上 下
373 / 526
第一部

第三十六話 闇の絵巻(1)

しおりを挟む
――ヴィトカツイ王国南部

 車窓の外はすべて闇だった。

 天球全体がマントで蔽われたようだ。

 夜が訪れたのだった。

 数時間前、ゴルダヴァへ向かう列車は長いトンネルの中に入った。その暗さとはまた一味違う。
 
 黒で塗り固められたような闇の絵巻《タペストリー》なのだ。

 綺譚蒐集者《アンソロジスト》ルナ・ペルッツは折りたたみ式の書き物机を膝の上に置いて、各地で話を蒐集した手帳と紙を交互に見ながら執筆に励んでいた。

 こう言う時、ルナの集中力は凄まじい。

 いつものように無駄話一つ叩かず黙々と紙を文字で埋め尽くしていくのだ。

 筆跡は鳥が羽ばたく姿のような奇妙なかたちをしている。

 この字は編輯者泣かせで有名だった。

――邪魔するのは悪いな。

 メイド兼従者兼馭者の吸血鬼《ヴルダラク》ズデンカは向かいに坐るルナを見るのを止めて、以前ランドルフィ王国で入手した『ゴルダヴァ地誌』へと目を落とした。

 いろいろと興味深い情報が載っている。自分が生まれた国のことは案外知らないものだとズデンカは思った。

 その横ではナイフ投げのカミーユ・ボレルが、ルナが与えた少女小説『野菊の別れ』をわくわくしながらめくっていた。

「ずいぶんのめり込んでるな」

 ズデンカは多少、揶揄《からか》いを込めて言った。

「はい! こんな面白い小説、初めて読みました」

「良かった。カミーユ向きに持ってきたわけじゃないけど」

 ルナがペンをスタンドに立てて、穏やかに言った。

「もう何年も前に出版されたものですけど、どんどん頁がめくれちゃう! あと三十頁ぐらいになりました」

「どんな話だ?」

 ズデンカは興味を引かれた。

「インゲボルグって言う少女がいて、幼なじみの少年ペーターと離ればなれになるんです。少年は付け火をした容疑をでっち上げられて村を追われます。ペーターはいつもインゲボルグに野菊を一輪ずつ摘んで渡していて、インゲボルグはそれを編んで花輪を作っていたんだけど、首の周りを囲むには一輪足りない。もう枯れてきた花もあるしってことで、隙を見計らって野原に摘みに行った時、ペーターと逢うんです。これが最後の別れだと言ってを両手一杯の野菊を手渡されて終わりです」

「それのどこが面白い?」

 ズデンカは首を捻った。

「あらすじだけを説明するとわからないかもしれませんけど、少女の少年を思う気持ちが胸に迫ってほんとキュンキュンするんですよ。悲しいけど、でも、こんな恋愛できたらなぁ、って! ズデンカさんもぜひぜひ! あっ、まだ全部読んでないんだった! 読み終えちゃいますね」

 と言ってカミーユは読書に戻った。

「キュンキュンだと? よくわからんな」

「鈍いなあ、君は」

 ルナが微笑んだ。既に書くのは止めて机を畳み始めていた。

「書かないのか?」

 ズデンカは自分の声に少し不満の響きがあることを感じた。

「ちょうど良いとこまで仕上がってね。今日はもう疲れちゃった」

 とルナはあくびをした。

「ここだと寒い。寝台車に行け。先に言っとくがあそこも禁煙だからな」

 ズデンカは扉の外を指差した。

「まだ少し、ここで話してたいな」

 ルナは笑った。

「何を話す?」

「君がどうしてこうも男女の鈍感なのかって話」

「男に興味はねえからな」

 ズデンカは一刀両断にした。

「でも、男女の機微に鈍感だと、女同士の機微にはもっと疎いに違いない」

  ルナは口元を押さえた。

「何が言いてえんだよ」

 ズデンカはだんだん腹が立ってきた。

「少女小説ってのは愛の夢を描いたものさ。そこをわかってあげないと」

「わからねえよ」

 ズデンカは答えた。

 とここで不意に車窓へ眼が行った。

 一面真っ黒な闇の向こうから真っ白に光るものが、ゆっくりと漂い流れてくるではないか。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

