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二章 河童と汁粉

河童と汁粉-14

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◆◆◆

 黄昏時の橋の向こうをひとりの男が渡ってくる。総髪にだらしのない着流し姿。顔は陰ってよく見えない。

 誠吾はギクリとした。誠吾を刺した浪人を思い出したのだ。恐怖ですくみ、思わず俯いた。

(あれからずいぶん経ってんのに、情けねぇ……)

 誠吾は自分が不甲斐なくて悔しかった。
 浪人に刺された事件から四年も経ち、十三だった誠吾は十七歳になっていた。

 元服もすませ、一人前になったつもりだが、心はまだ子どもの頃の傷を引きずっている。

「誠さん」

 聞き慣れた声に、誠吾はホッとして顔を上げた。
 よく見れば、男は大刀を差していない。それどころか小さな女の子を連れていた。

(そうだ、あの浪人は死んだ。生きた人を死んだ男と見間違えるだなんて、これじゃ俺があの浪人と一緒だよ)

 誠吾は自分自身を笑い、ふたりの名を呼んだ。

「冲さん! お鈴!」

 誠吾は満面の笑みで、ふたりのもとまで駆け寄っていった。

「冲さんがお鈴を連れて、こんなところで珍しいな」

 お鈴は嬉しそうに笑う。

「今日は根古屋先生にお寺参りに連れてってもらったんです」
「へぇ、甘いもんでも食わせてもらったかい?」
「はい! お茶屋さんでお団子食べました」

 ご機嫌なお鈴の姿を、根古屋は穏やかな微笑みで眺めている。

 誠吾はそんなふたりのことを本当の親子のようだと思いながら見つめていると、根古屋と目が合った。

 根古屋は気まずそうに話題を変える。

「誠さんはお美津さんのところへ?」
「ああ、今日は命日だったから」
「そうですか」

 そう答える根古屋からも線香の香りがした。

「先生も墓参りだったのかい?」
「私はちょっとした野暮用です」

 根古屋は曖昧に笑って答えた。十徳も着ず、ろくな荷物もないところを見ると往診ではなさそうだった。

 根古屋は自然に行き先を誠吾に合わせ、来た道を戻る。

 お鈴はなにも言わずにそれに従う。

  今日の根古屋はすこしおかしい。理由も言わず、お鈴を寺参りに連れていき、本来ならスタスタと歩く人なのに、この橋の近くでノロノロと過ごしていた。
  誠吾を見つけるなり、橋に向かったところを見ると、誠吾に会うのが目的だったようにも思えてくる。
  
 それなのにたいした話をしないのが不思議だった。
 三人は夕暮れの中、くだらない話をしながら来た道を戻る。
 誠吾がしっかりと八丁堀の土を踏んだところで、根古屋はきびすを返した。

「それじゃ、私はここで」
「おう、またな!」

 誠吾は答える。

 根古屋はなにも答えずに、振り返りもせずにスタスタと神田へと帰って行く。

「ほんと、相変わらず冷てぇな」

 誠吾は独りごちる。しかし、ハタと気がついた。知らず知らずのうちに、あれほど怖ろしかった橋を渡りきっていたのだ。

「もしかして、冲さん……」

(俺が橋を渡れないと見通して、渡らせてくれたのか?)

 誠吾は小さくなる背中に向かって、大声をかけた。

「冲さん! ありがとよ! 今度、汁粉持ってくぜ!」

 しかし、根古屋は振り向かない。かわりにお鈴が振り向いて、小さく手を振った。

 その様子がおかしくて、誠吾は胸の奥がホッコリと温かくなる。気づけばもう脇腹は痛くない。

(また腹が痛んでも、きっと大丈夫な気がするぜ)

 パンと脇腹を叩いてみる。一粒だけ落ちた雨はそれっきり、誠吾を濡らすことはなかった。

「先生、誠吾さんが『ありがとう』だって」

 お鈴は根古屋の袖をツンツンと引っ張った。お鈴の知らないあいだに、くだらない会話の中で、根古屋は誠吾の問題をなにか解決したらしい。

「それより、汁粉を持ってくるそうです。困ったもんですね。玄関につっかえ棒でもしましょうか」

 根古屋は不満げに言う。

(ちゃんと聞こえていたのに無視するところが、先生らしいな)

 根古屋は素直に人の好意を受け取れないところがあるのだと、お鈴は気がついていた。
  
「私はお汁粉好きです」

 お鈴が言えば、根古屋は小さくため息を吐いた。

「では、しかたがないですね。開けておいてあげましょう。誠さんは、甘い物を持ってくるくらいしか能がありませんから」

 意地悪に根古屋が言って、お鈴は笑いながら頷いた。その言葉が本心でないことなどわかっているからだ。

「さぁ、早くうちへ帰りましょうか」

 根古屋がお鈴の背を叩いた。

「はい!」

 お鈴は大きく頷く。
  
 曇天を鳥が群れになって渡っていく。
 行き交う人々も家路を急ぐ。みんな家に帰るのだ。

 お鈴は根古屋と一緒に家路につくことが、なんとも嬉しくて、その喜びを噛みしめた。
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