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面会室に入ると待っていたのはクラリス嬢だった。やはり、彼女の頭上にピンク色のモヤが霞んで見える。
先程より色が濃くなっているようだ。
「婚約破棄いたしましょう」
彼女は、開口一番そう言い放った。
「理由はなんだ」
俺は内心の動揺を悟られないよう、努めて冷静に尋ねる。
「そもそも、わたくしたちの関係は政治的なものでしょう。しかし、弟も生まれ、彼が侯爵家を継ぐことになるでしょう。リド様が私と結婚しても、侯爵家を継ぐことはできません。無意味な関係だとは思いませんか」
「たしかにな」
俺たちは婚約者ではあったが、恋人同士だったことはない。
先程から聞こえているクラリス嬢の声とは正反対の、いつもどおりの冷たい言葉に、俺は少しガッカリとした。
クラリスが俺を好いていないことは知っていたが、俺は彼女に憧れているのだ。
しかし、侯爵家から婚約破棄を申し込まれては、伯爵家のしがない次男ではどうずることもできない。
そもそも、俺と彼女では不釣り合いだったのだ。
(ああ、やっぱり、リド様はわたくしのことなどどうでも良かったのね……)
クラリス嬢の声がまた頭に響いてきた。俺は驚き、彼女を見た。
クラリス嬢は俺を見て、眉間に皺を寄せる。
「なんですの?」
不機嫌そうな冷たい声に、やはり頭に響く声は妄想だったかと思う。
「いや……なんでもない」
「それで、お答えは?」
(怖いわ、わたくしから言い出したことだけれども、リド様に「別れよう」と言われてしまったら……)
またまた、クラリス嬢の声が聞こえて、俺は彼女の顔を見た。
「先程からなんですの? マジマジと顔を見て。淑女に失礼ですわよ」
(きっと泣いてしまうわ。そんな無様な姿を見せくない!)
やはりクラリス嬢の声のように思えた。
しかし、いつもの彼女なら絶対に言わないセリフだ。
いまいち確信が持てない。
「そうか。婚約者殿がそういう言うなら」
俺は試すように言葉を句切った。
クラリスはギュッと下唇を噛んだ。
(堪えるのよ、クラリス! 呪いをかけられた傷物のわたくしなんて、リド様のおそばにいてはいけないわ。お父様は気にするなとおっしゃったけれど、リド様のためにも、私から離れなければ)
「……別れない」
俺がそう続けると、クラリス嬢はバッと顔を上げた。
青い瞳がキラキラと輝いている。
(え!? なんですの? 今、なんておっしゃったの? 別れない……別れないって本当にそうおっしゃったの? 嘘でしょ? 嬉しい! いえ、駄目よ、私の勘違いかもしれないわ! 確認しなければ!)
「……もう一度おっしゃって? 今、別れないと聞こえたのですけれど、聞き間違いですわよね?」
クラリス嬢は不愉快そうに聞いてくる。
どうやら、先程から聞こえているもう一つの声は、クラリス嬢の心の声らしい。
「聞き間違いではない。『別れない』と言ったんだ」
俺はそう答えた。どうしてもつっけんどんな話し方になってしまう。
そんな俺を、彼女は軽蔑しているだろうと思っていたのだ。
しかし。
(本当!? 本当ですの?? うそ、どうして? まさか、リド様がわたくしのことを……。いいえ、そんなわけはないわ。夢を見ては駄目よ? 今までだってリド様が私に好意を向けたことなどなかったもの)
「なぜですの? わたくしのことなど、きょ、興味もございませんでしょう……? いえ、嫌ってらっしゃるはずだわ」
ツンとした言い方ではあるが、動揺が隠せていない。
「嫌いではないし、興味がある」
「止めてください、お戯れを!!」
(嘘でもいい! 嫌われていないだけでも、嬉しいわ! でも、でも……リド様のためにも別れなくてはならないの)
クラリス嬢はキッと俺を睨み上げた。
しかし、その表情と裏腹な心の声がダダ漏れなのである。
「そもそも、この話は侯爵閣下はご存知なのか」
俺が尋ねると、クラリス嬢はたじろいだ。
「父にはわたくしから話します。心配なさらないで」
「婚約者殿が勝手に決めたことならば、なおさら婚約破棄などする理由はない」
「なぜですの? わたくしとあなたは、あ、あ、愛し合っているわけではないでしょう? それにあなたは聖騎士であり、ソードマスター。侯爵家の跡取りでもないわたくしなどと結婚しても得はないでしょう」
(だから、こんな呪われた娘と一緒になって不幸になることはないわ)
いじらしいクラリス嬢の本音が聞こえて、思わず口元が綻びそうになる。しかし、だらしがない顔を見せては軽蔑されると、キュッと表情を硬くした。
クラリス嬢は、ビクと肩を揺らした。
(リド様に睨まれてしまったわ。わたくしの我が儘に怒ってらっしゃるのね?)