異世界で焼肉屋を始めたら、美食家エルフと凄腕冒険者が常連になりました ~定休日にはレア食材を求めてダンジョンへ~

金色のクレヨン@釣りするWeb作家
ファンタジー
辺境の町バラムに暮らす青年マルク。 子どもの頃から繰り返し見る夢の影響で、自分が日本(地球)から転生したことを知る。 マルクは日本にいた時、カフェを経営していたが、同業者からの嫌がらせ、客からの理不尽なクレーム、従業員の裏切りで店は閉店に追い込まれた。 その後、悲嘆に暮れた彼は酒浸りになり、階段を踏み外して命を落とした。 当時の記憶が復活した結果、マルクは今度こそ店を経営して成功することを誓う。 そんな彼が思いついたのが焼肉屋だった。 マルクは冒険者をして資金を集めて、念願の店をオープンする。 焼肉をする文化がないため、その斬新さから店は繁盛していった。 やがて、物珍しさに惹かれた美食家エルフや凄腕冒険者が店を訪れる。 HOTランキング1位になることができました! 皆さま、ありがとうございます。 他社の投稿サイトにも掲載しています。

勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス

R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。 そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。 最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。 そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。 ※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

最難関ダンジョンで裏切られ切り捨てられたが、スキル【神眼】によってすべてを視ることが出来るようになった冒険者はざまぁする

シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
【第15回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞作】 僕のスキル【神眼】は隠しアイテムや隠し通路、隠しトラップを見破る力がある。 そんな元奴隷の僕をレオナルドたちは冒険者仲間に迎え入れてくれた。 でもダンジョン内でピンチになった時、彼らは僕を追放した。 死に追いやられた僕は世界樹の精に出会い、【神眼】のスキルを極限まで高めてもらう。 そして三年の修行を経て、僕は世界最強へと至るのだった。

真巨人転生~腹ペコ娘は美味しい物が食べたい~

秋刀魚妹子
ファンタジー
お腹が直ぐに空く女子高生、狩人喰は修学旅行の帰り道事故に合い死んでしまう。 そう、良くある異世界召喚に巻き込まれたのだ! 他のクラスメイトが生前のまま異世界に召喚されていく中、喰だけはコンプレックスを打開すべく人間を辞めて巨人に転生!? 自称創造神の爺を口車に乗せて、新しく造ってもらったスキル鑑定は超便利!? 転生先の両親祖父は優しいけど、巨人はやっぱり脳筋だった! 家族や村の人達と仲良く暮らしてたのに、喰はある日とんでもない事に巻き込まれる! 口数は少ないけど、心の中はマシンガントークなJKの日常系コメディの大食い冒険物語り! 食べて食べて食べまくる! 野菜だろうが、果物だろうが、魔物だろうが何だって食べる喰。 だって、直ぐにお腹空くから仕方ない。 食べて食べて、強く大きい巨人になるのだ! ※筆者の妄想からこの作品は成り立っているので、読まれる方によっては不快に思われるかもしれません。 ※筆者の本業の状況により、執筆の更新遅延や更新中止になる可能性がございます。 ※主人公は多少価値観がズレているので、残酷な描写や不快になる描写がある恐れが有ります。 それでも良いよ、と言って下さる方。 どうか、気長にお付き合い頂けたら幸いです。

ユイユメ国ゆめがたり【完結】

星乃すばる
児童書・童話
ここは夢と幻想の王国。 十歳の王子るりなみは、 教育係の宮廷魔術師ゆいりの魔法に導かれ、 不思議なできごとに巻き込まれていきます。 骨董品店でもらった、海を呼ぶ手紙。 遺跡から発掘された鳥の石像。 嵐は歌い、時には、風の精霊が病をもたらすことも……。 小さな魔法の連作短編、幻想小説風の児童文学です。 *ルビを多めに振ってあります。 *第1部ののち、番外編(第7話)で一旦完結。 *その後、第2部へ続き、全13話にて終了です。 ・第2部は連作短編形式でありつつ、続きものの要素も。 ・ヒロインの王女が登場しますが、恋愛要素はありません。 [完結しました。応援感謝です!]

