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2巻
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第四章 『妻としては愛せない』
ところ変わって、ここはフローズヴィトニル侯爵家の執務室である。
神妙な顔をしてソファーに腰かけるブリギッドに、ディアミドは緊張した。
ブリギッドが深刻な顔で話をすることは少ないからだ。
「それで、改まって話とは?」
ディアミドが覚悟を決めて口火を切った。
「あの、離婚なんですけど……」
ブリギッドの第一声に、ディアミドは動揺しガタリと立ち上がった。
「離婚など認めない! 契約はニーシャが王立魔法学園中等部へ入学するまでとなっているはずだ!」
「いえ、今すぐ離婚したいというお話ではなくて、離婚時の契約の確認です」
ブリギッドが不思議そうな顔で答える。
ディアミドはホッとして、ストンとソファーに腰かけた。
「……あ、ああ、契約の確認か……」
「はい。先日いただいた権利書ですが、離婚後も私が経営を続けるにはどうしたらいいですか?」
「離婚後! 離婚後? 離婚するのか!」
またもディアミドは立ち上がる。
「は? だから、ニーシャが大きくなったら、離婚することは決まっていますよね?」
ブリギッドはキョトンとする。
ディアミドは再度座り直した。
「あ、ああ……」
「最近、ブティックと工房の経営が軌道に乗ってきてとっても楽しいんです! だから、離婚後も引き続き経営に関わりたいなと思っているんですけど、離婚時に経営権を買い取ることってできますか?」
ディアミドは複雑な気分になった。
すでに、ブリギッドは離婚の準備を始めているのだ。
「たとえばなんですけど、買い取るならいくらぐらいになりますか?」
将来を夢見てキラキラする瞳で問いかけるブリギッド。
ディアミドはブリギッドが自分とは正反対の未来設計をしているのだなと思うと頭痛がした。
(経営権を売ったら、彼女と俺をつなぐものはニーシャだけになってしまう)
ため息をつき、慎重に考える。
(経営権を盾に離婚を反故にさせようか。しかし、そんなことで、彼女の心は手に入らないだろうな)
ディアミドは愚かではない。契約結婚をむりやり引き延ばしても、それは契約上の関係でしかないことくらいわかっている。
(俺がほしいのは契約の延長ではない。契約に縛られない関係だ。今、正直にそれを告げたらブリギッドは理解してくれるだろうか? 本当の夫婦になりたいと口にしてもよいのだろうか?)
深刻な顔をして悩むディアミドを見て、ブリギッドはため息をついた。
「……やっぱり、ダメですよね?」
落胆するような声に、ディアミドはバッと顔を上げた。
「いや! そうではない!! 経営権はあなたのものだ!」
突然声を張りあげるディアミドに、ブリギッドは目をしばたたかせた。
ディアミドは我に返る。
「無理しなくてもいいんですよ。そもそもこの離婚条件は私にとって都合がよすぎですもの」
肩をすくめ笑うブリギッドを見て、ディアミドは切なくなる。
ブリギッドの願いなら全部かなえてやりたい。離婚条件も惜しくはない。
(俺は離婚したくないんだ。それだけなのだ。今、それを言うべきだ。今言わなくていつ言う!)
緊張で胃がよじれそうに痛い。
喉が渇く。
手のひらが汗ばんでいる。
言葉を紡ごうとする唇が震えていた。モンスターの前でもこんなに弱気になったことはない。
「……ディアミド? 体調が悪いんですか? 顔が赤いですよ」
ブリギッドが手を伸ばして、ディアミドの額に触れた。
ディアミドはヒュッと息を呑み、硬直する。
(ブリギッドは、誰もが恐れる俺を怖がらずに触れてくる。獣性を露わにした俺すら可愛いと言ったんだ。きっと生涯そんな人は現れない。……だからこそ、これ以上を求めて嫌われるのが怖い)
告げようとしていた言葉が、喉に張り付いた。
「熱はないみたいだけど……。ディアミド?」
ブリギッドのまっすぐな瞳がディアミドを見つめる。
清らかで曇りのない光だ。
(彼女は男嫌いのはず。離婚したくないと言ったら、この光は陰るのだろうか。嘘つきだと、俺を軽蔑するだろうか……)
そう思うともうダメだ。
ディアミドは言葉を呑み込んだ。そうして、額に触れているブリギッドの手を優しく取った。
「いや、大丈夫だ。俺のことは気にしないでいい。結婚後に作ったあなたの財産は当然あなたが持つべきだ。財産分与の中に入る」
「いえ、それはさすがに過分です」
苦笑いするブリギッド。
彼女はいつでもそうだ。侯爵夫人という地位にありながら、特権をむやみに使うことはない。そこに好感が持てるが、一線を引かれているような寂しさも感じる。
「侯爵家ではあの程度のものを財産だとは思わない」
「たしかにそうかもしれませんが……」
「気に病むな。不安なら契約書に追記してやるぞ」
ディアミドが言うと、ブリギッドは笑った。
「そんなのいらないです。信用していますから」
その言葉が、どれだけディアミドの心を打つか、ブリギッドは自覚していない。
出会いからして最悪だったふたりだ。
守銭奴と呼ばれ、出会った当初は不信感をむき出しにして、ディアミドに抵抗していたブリギッド。信頼とはほど遠い始まりだった。
(それが今では信用されるようになったのか……)
そもそもブリギッドは独立心が強く、なんでも自分ひとりで背負い込む癖がある。そこが彼女の美徳でもあったが、もどかしくも思っていた。もっと、自分を頼ってほしい。
(思いのほか、うれしいものだな)
自然と口角が上がる。しかし、些細な言葉で喜んでしまうことが気恥ずかしく、ディアミドは思わず口元を手で隠した。
「……ディアミド? やっぱり変ですよ?」
黙りこくったディアミドを見て、ブリギッドが首をかしげる。木漏れ日のように輝く瞳は、純粋にディアミドを心配している。
ディアミドは感情を悟られないよう、うつむいた。
「……ひとつだけ聞いてもいいか?」
カラカラに干からびた喉を押し開ける。
「ええ、どうぞ?」
ブリギッドの声は相変わらず無邪気だ。
「……どうしても……」
「?」
「……離……婚しなくては……いけないか……?」
ディアミドはうつむいたまま、ブリギッドの顔を見ることができない。
「? なんですか? もう一度言ってください」
ディアミドは、勇気を振り絞り尋ねた言葉を聞き逃されて、唇を噛む。
(あえて聞こえないふりをしたのだろうか?)
