傷が無いのが不思議と言うべきかもしれなかった。

おいの裸なんぞ見とってどうすると」

 平然とアルキリーレが言う理由はそれか。恥じらいのない理由はそれか。美女を見慣れた身のカエストゥスからすれば己など魅力を感じる対象では無かろうと? 違う、痛ましく思えど醜いなど思うものか。さながら戦に磨かれた名剣だと言ってもいい。

「違う違う、こっちじゃこっち。刺客じゃ。二人とも指輪に毒針ば仕込んじょる。狙い通りじゃ。言ったろう、獅子はでんと構えて獲物が来るのを待つと」
「何だって!?」

 そうカエストゥスが言おうとした所にぶつけられる衝撃。何重もの意味の篭もった「何だって!?」だった。アルキリーレの足下に裸の女性が二人倒れている。見ればこれはカサベラ嬢の妹と……!?

「ね、狙い通りとは!?」
お主おまんさば狙うた刺客ん主は、お主おまんさを追い落とそうとして失敗しくじいした。そこでそけおいが新しゅう相談役となって兵子へこば鍛えはじめたや刺客ん主はどうすっど?」
「次の手を打つ……」

 すぐ理解したカエストゥスにアルキリーレは裸のまま平然と頷く。

「そうじゃ。おいは別ん手を打つ必要は無かったと。兵を鍛えちょりゃ、相手ん方が自分から尻尾ば出してくっちゅう訳じゃ」

 練兵と国内統一の準備を、秘密裏に進めない練兵だけで一手で同時に進めていたのだアルキリーレは、と、舌を巻くカエストゥスだったが、次の一手は聞き捨てならなかった。

「さて、情報ば絞るちすっか。そん為にわざわざ毒ば飲ません責める場所を残さんと当て身にしたとじゃ。前の刺客はお主おまんさを狙うたもんじゃったが、こいつらあいどんおいば狙うた。おいの好きにしても良かろ?」
「っ、ま、待ってくれ! イテリーナはカサベラの妹で……君もイテリーナとは仲良くしているだろう!? 友人、だろう!?」

 前回は他人の命の事情だったがそうではない。今回は違う。手がかりを捕まえた以上、今度こそ尋問、いや拷問してでも吐かせる。アルキリーレは北摩ホクマの理屈で二人の命は己のものだと宣言した。

 だがそれはあまりに非情だ。カエストゥスは愛する人の家族を守る為にも、折角アルキリーレが得た日常を守る為にもそれは駄目だと踏みとどまらせようとした。

「……」

 その言葉にアルキリーレは湯船で物思いしていた事を反芻した。或いは多少逆上のぼせて昔の気質に回帰していたのかもしれない。奇妙な苛立ちと悩みと違和感と不快感が胸に渦巻いていた。だがしかし言わねばならぬと思った。

 これから行くのは、日常では無く戦場なのだぞと。

「どうかのう」

 ぼそり呟いた。

「友人の妹が敵なら、友は敵か否か、信じられるか否か。仮に友が敵では無く、敵を憎んで友を憎まずとしても、友においを憎まん保証があるじゃろうか。お主おまんさはどう思う? おいば憎むか? 昼に遊んだ兵も戦ばすれば何人かは死ぬじゃろう。あいつらもおいを憎むじゃろう。そん時はお前わいおいを憎むじゃろうか? 易しく尋ねて情報を得られればよいが、そっが理由で情報ば得られんかった結果兵子へこの命ば取りこぼした時お前わいはどうすっと?」
「なっ……」

 分からない感情がある。分からない感情に則ってカエストゥスも皆も動いている。それに、奇妙にアルキリーレの心はざわついた。これまで堪えていたざわつきの一端が、揺れる湯船の波が洗い場を濡らすように滲んだ。それだけで、薔薇風呂が黒きロトスの沼めいて寒々しく感じられた。

