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第一部

第四十五話 柔らかい月(2)

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「そろそろルナを貸せ! あたしが交渉してくる」

 ズデンカはカミーユに言った。

「えー、もう一緒に少しいても良いでしょ!」

 カミーユは渋る。ふにゃふにゃした柔らかいルナの頭をなでなでしていた。

「そんなにいたいつうなら……仕方ねえな」

 ズデンカは独りで先を歩いた。

 板葺きの古い家並みが続く。ズデンカにとってはお馴染みだ。

 その一つをノックする。

「ここらの者だが」

 もう何十年も使っていない方言を使うことにした。

「ほう、えらく古い言葉遣いだが、まさしくこちらのもんだね」

 細目に扉が開かれて中から老婆の首が出てきた。

「連れの体調が今ひとつでな」

 ズデンカは顎でルナとカミーユをしゃくった。

「はあ……同郷のよしみでベッドぐらいなら用意するが、上方のもんっぽいからねえ」

 老婆は顔を顰めた。

 『上方』とは、トルタニアの東部のものが西部のものを差して言う蔑称だ。『気取り屋』程度の意味も込められている。

「まあ『上方』の者ではあるが悪さはしない。そこはあたしの顔に免じて許してくれ。もちろん金も払う」

 ズデンカは頭を下げた。あまり人に譲歩しないようにしている自分にとっては出来る限りの譲歩だった。

「仕方ないねえ」

 老婆は扉を開け放った。腰が曲がり、随分年を取っていた。それでも、ズデンカよりは若いだろう。 

――老いを免除されていると言うことは幸いなのか呪いなのか。

 そんな思念がちらりと浮かんでしまう。 

「ふにゃあ。たすかったぁ」

 頭に乗せた氷から水滴を滴らせながらルナは上がり込んだ。

 老婆はそれを疎ましそうな目で見続けていた。

「お前の名前は? あたしはズデンカだ」

「あたしゃジュリツァだよ」

「よろしくー。わたしはルナ・ペルッツ」

 とルナは手を振って勝手に奥の部屋まで歩いていって中に入った。

「あー、ルナさーん」

 カミーユが追っかけていった。

「ルナ・ペルッツか。何か聞いたことあるね」

 ジュリツァが言った。

「本を出してる」

 ズデンカは短く言った。

「息子が読んでたね。他の国の言語でだったと記憶してるが。あたしは興味ないけどね」

「息子さんはどうされているんですか?」

 ルナを寝かせたのだろう、戻ってきたカミーユが言った。

「死んだよ」

 そう言ってジュリツァは台所まで歩いていった。

「あ……すみません」

 カミーユは謝った。

――お前まで謝らなくて良いのに。

 ズデンカは思った。

「皆死ぬんだからね。別に悲しくはないさ」

 ジュリツァは薬罐に水を入れて、沸かし始める。

「ちょっとルナを見てくる」

 ズデンカは歩き出した。

「不思議だね。死んだ息子の部屋へ入っていくとは」

 ジュリツァの声が聞こえた。

 部屋の扉も閉めずにルナは寝ていた。

「ふにゃああん」

 柔らかくなったルナがベッドの上でプルプルと震えていた。

「お前ほんと人間か?」

「失礼な。人間だよ。ふにゃ」

「もうゴルダヴァの旅は止めにしたらどうだ。帰ろう」

 ズデンカは思い付いたように言った。

「帰るわけないさ。ここまで来たんだよ?」

「ここからお前の体力じゃ持たなくなるぞ」

「そんなことないよ。何とかやっていけるさ……それより」

 とルナは部屋の中を見渡した。

「なんだ」

「この部屋の前の持ち主、わたしの熱心の読者だったみたいだね」

 確かに書棚にはルナの『綺譚集』があった。

 それも何冊も。
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