そう勘ぐってしまい、もう一度などとても聞けない。
息を大きく吸い、頭を振る。気持ちを切り替え、無表情を作り、顔を上げた。
「そんなに仕事が楽しいか?」
今度ははっきりと尋ねる。
「ええ! とっても楽しいです!!」
生き生きとした笑顔の眩しさにディアミドはクラクラする。
侯爵夫人としてパーティーに出るときのブリギッドとは比べものにならないまばゆさだ。
「そうか、そんなに楽しいか」
「はい! 権利書をいただいたときはビックリしたけれど、こんなに楽しいものだったなんて。これもチャンスをくれたディアミドのおかげです。ありがとうございます」
屈託なく微笑むブリギッドを見て、ディアミドまでうれしくなる。
「そうか、喜んでくれているならよかった」
心から出た言葉に、ブリギッドは驚いたように目を瞬かせた。そして、うつむき、はにかんで笑う。
髪で隠れたブリギッドの耳が赤く色づいていることを、ディアミドは知るよしもなかったのだった。
♪ ♪ ♪
それから数週間後。
侯爵家の執務室で仕事をこなしながら、ディアミドは不機嫌だった。イライラして、羽根ペンで紙をつついている。
最近ブリギッドは編物工房やブティックへ日参し、屋敷を留守にすることが多い。今日はニーシャと似たような服装をして出かけていった。
ブリギッドの美しさが引き立てられるとともに、ニーシャはとても愛くるしかった。目にも眩しいその姿は、まさに理想の母子そのものである。
それだけに同じ家族でありながら、自分だけが仲間はずれのような気がしてくる。
「何が『親子コーデ』だ」
ディアミドはふてくされていた。
「それにしても、工房やブティックに行きすぎではないか? 経営の専門家を雇ったと聞いた。あとは任せておけばいいはずだ」
「奥様は何事にも一生懸命、猪突猛進ですから、人任せにはできないのでしょう」
執事が笑いながら答える。
「貴族が平民の仕事を奪うと嫌われるぞ」
「そのあたりはよいさじ加減のようで。奥様は、相談をなさるだけで命令はせず、実務はお任せなのだとか。みなさん奥様とお坊ちゃまをお待ちかねのようです」
「お前までブリギッドの味方なのか」
「何をおっしゃいます。旦那様が第一でございますよ。でも、旦那様も奥様がそういう方だからこそ、ご好意を持っておられるのでしょう?」
柔らかく見つめられて、ディアミドはガリガリと頭をかいた。
「お前にはかなわないな……」
苦笑いとともに、長い息を吐いた。
「そんなに心配なら様子を見に行ってみたらよろしいではないですか。今日はお坊ちゃまと一緒にブティック・ケニーへいらしたはずですよ」
「ブティック・ケニーか……」
ディアミドは不愉快な気持ちで顔をしかめた。
ブティック・ケニーは新興のブティックだ。立地がよく、人気もある。
高級な既製服を扱う店で、最近力をつけてきた豊かな平民たちに人気だという。老舗の仕立屋では門前払いされる平民でも、ブティック・ケニーの既製服ならいつでも買える。
しかも既製品といっても、品質はよく金額も高く大量生産でもないため、価値が高く観劇やパーティーにも着ていくことができるのだ。
元店主の評判もよかったことから、経営権を手に入れたのだが、今となっては評判のよい男のことが気にかかる。
(ブティック・ケニーの元店主は美しい男だ。俺よりも年下で、ブリギッドと年も近い。優しく人当たりがいいと噂だ。男嫌いのブリギッドも、中性的な彼ならば警戒しないかも知れないな)
そう考えたら、手に力が入る。羽根ペンがボキリと折れた。
執事は驚き、思わず肩を揺らした。
「……旦那様?」
ディアミドはガバリと立ち上がった。
執事はその勢いにおののいて、一歩、後ろに下がる。
「行ってくる」
仲良く笑い合うブリギッドとケニスの姿を想像したら、いても立ってもいられない。
「ご旦那様、どちらへ」
「市街地の見回りだ」
「元帥閣下自らですか?」
執事の問いには答えずに、ディアミドは執務室をあとにした。
ディアミドはブティック・ケニーのある商業エリアに来た。市街地の見回りという名の、敵情視察である。
賑やかな街角、華やかで浮かれた人々。明るく幸せなムードが漂っている。
少し離れた場所でブティック・ケニーを眺めてみる。店はそれなりに賑わっているようだ。ディアミドは店のドアを開けた。