 過去ならば、容赦なく敵と味方と味方のふりをした敵を峻別し敵を排除していった。刺客に命を狙われ、そんな殺すか殺されるかの頃の己が蘇っているのを感じる。……だが、そんな昔の己に、今の己がどこかで違和感を、あるいは嫌悪を覚えていた。それが、不可解で不愉快だった。纏わり付く柔らかく暖かい何か。それが邪魔に思えて、だが振り払うべきか分からなくて。カエストゥスやカザベラとの友情が、大事で、だけど不安で。そんな己をアルキリーレはカエストゥスに問う。どう思うと。まるで距離が開けば纏わり付く何かを振り払えると思うように……本当に振り払いたいのかも分からないままに。

「それは」

 それは正に不可避の問いであった。薄々感じていたアルキリーレの欠落と向かい合うとしても、これから戦というものと向かい合うとしても。カエストゥスにこれまで向かい合えていなかった問いであった。生きるか死ぬかの暮らしを続けていた、そして裏切られたアルキリーレが抱える、愛や友情や平和に対する隔絶、心の傷と闇。

「それでも、私は……!」

 それはカエストゥス・リウスという柔弱な男の罪だ。だが何れ罰を受けるとしても罪と向かい合わなければ始まらないし、それでもアルキリーレは救いたい。

 故に何としてでもカエストゥスはその問いに対して答えを生み出そうとした。


 答えは予想外の方向から来た。

「ぼぼぼ坊ちゃまじゃなかった旦那様うわあああああああっ!?」
「セバスティアヌス!?」
小僧ちごか!? 曾孫が居そうな歳しとるじゃろが、おたついてどうしたと!?」

 目が隠れる程のもじゃもじゃの眉毛と長い髭をした一応居ないわけではないリウス家に出入りする家族ぐるみの付き合いがある幼馴染みの女学者ハイユが連れている彼女に仕える執事セバスティアヌスが駆け込んできた。そして老執事が昔馴染のリウスの当主をつい昔の呼び方で呼びそうになりながら浴場に駆けつけたら裸で立つアルキリーレ。咄嗟に両目を隠したセバスティアヌスは、そのまま濡れた浴場の床で足を滑らせ派手に転倒した。

「孫は居りますが曾孫まではおりませぬし私は妻に操を立てた身でございまする! そっそっそ、それより!」

 何を主従で繰り返しボケてんどんしてやがると呆れかけるアルキリーレにレーマリア人らしからぬ純情なセバスティアヌスが告げた情報は、アルキリーレの毒気を抜くものであった。

「負傷した東吼トルク人の男が一人、命を懸けてでも伝えたき事があると。そっそっそれが畏れ多くも以前旦那様を狙った刺客の生き残りで、救われた恩を返すと手傷だらけでやってきまして……!」
「「何!?」」

 アルキリーレとカエストゥス、二人ぴったり息を揃えたように同じタイミングでセバスティアヌスを見て同じタイミングで叫んだ。そして。

「……はははははは!」

 アルキリーレはからからと笑った。何処か悪夢から覚めたように嬉しげに……あるいは、今暫くは夢を見られる、という、真逆の意味かもしれないが。

お主おまんさの大慈悲心が勝ったの! 今回はここまでじゃ、おいは湯冷めせぬよう暖まり直してから行く故、話を聞く場を整えておいたもんせ!」

 お前の慈愛が情報を手繰り寄せるならば、拷問はする必要が無い。実際そうなった以上、この問答はお前の勝ちだカエストゥス。

 そう言うとアルキリーレは、さぱっと問答を切り上げて背を向けると、ざんぶと薔薇風呂に飛び込み直した。今はもう、底に黒いロトスの沼の気配は無い。

「……」

 一息つきながらも、カエストゥスは己が向き合わなければならぬものを改めて認識していた。嫌が応にも、だが、向き合った上で成長し突破せねばならぬと誓う。

 それは即ち、この現状に対するカエストゥスの勇気チェストの始まりであった。
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