俺はシュンとした。
睨んだつもりはなかった。しかし、眼光するどく無愛想な俺は、そうやって怖がられる。
やはり、クラリスがそんな俺を好きだと思うはずはない。なにかの間違いなのだろう。
(でも、そんなお姿も美しいわ……)
続けて聞こえてきた声に、俺は驚きクラリスをマジマジと見つめた。
(はぁぁぁ、その目で見つめられたらおかしくなってしまいそう……。早くここから去らなくてはいけないのに!)
クラリス嬢は俺の視線から逃れるようにうつむいた。
今まで何度か見たことのある表情だ。
エスコートしようと視線を向ければ、いつもこうやって目を逸らした。だから俺は、見られるのも嫌なほど嫌われているのだと思っていたのだ。
しかし、その理由は俺に見られるのは恥ずかしいだけだったのだ。
理由がわかれば、勇気が湧いてくる。
「少なくとも、俺になにか問題があるわけではないのだな? では、この話は聞かなかったことにする」
俺はキッパリと断った。
「あなたにそんなことが言えると思って?」
(だって、だって、別れなければリド様を不幸にするわ。わたくしは『好きな人を殺す』呪いをかけられているんだもの!)
クラリス嬢の声を聞いて、俺の心臓はドキンと跳ねた。
好きな人を殺す呪いのせいで、俺から離れようとしているのであれば、クラリス嬢の好きな人は俺ということになる。
まさか、そんな……。こんな俺を!?
動揺しつつ、クラリス嬢を見た。
(ああっ! だから、そんな瞳で見られては!)
クラリス嬢はフイと顔を背けた。頭上のピンクのもやが色を濃くしている。
もしや、このピンクのモヤが呪いなのではないか? 見えているなら、解くこともできるはずだ。
俺は思い尋ねる。
「婚約者殿。なにかお困りなのではないか」
俺は勇気を出して尋ねてみる。呪いが理由で婚約破棄しようというのなら、呪いを解けば良いのだ。
クラリス嬢は、ビクリと肩をふるわせ、オズオズと俺を見上げた。
いつもは強気な瞳が、弱々しく潤んでいる。
「な、なぜ、そのようなことをおっしゃるの? すべてはわたくしの我が儘ですわ」
「聡明な婚約者殿が、そのような我が儘を意味なく言われるはずがない」
俺はキッパリと答える。
クラリス嬢は俺にこそ冷たい態度を取るが、本来優しく賢い女性だ。
(聡明だなんて……そんなふうに思われていたのね。嬉しい……でも、駄目よ。どうしても別れなくてはいけないの!!)
顔を赤らめ、頬を押さえてうつむくクラリス嬢は、絞り出すように答えた。
「あ、あ、飽きたのですわ……」
(こんなこと言ったら、本当に嫌われてしまうけれど……。リド様が不幸になるくらいなら、わたくしが嫌われたほうがましですわ……)
言葉とは裏腹の思いが、俺の心にヒットする。
クラリス嬢が可愛らしくて可愛らしくて、おかしくなりそうだ。
「俺たちは飽きるほど一緒にいたことなどないはずだが」
ジッとクラリス嬢を見つめると、ピンクのモヤが段々と集約し、色濃く形もはっきりしてきた。逆三角形に近い形だ。
きっと、呪いが発動しようとしているのだろう。
聖騎士であり、ソードマスターである俺は、魔法には他の人よりも敏感なのだ。
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