煌びやかなドレスがズラリと並び、帽子や靴、鞄などの小物もある。販売員たちはお仕着せの制服ではなく、店で扱っている服を着用していた。
(販売物を身につける店員など見たことはないな。きっと、ブリギッドのアイデアにちがいない。こんなことを思いつくのは彼女くらいなものだからな)
ディアミドは感心した。ブリギッドの考えは斬新で、既存の常識にとらわれない。そして行動力があり、誰も思いつかないことを簡単にやってのける。
そんな彼女だからこそ、ディアミドは気になってしかたがないのだ。
ディアミドの登場に、店員も客も驚いた。ディアミドほどの高位貴族が、前触れもなく立ち寄るとは思わなかったからだ。
貴族たちは先に日時を指定し来店するか、自分の屋敷に商人を呼び寄せることが多い。
しかし、ディアミド本人は無頓着だった。
服や買い物に興味がないのだ。服は代々侯爵家が付き合っている老舗の仕立屋に任せっきりで、女性へのプレゼントもブリギッドにしかしたことがない。
そのため、注目されていることに気がつかない。
ディアミドは無言で店内を見回した。そこにはブリギッドもニーシャもいなかった。店長のケニスの姿もない。
(ブリギッドはどこに行ったのだ。まさか、ケニスとふたりきりで?)
ディアミドはいらついた。
その威圧感に周囲は息を呑む。
「いらっしゃいませ、フローズヴィトニル侯爵」
店員が手を揉みながら、ディアミドに近づく。フローズヴィトニル侯爵夫人がオーナーであることを当然知っている。
「店長とオーナーは?」
「奥様ですか?」
ディアミドの顔はボッと赤くなった。ブリギッドを『奥様』と呼ばれ、改めて夫婦であることを実感したのだ。
その様子に周囲はホンワカとする。鉄壁侯爵と呼ばれた王国最強の男が、妻を思って照れているのだ。
「……あ、ああ、俺の妻だ」
ディアミドの答えに、店員は目を細めた。
「でしたら、先ほどお坊ちゃまと店長と一緒に市場調査に行かれましたよ」
すると、ディアミドはバッと出口を振り返った。
「そうか! わかった!」
ディアミドは颯爽と店を出た。そして、店から出てハタと気がつく。
(行き先を聞けばよかったな)
しかし、勢いよく店を出てきた手前、戻って尋ねるのは恥ずかしい。
(市場調査……と言っていたか。ならば、ほかのブティックなのだろう)
ディアミドはそう考え、街の中を歩くことにした。
数店のブティックをのぞき見る。
しかし、ブリギッドの姿はない。目につくのは仲の良さそうなカップルばかりだ。みんな幸せそうな笑顔で歩いている。
ふと、騎士たちが交わしていた噂を思い出した。
最近宮廷では、才ある若い騎士と主人の妻が織りなす恋愛小説が流行しているという。若い騎士が貴婦人を崇拝するところから始まり、最後には禁断の愛へ落ちていくのだ。
(まさか、ブリギッドも……)
気鋭のデザイナーであるケニスと、侯爵夫人であるブリギッド。美しく行動力のあるブリギッドに、ケニスが惚れても不思議ではない。
(だからあんなに離婚後のことを気にしたのか? ケニスのブティックを手放すのが嫌だからだというのなら納得できる)
一度そう考えると不安が押し寄せてくる。
ディアミドはハラハラしつつ、街の中を闇雲に歩き回った。
「きゃぁぁぁん! ニーシャくん、かわいいぃぃ!」
すると、どこからか聞き慣れた奇声が聞こえてきた。
ディアミドはバッと顔を上げ、周囲を見回した。
声が聞こえたのは、最近流行だというカフェのオープンテラスだった。そこにブリギッドの姿が見えた。
(やっと見つけた! ブリギッド!!)
駆け寄ろうと踏みだし、足が凍りついた。
ブリギッドがデレデレと頬を赤らめ、恋する乙女のようにうっとりとしていたのだ。
(なんだ、あの表情は……)
ディアミドは動揺した。
ブリギッドの向かいには、美青年が座っていた。
長い緑の髪を束ねており、中性的な顔つきだ。デザイナーというだけあり、洗練された服装をしている。
ブティック・ケニーの店長、ケニスである。
しかも、ふたりは満ち足りたように微笑み合っているではないか。
ブリギッドは男嫌いで有名で、ニーシャ以外の男には興味がないようだった。事実、ディアミドにも塩対応ばかりだ。
しかし、今はとても楽しげだった。
(男嫌いではなかったのか? やはり、中性的な男なら大丈夫なのか?)
