月(ルナ)は笑う――幻想怪奇蒐集譚

浦出卓郎

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第一部

第三十八話 人魚の嘆き(5)

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「グダグダ言ってないで、さっさとやってくれ」

 俺は先を急かした。

「じゃあ、やらせて貰うね」

 麻酔の成分を含んだクリームが背中一面に塗られた。

 シンサンメイはふざけた態度とは裏腹にやたらと丹念に手を回して塗っていった。

 恥ずかしいところまで。

 ひりひりする。

 だが、やがてそんな感覚もなくなった。

 麻痺がやってきたのだ。

「彫るよ!」

 シンサンメイは高い椅子の上で叫んだ。

「さっさと」

 俺はそこまで言って黙った。

 麻痺しているとはいえ、皮膚に針が入れられたことがわかったからだ。

 首を無理に曲げたら見れるのだろうが、そうする必要もない。俺はただ耐えた。

 一時間、二時間。

 時はどんどん過ぎる。

 シンサンメイは一言も発さず黙々と針を動かし続けている。

 既に寝台に上がり、俺の背中の横に腰掛けながら彫っている。

 異性だからとか、そう言うのは全く関係なく、ただ一つの自分の芸術をかたち作る素材がそこにあるかのように扱っているのだった。

 職人気質ってやつか。

 こいつがもぐりの刺青師のままだという理由がわかるような気がした。

「いつ終わる」

「……まあだいたい九時間ぐらいで終わるかな」

 ずっと黙っていたので少ししゃがれた声でシンサンメイは言った。

「長い」

「省略してもいいけど変になるよ。ぐちゃっと崩れた感じで」

 シンサンメイは俺の横に顔を見せて、手を大きく動かして、俺を驚かせようとした。

「やめろ。なら、いつまで掛かってもいい」

 来たのが朝早かったので九時間経ってもまだ夕方だ。

 耐えることにした。

 五時間ぐらいになってさすがに腹が減ってきた。

 ぐー。

 大きな音がした。

 俺は恥ずかしくなった。

「はい」

 シンサンメイは手を拭いて、食卓の方へと歩いていき、一枚のバターを挟んだパンを取ってきて差し出した。

 俺はうつぶせになったままでそれを受け取り、囓った。

 美味しくもまずくもなかったが、感謝した。少し煙草の臭いが染みついてたがな。

「ルナとは長いの?」

 シンサンメイが訊いた。

「数年ぐらいかな」

「そうか。あたしもそれぐらいだね。収容所にいた頃のルナ・ペルッツには結構謎が多くてさ。とくに出てすぐのあたりは。それ以前の知り合いをあまり知らない」

 シンサンメイは首を傾げながら言った。

「そうなのか」

 ルナの過去がどうだとか俺は興味なかったが、謎が多いと言われると気になった。

 収容所にいた頃の話は何度かルナから訊いたことがあるが、そう言えば出た時の話は一度として訊いたことがない。

――今度訊いてみるか。

 そんなことを思いながらまた黙った。

 まあ聞いてもルナは答えてくれなかったけどな。

「はい、おしまい」

 パンパンと手を叩きながらシンサンメイは椅子から降りた。

「麻酔はまだ効いてるから、もう一時間ぐらいじっとして置いた方がいいよ」

「何でわかるんだ」

「経験だよ」

 いかにも胡散臭かった。

 と、ここで俺は嫌なことに思い当たった。

 金のことだ。

「支払いは?」

 俺は訊いた。

「俺の手術台は高ーっくってね。食事代もプラスされるから嵩んじゃうなぁ」

 あれは親切じゃなかったのか。

 俺は冷や汗を掻いた。

 ある程度の金は持ってきてはいたが、とてもじゃないが足りないだろう。

 まだ猟人にもなっていなかったから支給される金銭は限られていたのだ。

 自業自得なのだがそれでも俺はルナを恨んだ。

――お前が紹介するからだ。
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