兎人ちゃんと異世界スローライフを送りたいだけなんだが

アイリスラーメン
ファンタジー
黒髪黒瞳の青年は人間不信が原因で仕事を退職。ヒキニート生活が半年以上続いたある日のこと、自宅で寝ていたはずの青年が目を覚ますと、異世界の森に転移していた。 右も左もわからない青年を助けたのは、垂れたウサ耳が愛くるしい白銀色の髪をした兎人族の美少女。 青年と兎人族の美少女は、すぐに意気投合し共同生活を始めることとなる。その後、青年の突飛な発想から無人販売所を経営することに。 そんな二人に夢ができる。それは『三食昼寝付きのスローライフ』を送ることだ。 青年と兎人ちゃんたちは苦難を乗り越えて、夢の『三食昼寝付きのスローライフ』を実現するために日々奮闘するのである。 三百六十五日目に大戦争が待ち受けていることも知らずに。 【登場人物紹介】 マサキ:本作の主人公。人間不信な性格。 ネージュ:白銀の髪と垂れたウサ耳が特徴的な兎人族の美少女。恥ずかしがり屋。 クレール:薄桃色の髪と左右非対称なウサ耳が特徴的な兎人族の美少女。人見知り。 ダール:オレンジ色の髪と短いウサ耳が特徴的な兎人族の美少女。お腹が空くと動けない。 デール:双子の兎人族の幼女。ダールの妹。しっかり者。 ドール:双子の兎人族の幼女。ダールの妹。しっかり者。 ルナ:イングリッシュロップイヤー。大きなウサ耳で空を飛ぶ。実は幻獣と呼ばれる存在。 ビエルネス:子ウサギサイズの妖精族の美少女。マサキのことが大好きな変態妖精。 ブランシュ:外伝主人公。白髪が特徴的な兎人族の女性。世界を守るために戦う。 【お知らせ】 ◆2021/12/09:第10回ネット小説大賞の読者ピックアップに掲載。 ◆2022/05/12:第10回ネット小説大賞の一次選考通過。 ◆2022/08/02:ガトラジで作品が紹介されました。 ◆2022/08/10:第2回一二三書房WEB小説大賞の一次選考通過。 ◆2023/04/15:ノベルアッププラス総合ランキング年間1位獲得。 ◆2023/11/23:アルファポリスHOTランキング5位獲得。 ◆自費出版しました。メルカリとヤフオクで販売してます。 ※アイリスラーメンの作品です。小説の内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。

美しくも残酷な世界に花嫁(仮)として召喚されたようです~酒好きアラサーは食糧難の世界で庭を育てて煩悩のままに生活する

くみたろう
ファンタジー
いつもと変わらない日常が一変するのをただの会社員である芽依はその身をもって知った。 世界が違った、価値観が違った、常識が違った、何もかもが違った。 意味がわからなかったが悲観はしなかった。 花嫁だと言われ、その甘い香りが人外者を狂わすと言われても、芽依の周りは優しさに包まれている。 そばに居るのは巨大な蟻で、いつも優しく格好良く守ってくれる。 奴隷となった大好きな二人は本心から芽依を愛して側にいてくれる。 麗しい領主やその周りの人外者達も、話を聞いてくれる。 周りは酷く残酷な世界だけれども、芽依はたまにセクハラをして齧りつきながら穏やかに心を育み生きていく。 それはこの美しく清廉で、残酷でいておぞましい御伽噺の世界の中でも慈しみ育む人外者達や異世界の人間が芽依を育て守ってくれる。 お互いの常識や考えを擦り合わせ歩み寄り、等価交換を基盤とした世界の中で、優しさを育てて自分の居場所作りに励む。 全ては幸せな気持ちで大好きなお酒を飲む為であり、素敵な酒のつまみを開発する日々を送るためだ。

動物に好かれまくる体質の少年、ダンジョンを探索する 配信中にレッドドラゴンを手懐けたら大バズりしました!

海夏世もみじ
ファンタジー
 旧題:動物に好かれまくる体質の少年、ダンジョン配信中にレッドドラゴン手懐けたら大バズりしました  動物に好かれまくる体質を持つ主人公、藍堂咲太《あいどう・さくた》は、友人にダンジョンカメラというものをもらった。  そのカメラで暇つぶしにダンジョン配信をしようということでダンジョンに向かったのだが、イレギュラーのレッドドラゴンが現れてしまう。  しかし主人公に攻撃は一切せず、喉を鳴らして好意的な様子。その様子が全て配信されており、拡散され、大バズりしてしまった!  戦闘力ミジンコ主人公が魔物や幻獣を手懐けながらダンジョンを進む配信のスタート!

処理中です...