優男であるケニスは、益荒男なディアミドとは正反対の男だった。
胸の奥がズキリと痛む。反射的に建物の陰に身を潜めた。
狼の性質でもある敏感な耳が、ふたりの声を拾う。
「このケーキも可愛らしいですよね。こういう意匠を洋服にも反映できないかしら?」
「さすが、奥様は私のミューズです。たとえば、こんなふうに帽子にするのはいかがでしょう?」
ケニスの言葉にディアミドは耳を疑う。
(ブリギッドをミューズと呼ぶとは! やはり流行の貴婦人への崇拝なのか?)
ディアミドの心臓が早鐘を打つ。
「まぁ、素敵! ケニーのアイデアは素晴らしいわ」
ブリギッドは謙遜も否定もせず、当たり前のように受け入れている。
ニーシャも口を挟まない。
(三人にとって、ブリギッドがミューズなのは自明なのか!? いや、ブリギッドは女神だが、しかし……、なぜブリギッドがケニスを愛称で呼ぶ?)
混乱するディアミドの前で、三人は顔を寄せ楽しそうに語らっている。
「そして、奥様にはヘッドドレスでこのように……」
「ああん、最高ですぅ……!」
キャピキャピと浮かれた様子のブリギッドの声。
柔らかく共感するケニス。
「あのね、だったらね、ここは金色がいいな」
ニーシャが会話に加わる。
「ニーシャ様はお目が高いですね、たしかに金色がよろしいでしょう」
ケニスが同意する。
「ほんと? ケニーに褒められると、僕、うれしい!」
ニーシャが喜ぶと、ブリギッドも喜ぶ。
そんな三人の様子を、周囲の人々も温かい目で見守っている。
「まぁ、仲がよいわね」
「テラスでお絵かきだなんて……」
道行く人々の声が耳に入り、ディアミドは落ち込んだ。
たしかに、三人の会話はとても仲睦まじい。自分と会話をしているときとは雲泥の差だ。
ディアミドは国王軍や聖騎士隊の長として、簡潔に誤解のないよう話す癖がある。どうしても、断定調や命令口調になってしまうのだ。
女性が苦手で関わりを避けてきたこともあり、気の利いた会話などできない。ブリギッドに対しても、つっけんどんな話し方になってしまう。
ニーシャに対しても命令口調ばかりで、おびえさせてしまうこともしばしばだ。
今まではそれを疑問に思わなかった。
ブリギッドは気にしていないようだったし、ニーシャに関しては男なら慣れるべきだと思っていた。
しかし、こうやって楽しそうな三人を目の当たりにすると、いかに自分が高圧的だったか気づかされた。
ディアミドは自分自身を省みる。
体も大きく、声も低い。威圧的なオーラを放ち、周囲からは強面の軍人、鉄壁侯爵と恐れられている。男の中の男だと、騎士たちからは羨望の眼差しを向けられるが、それがブリギッドにとって好ましいことなのかは不明だ。
ケニスはディアミドとは正反対で、体の線は細く、話し方も穏やかである。柔らかでスタイリッシュな雰囲気を持ち、女性的なのだ。
(彼なら、男嫌いのブリギッドでも好感を持つかも知れないな。俺のことはあれほど冷たくあしらうのに、奴の話には盛り上がっていたのがその証拠だ)
ディアミドは意気消沈し、屋敷に戻っていった。
「ブリギッドが浮気をしているかもしれない……」
ディアミドは執務室で、執事にそう零した。
「はて? 浮気とは」
「街のカフェで、デザイナーと逢い引きをしていた」
「仕事の打ち合わせでございましょう?」
「いや、あれは違う! 俺と一緒のときよりも楽しそうだった……」
「それを見て旦那様はおめおめと帰ってこられたのですか?」
「っ! おめおめだと? しかたがないだろう」
執事はため息をつきつつ、コーヒーを置いた。
「たしかにしかたがありませんね。旦那様は奥様への契約書に『妻としては愛せない』と書いておられましたから」
ディアミドはウグゥと喉を鳴らす。
たしかに、そのとおりだ。ふたりのあいだに恋愛感情はない。
いわゆる白い結婚で、ニーシャが王立魔法学園中等部へ入学するまでの契約関係なのだ。
契約結婚を結んだときは、ブリギッドのことをニーシャの継母として最適だと思っただけで、ディアミドのパートナーとして選んだわけではなかった。
ブリギッドもニーシャの継母になりたかっただけで、ディアミドにも侯爵夫人の座にも興味はない。
契約期間がすぎれば、ニーシャとの縁だけを残し、侯爵家から出ていくだろう。
「政略結婚の多い貴族社会では、貴婦人と若い芸術家との恋愛は少なくはありません。奥様がパトロンになられる可能性もあるでしょう」
ところ変わって、ここはフローズヴィトニル侯爵家の執務室である。
神妙な顔をしてソファーに腰かけるブリギッドに、ディアミドは緊張した。
ブリギッドが深刻な顔で話をすることは少ないからだ。
「それで、改まって話とは?」
ディアミドが覚悟を決めて口火を切った。
「あの、離婚なんですけど……」
ブリギッドの第一声に、ディアミドは動揺しガタリと立ち上がった。
「離婚など認めない! 契約はニーシャが王立魔法学園中等部へ入学するまでとなっているはずだ!」
「いえ、今すぐ離婚したいというお話ではなくて、離婚時の契約の確認です」
ブリギッドが不思議そうな顔で答える。
ディアミドはホッとして、ストンとソファーに腰かけた。
「……あ、ああ、契約の確認か……」
「はい。先日いただいた権利書ですが、離婚後も私が経営を続けるにはどうしたらいいですか?」
