399 / 526
第一部
第三十八話 人魚の嘆き(9)
しおりを挟む
「ちょっと言い過ぎちゃいましたかね」
オドラデクがフランツの脇腹を突いた時、部屋の扉が開いて、ファキイルが入ってきた。
その腋には紙包みが一抱えあるきりで、オドラデクとまるで対蹠的だったので、フランツは噴き出してしまった。
「目立たないように移動したか?」
フランツはそこを言い忘れたので、気がかりになっていた。
「歩いていったぞ」
ファキイルは手短に答えた。
「それはよかった」
ファキイルが差し出す包を開けると、解熱剤の瓶が入っていた。
オルランドにいた頃愛用していた懐かしいものだ。
「こんなの頼んでないぞ」
「熱を下げる薬を売っている場所を訊いていたら遅くなった」
――ファキイルなりの配慮か。
フランツはありがたく感じた。
フランツは解熱剤の蓋を開けて、一顆飲んだ。
包みの中には他に橄欖《オリーヴ》の缶詰と、切り分けられたパンが入っていた。
フランツはそれを開けて、皿に橄欖を開けてパンをそれに浸しながら食べた。
「もぐもぐ」
オドラデクも囓っている。
フランツは止めもしないで自分のパンを食べた。
注意する気力も湧かないし、食欲もさほどなかったからだ。
腹はすぐにくちくなった。
「一人で大丈夫だったか?」
フランツはファキイルに訊いた。
「問題なかった」
相変わらずファキイルは手短に答える。
「我は子供ではないからな」
ファキイルなりのユーモアを感じ取りながらフランツは横になった。
もう、寒気はしない。
「フランツさんが刺青をした時の話をしてくれましたよ」
オドラデクは自慢げに言った。先に情報を手に入れた者の強みというわけだろう。
「どんな風だったか?」
ファキイルは表情を変えずに訊いた。
「人魚が墨になってそれを使って彫ったのだそうですよ」
「面白いな」
「何でも、人魚はある人に恋をして、その人を失って嘆きながら死んでいったようなんですよ」
「人魚の友は我にもいたぞ」
「ほんとうか?」
ガバリと毛布をもたげてフランツは起き上がった。
訊きたがっていた真実の方から突然目の前に飛び込んでくるとは。
「うむ。確か恋をしたという話を訊いた覚えがある」
「詳しく、詳しく話してくれ」
フランツは二回繰り返しながら言った。
「あまり覚えていない。だが、北のあたりだったと記憶している。近くに大きな国があって、そこの一族と海に旅した時に出会ったとか」
ファキイルにしては長めに説明していた。それほど印象に残った事件だったのか。
「それだけじゃなんともだ、他に思い出せないか」
「思い出せない。その時は覚えていたのだが」
ファキイルは黙ってしまった。
大体ファキイルは訪れた地域や人の名前をそこまではっきり記憶しているたちではない。過去のことは綺麗さっぱり忘れることにしているようだ。
今でこそフランツもオドラデクも名前を覚えられているが、百年後も確実に生きているだろうファキイルに覚えられている自信はなかった。
フランツは不満だった。
「少しわかっただけで良いじゃないですか」
オドラデクは微笑んだ。
「俺は謎は嫌いだ。全部わかる方がいい」
「贅沢言わない。じゃあ、この件がすんだら北へ行きますか?」
オドラデクがまた顔を覗き込んできた。
それをはねのけて、また毛布に潜り込むフランツだった。
オドラデクがフランツの脇腹を突いた時、部屋の扉が開いて、ファキイルが入ってきた。
その腋には紙包みが一抱えあるきりで、オドラデクとまるで対蹠的だったので、フランツは噴き出してしまった。
「目立たないように移動したか?」
フランツはそこを言い忘れたので、気がかりになっていた。
「歩いていったぞ」
ファキイルは手短に答えた。
「それはよかった」
ファキイルが差し出す包を開けると、解熱剤の瓶が入っていた。
オルランドにいた頃愛用していた懐かしいものだ。
「こんなの頼んでないぞ」
「熱を下げる薬を売っている場所を訊いていたら遅くなった」
――ファキイルなりの配慮か。
フランツはありがたく感じた。
フランツは解熱剤の蓋を開けて、一顆飲んだ。
包みの中には他に橄欖《オリーヴ》の缶詰と、切り分けられたパンが入っていた。
フランツはそれを開けて、皿に橄欖を開けてパンをそれに浸しながら食べた。
「もぐもぐ」
オドラデクも囓っている。
フランツは止めもしないで自分のパンを食べた。
注意する気力も湧かないし、食欲もさほどなかったからだ。
腹はすぐにくちくなった。
「一人で大丈夫だったか?」
フランツはファキイルに訊いた。
「問題なかった」
相変わらずファキイルは手短に答える。
「我は子供ではないからな」
ファキイルなりのユーモアを感じ取りながらフランツは横になった。
もう、寒気はしない。
「フランツさんが刺青をした時の話をしてくれましたよ」
オドラデクは自慢げに言った。先に情報を手に入れた者の強みというわけだろう。
「どんな風だったか?」
ファキイルは表情を変えずに訊いた。
「人魚が墨になってそれを使って彫ったのだそうですよ」
「面白いな」
「何でも、人魚はある人に恋をして、その人を失って嘆きながら死んでいったようなんですよ」
「人魚の友は我にもいたぞ」
「ほんとうか?」
ガバリと毛布をもたげてフランツは起き上がった。
訊きたがっていた真実の方から突然目の前に飛び込んでくるとは。
「うむ。確か恋をしたという話を訊いた覚えがある」
「詳しく、詳しく話してくれ」
フランツは二回繰り返しながら言った。
「あまり覚えていない。だが、北のあたりだったと記憶している。近くに大きな国があって、そこの一族と海に旅した時に出会ったとか」
ファキイルにしては長めに説明していた。それほど印象に残った事件だったのか。
「それだけじゃなんともだ、他に思い出せないか」
「思い出せない。その時は覚えていたのだが」
ファキイルは黙ってしまった。
大体ファキイルは訪れた地域や人の名前をそこまではっきり記憶しているたちではない。過去のことは綺麗さっぱり忘れることにしているようだ。
今でこそフランツもオドラデクも名前を覚えられているが、百年後も確実に生きているだろうファキイルに覚えられている自信はなかった。
フランツは不満だった。
「少しわかっただけで良いじゃないですか」
オドラデクは微笑んだ。
「俺は謎は嫌いだ。全部わかる方がいい」
「贅沢言わない。じゃあ、この件がすんだら北へ行きますか?」
オドラデクがまた顔を覗き込んできた。
それをはねのけて、また毛布に潜り込むフランツだった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる