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第一部
第三十六話 闇の絵巻(1)
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――ヴィトカツイ王国南部
車窓の外はすべて闇だった。
天球全体がマントで蔽われたようだ。
夜が訪れたのだった。
数時間前、ゴルダヴァへ向かう列車は長いトンネルの中に入った。その暗さとはまた一味違う。
黒で塗り固められたような闇の絵巻《タペストリー》なのだ。
綺譚蒐集者《アンソロジスト》ルナ・ペルッツは折りたたみ式の書き物机を膝の上に置いて、各地で話を蒐集した手帳と紙を交互に見ながら執筆に励んでいた。
こう言う時、ルナの集中力は凄まじい。
いつものように無駄話一つ叩かず黙々と紙を文字で埋め尽くしていくのだ。
筆跡は鳥が羽ばたく姿のような奇妙なかたちをしている。
この字は編輯者泣かせで有名だった。
――邪魔するのは悪いな。
メイド兼従者兼馭者の吸血鬼《ヴルダラク》ズデンカは向かいに坐るルナを見るのを止めて、以前ランドルフィ王国で入手した『ゴルダヴァ地誌』へと目を落とした。
いろいろと興味深い情報が載っている。自分が生まれた国のことは案外知らないものだとズデンカは思った。
その横ではナイフ投げのカミーユ・ボレルが、ルナが与えた少女小説『野菊の別れ』をわくわくしながらめくっていた。
「ずいぶんのめり込んでるな」
ズデンカは多少、揶揄《からか》いを込めて言った。
「はい! こんな面白い小説、初めて読みました」
「良かった。カミーユ向きに持ってきたわけじゃないけど」
ルナがペンをスタンドに立てて、穏やかに言った。
「もう何年も前に出版されたものですけど、どんどん頁がめくれちゃう! あと三十頁ぐらいになりました」
「どんな話だ?」
ズデンカは興味を引かれた。
「インゲボルグって言う少女がいて、幼なじみの少年ペーターと離ればなれになるんです。少年は付け火をした容疑をでっち上げられて村を追われます。ペーターはいつもインゲボルグに野菊を一輪ずつ摘んで渡していて、インゲボルグはそれを編んで花輪を作っていたんだけど、首の周りを囲むには一輪足りない。もう枯れてきた花もあるしってことで、隙を見計らって野原に摘みに行った時、ペーターと逢うんです。これが最後の別れだと言ってを両手一杯の野菊を手渡されて終わりです」
「それのどこが面白い?」
ズデンカは首を捻った。
「あらすじだけを説明するとわからないかもしれませんけど、少女の少年を思う気持ちが胸に迫ってほんとキュンキュンするんですよ。悲しいけど、でも、こんな恋愛できたらなぁ、って! ズデンカさんもぜひぜひ! あっ、まだ全部読んでないんだった! 読み終えちゃいますね」
と言ってカミーユは読書に戻った。
「キュンキュンだと? よくわからんな」
「鈍いなあ、君は」
ルナが微笑んだ。既に書くのは止めて机を畳み始めていた。
「書かないのか?」
ズデンカは自分の声に少し不満の響きがあることを感じた。
「ちょうど良いとこまで仕上がってね。今日はもう疲れちゃった」
とルナはあくびをした。
「ここだと寒い。寝台車に行け。先に言っとくがあそこも禁煙だからな」
ズデンカは扉の外を指差した。
「まだ少し、ここで話してたいな」
ルナは笑った。
「何を話す?」
「君がどうしてこうも男女の鈍感なのかって話」
「男に興味はねえからな」
ズデンカは一刀両断にした。
「でも、男女の機微に鈍感だと、女同士の機微にはもっと疎いに違いない」
ルナは口元を押さえた。
「何が言いてえんだよ」
ズデンカはだんだん腹が立ってきた。
「少女小説ってのは愛の夢を描いたものさ。そこをわかってあげないと」
「わからねえよ」
ズデンカは答えた。
とここで不意に車窓へ眼が行った。
一面真っ黒な闇の向こうから真っ白に光るものが、ゆっくりと漂い流れてくるではないか。
車窓の外はすべて闇だった。
天球全体がマントで蔽われたようだ。
夜が訪れたのだった。
数時間前、ゴルダヴァへ向かう列車は長いトンネルの中に入った。その暗さとはまた一味違う。
黒で塗り固められたような闇の絵巻《タペストリー》なのだ。
綺譚蒐集者《アンソロジスト》ルナ・ペルッツは折りたたみ式の書き物机を膝の上に置いて、各地で話を蒐集した手帳と紙を交互に見ながら執筆に励んでいた。
こう言う時、ルナの集中力は凄まじい。
いつものように無駄話一つ叩かず黙々と紙を文字で埋め尽くしていくのだ。
筆跡は鳥が羽ばたく姿のような奇妙なかたちをしている。
この字は編輯者泣かせで有名だった。
――邪魔するのは悪いな。
メイド兼従者兼馭者の吸血鬼《ヴルダラク》ズデンカは向かいに坐るルナを見るのを止めて、以前ランドルフィ王国で入手した『ゴルダヴァ地誌』へと目を落とした。
いろいろと興味深い情報が載っている。自分が生まれた国のことは案外知らないものだとズデンカは思った。
その横ではナイフ投げのカミーユ・ボレルが、ルナが与えた少女小説『野菊の別れ』をわくわくしながらめくっていた。
「ずいぶんのめり込んでるな」
ズデンカは多少、揶揄《からか》いを込めて言った。
「はい! こんな面白い小説、初めて読みました」
「良かった。カミーユ向きに持ってきたわけじゃないけど」
ルナがペンをスタンドに立てて、穏やかに言った。
「もう何年も前に出版されたものですけど、どんどん頁がめくれちゃう! あと三十頁ぐらいになりました」
「どんな話だ?」
ズデンカは興味を引かれた。
「インゲボルグって言う少女がいて、幼なじみの少年ペーターと離ればなれになるんです。少年は付け火をした容疑をでっち上げられて村を追われます。ペーターはいつもインゲボルグに野菊を一輪ずつ摘んで渡していて、インゲボルグはそれを編んで花輪を作っていたんだけど、首の周りを囲むには一輪足りない。もう枯れてきた花もあるしってことで、隙を見計らって野原に摘みに行った時、ペーターと逢うんです。これが最後の別れだと言ってを両手一杯の野菊を手渡されて終わりです」
「それのどこが面白い?」
ズデンカは首を捻った。
「あらすじだけを説明するとわからないかもしれませんけど、少女の少年を思う気持ちが胸に迫ってほんとキュンキュンするんですよ。悲しいけど、でも、こんな恋愛できたらなぁ、って! ズデンカさんもぜひぜひ! あっ、まだ全部読んでないんだった! 読み終えちゃいますね」
と言ってカミーユは読書に戻った。
「キュンキュンだと? よくわからんな」
「鈍いなあ、君は」
ルナが微笑んだ。既に書くのは止めて机を畳み始めていた。
「書かないのか?」
ズデンカは自分の声に少し不満の響きがあることを感じた。
「ちょうど良いとこまで仕上がってね。今日はもう疲れちゃった」
とルナはあくびをした。
「ここだと寒い。寝台車に行け。先に言っとくがあそこも禁煙だからな」
ズデンカは扉の外を指差した。
「まだ少し、ここで話してたいな」
ルナは笑った。
「何を話す?」
「君がどうしてこうも男女の鈍感なのかって話」
「男に興味はねえからな」
ズデンカは一刀両断にした。
「でも、男女の機微に鈍感だと、女同士の機微にはもっと疎いに違いない」
ルナは口元を押さえた。
「何が言いてえんだよ」
ズデンカはだんだん腹が立ってきた。
「少女小説ってのは愛の夢を描いたものさ。そこをわかってあげないと」
「わからねえよ」
ズデンカは答えた。
とここで不意に車窓へ眼が行った。
一面真っ黒な闇の向こうから真っ白に光るものが、ゆっくりと漂い流れてくるではないか。
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