「離婚後! 離婚後? 離婚するのか!」
またもディアミドは立ち上がる。
「は? だから、ニーシャが大きくなったら、離婚することは決まっていますよね?」
ブリギッドはキョトンとする。
ディアミドは再度座り直した。
「あ、ああ……」
「最近、ブティックと工房の経営が軌道に乗ってきてとっても楽しいんです! だから、離婚後も引き続き経営に関わりたいなと思っているんですけど、離婚時に経営権を買い取ることってできますか?」
ディアミドは複雑な気分になった。
すでに、ブリギッドは離婚の準備を始めているのだ。
「たとえばなんですけど、買い取るならいくらぐらいになりますか?」
将来を夢見てキラキラする瞳で問いかけるブリギッド。
ディアミドはブリギッドが自分とは正反対の未来設計をしているのだなと思うと頭痛がした。
(経営権を売ったら、彼女と俺をつなぐものはニーシャだけになってしまう)
ため息をつき、慎重に考える。
(経営権を盾に離婚を反故にさせようか。しかし、そんなことで、彼女の心は手に入らないだろうな)
ディアミドは愚かではない。契約結婚をむりやり引き延ばしても、それは契約上の関係でしかないことくらいわかっている。
(俺がほしいのは契約の延長ではない。契約に縛られない関係だ。今、正直にそれを告げたらブリギッドは理解してくれるだろうか? 本当の夫婦になりたいと口にしてもよいのだろうか?)
深刻な顔をして悩むディアミドを見て、ブリギッドはため息をついた。
「……やっぱり、ダメですよね?」
落胆するような声に、ディアミドはバッと顔を上げた。
「いや! そうではない!! 経営権はあなたのものだ!」
突然声を張りあげるディアミドに、ブリギッドは目をしばたたかせた。
ディアミドは我に返る。
「無理しなくてもいいんですよ。そもそもこの離婚条件は私にとって都合がよすぎですもの」
肩をすくめ笑うブリギッドを見て、ディアミドは切なくなる。
ブリギッドの願いなら全部かなえてやりたい。離婚条件も惜しくはない。
(俺は離婚したくないんだ。それだけなのだ。今、それを言うべきだ。今言わなくていつ言う!)
緊張で胃がよじれそうに痛い。
喉が渇く。
手のひらが汗ばんでいる。
言葉を紡ごうとする唇が震えていた。モンスターの前でもこんなに弱気になったことはない。
「……ディアミド? 体調が悪いんですか? 顔が赤いですよ」
ブリギッドが手を伸ばして、ディアミドの額に触れた。
ディアミドはヒュッと息を呑み、硬直する。
(ブリギッドは、誰もが恐れる俺を怖がらずに触れてくる。獣性を露わにした俺すら可愛いと言ったんだ。きっと生涯そんな人は現れない。……だからこそ、これ以上を求めて嫌われるのが怖い)
告げようとしていた言葉が、喉に張り付いた。
「熱はないみたいだけど……。ディアミド?」
ブリギッドのまっすぐな瞳がディアミドを見つめる。
清らかで曇りのない光だ。
(彼女は男嫌いのはず。離婚したくないと言ったら、この光は陰るのだろうか。嘘つきだと、俺を軽蔑するだろうか……)
そう思うともうダメだ。
ディアミドは言葉を呑み込んだ。そうして、額に触れているブリギッドの手を優しく取った。
「いや、大丈夫だ。俺のことは気にしないでいい。結婚後に作ったあなたの財産は当然あなたが持つべきだ。財産分与の中に入る」
「いえ、それはさすがに過分です」
苦笑いするブリギッド。
彼女はいつでもそうだ。侯爵夫人という地位にありながら、特権をむやみに使うことはない。そこに好感が持てるが、一線を引かれているような寂しさも感じる。
「侯爵家ではあの程度のものを財産だとは思わない」
「たしかにそうかもしれませんが……」
「気に病むな。不安なら契約書に追記してやるぞ」
ディアミドが言うと、ブリギッドは笑った。
「そんなのいらないです。信用していますから」
その言葉が、どれだけディアミドの心を打つか、ブリギッドは自覚していない。
出会いからして最悪だったふたりだ。
守銭奴と呼ばれ、出会った当初は不信感をむき出しにして、ディアミドに抵抗していたブリギッド。信頼とはほど遠い始まりだった。
(それが今では信用されるようになったのか……)
そもそもブリギッドは独立心が強く、なんでも自分ひとりで背負い込む癖がある。そこが彼女の美徳でもあったが、もどかしくも思っていた。もっと、自分を頼ってほしい。
(思いのほか、うれしいものだな)
自然と口角が上がる。しかし、些細な言葉で喜んでしまうことが気恥ずかしく、ディアミドは思わず口元を手で隠した。
「……ディアミド? やっぱり変ですよ?」
黙りこくったディアミドを見て、ブリギッドが首をかしげる。木漏れ日のように輝く瞳は、純粋にディアミドを心配している。
ディアミドは感情を悟られないよう、うつむいた。
「……ひとつだけ聞いてもいいか?」
カラカラに干からびた喉を押し開ける。
「ええ、どうぞ?」
ブリギッドの声は相変わらず無邪気だ。
「……どうしても……」
「?」
「……離……婚しなくては……いけないか……?」
ディアミドはうつむいたまま、ブリギッドの顔を見ることができない。
「? なんですか? もう一度言ってください」
ディアミドは、勇気を振り絞り尋ねた言葉を聞き逃されて、唇を噛む。
(あえて聞こえないふりをしたのだろうか?)
そう勘ぐってしまい、もう一度などとても聞けない。
息を大きく吸い、頭を振る。気持ちを切り替え、無表情を作り、顔を上げた。
「そんなに仕事が楽しいか?」
今度ははっきりと尋ねる。
「ええ! とっても楽しいです!!」
生き生きとした笑顔の眩しさにディアミドはクラクラする。
侯爵夫人としてパーティーに出るときのブリギッドとは比べものにならないまばゆさだ。
「そうか、そんなに楽しいか」
「はい! 権利書をいただいたときはビックリしたけれど、こんなに楽しいものだったなんて。これもチャンスをくれたディアミドのおかげです。ありがとうございます」
屈託なく微笑むブリギッドを見て、ディアミドまでうれしくなる。
「そうか、喜んでくれているならよかった」
心から出た言葉に、ブリギッドは驚いたように目を瞬かせた。そして、うつむき、はにかんで笑う。
髪で隠れたブリギッドの耳が赤く色づいていることを、ディアミドは知るよしもなかったのだった。
♪ ♪ ♪
それから数週間後。
侯爵家の執務室で仕事をこなしながら、ディアミドは不機嫌だった。イライラして、羽根ペンで紙をつついている。
最近ブリギッドは編物工房やブティックへ日参し、屋敷を留守にすることが多い。今日はニーシャと似たような服装をして出かけていった。
ブリギッドの美しさが引き立てられるとともに、ニーシャはとても愛くるしかった。目にも眩しいその姿は、まさに理想の母子そのものである。
それだけに同じ家族でありながら、自分だけが仲間はずれのような気がしてくる。
「何が『親子コーデ』だ」
ディアミドはふてくされていた。
「それにしても、工房やブティックに行きすぎではないか? 経営の専門家を雇ったと聞いた。あとは任せておけばいいはずだ」
「奥様は何事にも一生懸命、猪突猛進ですから、人任せにはできないのでしょう」
執事が笑いながら答える。
「貴族が平民の仕事を奪うと嫌われるぞ」
「そのあたりはよいさじ加減のようで。奥様は、相談をなさるだけで命令はせず、実務はお任せなのだとか。みなさん奥様とお坊ちゃまをお待ちかねのようです」
「お前までブリギッドの味方なのか」
「何をおっしゃいます。旦那様が第一でございますよ。でも、旦那様も奥様がそういう方だからこそ、ご好意を持っておられるのでしょう?」
柔らかく見つめられて、ディアミドはガリガリと頭をかいた。
「お前にはかなわないな……」
苦笑いとともに、長い息を吐いた。
「そんなに心配なら様子を見に行ってみたらよろしいではないですか。今日はお坊ちゃまと一緒にブティック・ケニーへいらしたはずですよ」
「ブティック・ケニーか……」
ディアミドは不愉快な気持ちで顔をしかめた。
ブティック・ケニーは新興のブティックだ。立地がよく、人気もある。
高級な既製服を扱う店で、最近力をつけてきた豊かな平民たちに人気だという。老舗の仕立屋では門前払いされる平民でも、ブティック・ケニーの既製服ならいつでも買える。
しかも既製品といっても、品質はよく金額も高く大量生産でもないため、価値が高く観劇やパーティーにも着ていくことができるのだ。
元店主の評判もよかったことから、経営権を手に入れたのだが、今となっては評判のよい男のことが気にかかる。
(ブティック・ケニーの元店主は美しい男だ。俺よりも年下で、ブリギッドと年も近い。優しく人当たりがいいと噂だ。男嫌いのブリギッドも、中性的な彼ならば警戒しないかも知れないな)
そう考えたら、手に力が入る。羽根ペンがボキリと折れた。
執事は驚き、思わず肩を揺らした。
「……旦那様?」
ディアミドはガバリと立ち上がった。
執事はその勢いにおののいて、一歩、後ろに下がる。
「行ってくる」
仲良く笑い合うブリギッドとケニスの姿を想像したら、いても立ってもいられない。
「ご旦那様、どちらへ」
「市街地の見回りだ」
「元帥閣下自らですか?」
執事の問いには答えずに、ディアミドは執務室をあとにした。
ディアミドはブティック・ケニーのある商業エリアに来た。市街地の見回りという名の、敵情視察である。
賑やかな街角、華やかで浮かれた人々。明るく幸せなムードが漂っている。
少し離れた場所でブティック・ケニーを眺めてみる。店はそれなりに賑わっているようだ。ディアミドは店のドアを開けた。
