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第一部

第三十六話 闇の絵巻(4)

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「ボクのあーりがたーい地口《じぐち》を理解できないのは、キミが阿呆だから」

 大蟻喰は動じる様子もなかった。

 ズデンカは無視した。

――馬鹿に構っている時間はない。

 霊はいまだに目の前を漂い続けている。

「そいつを何とかしたいんだろ?」

 大蟻喰は訊いてくる。

「だとしたら?」

 無視するつもりがつい答えてしまったズデンカだった。

「ボクなら何とか出来る」

「馬鹿言え。お前にそんな力はないはずだ」

 大蟻喰の『貪食《フェラガイ》』という力を持っている。

 どうやって身につけたかはズデンカも知らないが、喰った人間や動物の知識を得ることが出来るという。

「ボクは霊媒師も喰えば、魔術師も喰った。こういう霊みたいなやつに対抗できる手段は持ってるんだよ」

 なんとも自慢げな声だった。

――まあこいつは自慢しかないが。

「じゃあ、やってみせろ」

 大蟻喰は返事をせず、霊体を見た。

 途端に魂は大きく揺らいだ。白い炎のように。

 いつの間にか、鉛の輪っかが幾つも現れ、その四肢を捉え、中空に張り付けていた。

「幻想を実体化させたのか?」

 ズデンカは驚いた。

 それはルナの力だ。まさか大蟻喰が同じことを出来るとは。

「いや、正確には違う。この輪はボクの手持ちの物だ。しかもある対象にしか拘束能力を発揮しない」

「なんだ使い物にならんじゃないか」

 ズデンカは呆れた。

「今はなっただろ? これは霊体だからね」

「動けなくはなったな、だがあたしはこいつと話をしたいんだ」

「後出しじゃんけんだろ。それ?」

 大蟻喰はめんどくさそうに言った。

「あたしはお前に何をやって欲しいかなんて言ってないぞ。それにさっき自慢し
たところでは、お前は霊媒師も喰ったんだろ?」

 ズデンカは相手の話をちゃんと聞いていた。

「まあね」

 大蟻喰は目を瞑った。

 深呼吸をする。

 一旦立ち上がり、妙なかたちに坐り直した。

 そして、はっしと見開くと、霊体を睨んだ。

 瞳が爛々と輝きを増した。

 とたんに少女の姿が薄くなった。やがて完全に消えたのか、四肢を捉えていた鉛の輪っかがクルクル宙を舞って落下を始める。

 しかし、何かの力によって引き付けられたのか、塔をかたち作るように幾つも積み重なって、大蟻喰の横に並んだ。

 しかし、既に大蟻喰の面持ちは変わっていた。

 普段の不敵な表情は消え、大人しいものになっていた。

「ここは……どこ?」

 大蟻喰は急に声色を高めて話し始めた。こちらも今までと違う怯えるような少女の声になっていた。

 あたりを不安げに見回している。

――なんか気持ちわりいな。

 とズデンカは思ったが、取り敢えず訊いてみることにした。

「お前の名は?」

「私は……インゲボルグ」

「『野菊の別れ』のか?」

「それはなに?」

 大蟻喰は訊いた。

「そういうタイトルの小説がある。お前とペーターという少年の恋が描かれているらしい。あたしは読んでないが。作者は……」

 ズデンカはカミーユが持っていた本の表紙に記されていた作者の名前を告げた。

「まあ……確かに友人です」

 大蟻喰はやっと笑みを浮かべた。

「なんでお前は直接あたしらと話せないんだ?」

 ズデンカは訊きたかったことを訊いた。

「よく……わかりません……ただ、何か意志を伝えようとしても、少しも口が動かなくて……今、この方の身体の中に入り込んだら急に喋れるようになって……」

 戸惑った口調で大蟻喰は言った。
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