煌びやかなドレスがズラリと並び、帽子や靴、鞄などの小物もある。販売員たちはお仕着せの制服ではなく、店で扱っている服を着用していた。
(販売物を身につける店員など見たことはないな。きっと、ブリギッドのアイデアにちがいない。こんなことを思いつくのは彼女くらいなものだからな)
ディアミドは感心した。ブリギッドの考えは斬新で、既存の常識にとらわれない。そして行動力があり、誰も思いつかないことを簡単にやってのける。
そんな彼女だからこそ、ディアミドは気になってしかたがないのだ。
ディアミドの登場に、店員も客も驚いた。ディアミドほどの高位貴族が、前触れもなく立ち寄るとは思わなかったからだ。
貴族たちは先に日時を指定し来店するか、自分の屋敷に商人を呼び寄せることが多い。
しかし、ディアミド本人は無頓着だった。
服や買い物に興味がないのだ。服は代々侯爵家が付き合っている老舗の仕立屋に任せっきりで、女性へのプレゼントもブリギッドにしかしたことがない。
そのため、注目されていることに気がつかない。
ディアミドは無言で店内を見回した。そこにはブリギッドもニーシャもいなかった。店長のケニスの姿もない。
(ブリギッドはどこに行ったのだ。まさか、ケニスとふたりきりで?)
ディアミドはいらついた。
その威圧感に周囲は息を呑む。
「いらっしゃいませ、フローズヴィトニル侯爵」
店員が手を揉みながら、ディアミドに近づく。フローズヴィトニル侯爵夫人がオーナーであることを当然知っている。
「店長とオーナーは?」
「奥様ですか?」
ディアミドの顔はボッと赤くなった。ブリギッドを『奥様』と呼ばれ、改めて夫婦であることを実感したのだ。
その様子に周囲はホンワカとする。鉄壁侯爵と呼ばれた王国最強の男が、妻を思って照れているのだ。
「……あ、ああ、俺の妻だ」
ディアミドの答えに、店員は目を細めた。
「でしたら、先ほどお坊ちゃまと店長と一緒に市場調査に行かれましたよ」
すると、ディアミドはバッと出口を振り返った。
「そうか! わかった!」
ディアミドは颯爽と店を出た。そして、店から出てハタと気がつく。
(行き先を聞けばよかったな)
しかし、勢いよく店を出てきた手前、戻って尋ねるのは恥ずかしい。
(市場調査……と言っていたか。ならば、ほかのブティックなのだろう)
ディアミドはそう考え、街の中を歩くことにした。
数店のブティックをのぞき見る。
しかし、ブリギッドの姿はない。目につくのは仲の良さそうなカップルばかりだ。みんな幸せそうな笑顔で歩いている。
ふと、騎士たちが交わしていた噂を思い出した。
最近宮廷では、才ある若い騎士と主人の妻が織りなす恋愛小説が流行しているという。若い騎士が貴婦人を崇拝するところから始まり、最後には禁断の愛へ落ちていくのだ。
(まさか、ブリギッドも……)
気鋭のデザイナーであるケニスと、侯爵夫人であるブリギッド。美しく行動力のあるブリギッドに、ケニスが惚れても不思議ではない。
(だからあんなに離婚後のことを気にしたのか? ケニスのブティックを手放すのが嫌だからだというのなら納得できる)
一度そう考えると不安が押し寄せてくる。
ディアミドはハラハラしつつ、街の中を闇雲に歩き回った。
「きゃぁぁぁん! ニーシャくん、かわいいぃぃ!」
すると、どこからか聞き慣れた奇声が聞こえてきた。
ディアミドはバッと顔を上げ、周囲を見回した。
声が聞こえたのは、最近流行だというカフェのオープンテラスだった。そこにブリギッドの姿が見えた。
(やっと見つけた! ブリギッド!!)
駆け寄ろうと踏みだし、足が凍りついた。
ブリギッドがデレデレと頬を赤らめ、恋する乙女のようにうっとりとしていたのだ。
(なんだ、あの表情は……)
ディアミドは動揺した。
ブリギッドの向かいには、美青年が座っていた。
長い緑の髪を束ねており、中性的な顔つきだ。デザイナーというだけあり、洗練された服装をしている。
ブティック・ケニーの店長、ケニスである。
しかも、ふたりは満ち足りたように微笑み合っているではないか。
ブリギッドは男嫌いで有名で、ニーシャ以外の男には興味がないようだった。事実、ディアミドにも塩対応ばかりだ。
しかし、今はとても楽しげだった。
(男嫌いではなかったのか? やはり、中性的な男なら大丈夫なのか?)
優男であるケニスは、益荒男なディアミドとは正反対の男だった。
胸の奥がズキリと痛む。反射的に建物の陰に身を潜めた。
狼の性質でもある敏感な耳が、ふたりの声を拾う。
「このケーキも可愛らしいですよね。こういう意匠を洋服にも反映できないかしら?」
「さすが、奥様は私のミューズです。たとえば、こんなふうに帽子にするのはいかがでしょう?」
ケニスの言葉にディアミドは耳を疑う。
(ブリギッドをミューズと呼ぶとは! やはり流行の貴婦人への崇拝なのか?)
ディアミドの心臓が早鐘を打つ。
「まぁ、素敵! ケニーのアイデアは素晴らしいわ」
ブリギッドは謙遜も否定もせず、当たり前のように受け入れている。
ニーシャも口を挟まない。
(三人にとって、ブリギッドがミューズなのは自明なのか!? いや、ブリギッドは女神だが、しかし……、なぜブリギッドがケニスを愛称で呼ぶ?)
混乱するディアミドの前で、三人は顔を寄せ楽しそうに語らっている。
「そして、奥様にはヘッドドレスでこのように……」
「ああん、最高ですぅ……!」
キャピキャピと浮かれた様子のブリギッドの声。
柔らかく共感するケニス。
「あのね、だったらね、ここは金色がいいな」
ニーシャが会話に加わる。
「ニーシャ様はお目が高いですね、たしかに金色がよろしいでしょう」
ケニスが同意する。
「ほんと? ケニーに褒められると、僕、うれしい!」
ニーシャが喜ぶと、ブリギッドも喜ぶ。
そんな三人の様子を、周囲の人々も温かい目で見守っている。
「まぁ、仲がよいわね」
「テラスでお絵かきだなんて……」
道行く人々の声が耳に入り、ディアミドは落ち込んだ。
たしかに、三人の会話はとても仲睦まじい。自分と会話をしているときとは雲泥の差だ。
ディアミドは国王軍や聖騎士隊の長として、簡潔に誤解のないよう話す癖がある。どうしても、断定調や命令口調になってしまうのだ。
女性が苦手で関わりを避けてきたこともあり、気の利いた会話などできない。ブリギッドに対しても、つっけんどんな話し方になってしまう。
ニーシャに対しても命令口調ばかりで、おびえさせてしまうこともしばしばだ。
今まではそれを疑問に思わなかった。
ブリギッドは気にしていないようだったし、ニーシャに関しては男なら慣れるべきだと思っていた。
しかし、こうやって楽しそうな三人を目の当たりにすると、いかに自分が高圧的だったか気づかされた。
ディアミドは自分自身を省みる。
体も大きく、声も低い。威圧的なオーラを放ち、周囲からは強面の軍人、鉄壁侯爵と恐れられている。男の中の男だと、騎士たちからは羨望の眼差しを向けられるが、それがブリギッドにとって好ましいことなのかは不明だ。
ケニスはディアミドとは正反対で、体の線は細く、話し方も穏やかである。柔らかでスタイリッシュな雰囲気を持ち、女性的なのだ。
(彼なら、男嫌いのブリギッドでも好感を持つかも知れないな。俺のことはあれほど冷たくあしらうのに、奴の話には盛り上がっていたのがその証拠だ)
ディアミドは意気消沈し、屋敷に戻っていった。
「ブリギッドが浮気をしているかもしれない……」
ディアミドは執務室で、執事にそう零した。
「はて? 浮気とは」
「街のカフェで、デザイナーと逢い引きをしていた」
「仕事の打ち合わせでございましょう?」
「いや、あれは違う! 俺と一緒のときよりも楽しそうだった……」
「それを見て旦那様はおめおめと帰ってこられたのですか?」
「っ! おめおめだと? しかたがないだろう」
執事はため息をつきつつ、コーヒーを置いた。
「たしかにしかたがありませんね。旦那様は奥様への契約書に『妻としては愛せない』と書いておられましたから」
ディアミドはウグゥと喉を鳴らす。
たしかに、そのとおりだ。ふたりのあいだに恋愛感情はない。
いわゆる白い結婚で、ニーシャが王立魔法学園中等部へ入学するまでの契約関係なのだ。
契約結婚を結んだときは、ブリギッドのことをニーシャの継母として最適だと思っただけで、ディアミドのパートナーとして選んだわけではなかった。
ブリギッドもニーシャの継母になりたかっただけで、ディアミドにも侯爵夫人の座にも興味はない。
契約期間がすぎれば、ニーシャとの縁だけを残し、侯爵家から出ていくだろう。
「政略結婚の多い貴族社会では、貴婦人と若い芸術家との恋愛は少なくはありません。奥様がパトロンになられる可能性もあるでしょう」
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